約1万年以上前にはすでに存在していた神様とは?
「仕事運」「金運」「恋愛運」「健康運」ほか、「21のご利益」の組み合わせからあなたの願いが叶う神様が見つかるかも! 八百万(やおよろず)の神様から100項目にわたって紹介する新刊『最強の神様100』には、古代から現代まで、めちゃくちゃ力のある神様が登場します。最強クラスの神様なので、ご利益も多種多様。さぁ、本を開けば、あなたが気になる神様がいるはず。それが今、必要としている神様かもしれません。
一万年前から祭られる縄文の神
トヨクモノ(豊雲野)は、神話で登場以外は何もせず、祭る神社も少ないですが、雲の神と推測されます。古事記ではクニノトコタチの次の7番目に登場する独神で、すぐに身を隠しました。日本書紀ではクニノトコタチ、クニサツチに次いで3番目に登場。やはり特に何もせず身を隠しました。
有名な人が信仰したとか、各地で祭られているとか、すごい逸話があるわけでもない。その地味にも見える神様を本書でご紹介するのは、今から約一万年以上前にはすでに存在していた「とてつもなく長続きしている神様」だからです。
トヨクモノを祭る神奈川県伊勢原市の比々多(ひびた)神社は、一万年以上前から信仰の場所として存在していたとか。神武天皇の時代には、すでにトヨクモノを祭る長い歴史があったようで、トヨクモノは縄文の頃からの神でしょう。
トヨクモノを信仰した例をあげると、北条早雲に滅ぼされた相模三浦氏がそうで、戦国時代にほぼ消滅します。三浦氏の子孫は守護大名から百姓に転落しますが、これで終わらず、江戸で150年浪人を続けて徳川家の旗本と交友関係を広げます。結果、旗本に取り立てられ、従五位下相模守にまで復活しました。
地味でしょう。でもおそろしく粘り強く、あきらめない継続力があります。多くの人は、天下を取ることなく、平凡な人生を歩みます。でもこの平凡を維持するのもなかなか大変なのは、読者の皆様はご存じでしょう。平凡に人生を歩み続けること、無事に生きることは、幸せなことだし、価値のあることです。トヨクモノはそんな「平凡に幸せに生き続けること」をサポートしてくれるでしょう。
かつて、ある2つの大きな神社のどちらを相模国の一宮(筆頭の神社)にするかで争いがありました。これをトヨクモノが「決着は翌年に」の一言で仲裁したとか。争いをまとめるのも、トヨクモノのご利益です。
【主なご利益】家内安全、健康長寿、心身健全
【こんな人にオススメ!】
表に出ず秘かに活躍する人。平凡が一番いいと感じている人
世界遺産の厳島神社がある宮島、訪れると「1回100円課税」…観光客対象
武田総務相は21日、広島県廿日市市が世界遺産・厳島神社のある宮島を訪れる観光客らを対象に課税する「宮島訪問税」の導入に同意した。
2023年度に徴収が始まる予定だ。
フェリーなどで宮島を訪れた人に、1回100円を課税する。対象には島民や通勤・通学者、修学旅行客は含まない。地方自治体の法定外普通税のひとつで、税収は宮島の整備に充てる。
150段の石段上り、杉木立の参道を振り返ると…「異世界」へようこそ
京都市右京区の杉木立が並ぶ賀茂神社の参道が、「異世界への入り口のようだ」と、SNS上で話題になっている。
神社は創建1000年以上。約150段の石段を上り、杉に囲まれた参道を振り返ると、一対の狛犬が向かい合い、その奥に鳥居が見える。ツイッターには写真とともに「異世界につながっているのでは」「荘厳な空気感」といった投稿が相次ぎ、ユーチューブでは再生回数が90万回を超える動画もある。
地元住民の一人は「神秘的な場所であることが人を引きつけているのでは」と話している。
京都・祇園祭の山鉾巡行、今年も中止
日本三大祭りの一つ、京都・八坂神社の祭礼「祇園祭」のハイライトとなる山鉾(やまほこ)巡行(7月17、24日)を主催する祇園祭山鉾連合会は15日、新型コロナウイルス感染拡大を受け、昨年に引き続き山鉾巡行を中止すると発表した。
2年にわたり巡行中止となるのは、先の大戦中から戦後にかけての昭和18~22年以来になる。
昨年は中止となった山鉾巡行に代わり、各山鉾保存会の代表らが榊を手に、四条通沿いの八坂神社御旅所まで徒歩で巡行した。
祇園祭は疫病退散の祭りとして知られ、7月の1カ月間にわたり、さまざまな神事が執り行われる。京都市中心部で行われる山鉾巡行は前祭に23基、後祭に11基が参加し、一昨年の前祭には約12万人が訪れた。
病気、肥満、男女関係、コロナ 悪縁とサヨナラできる「縁切り神社」
コロナ禍をきっかけに「断捨離」がブームになっている。「捨て去りたいもの」は、家にある不要なものだけでなく、「不要な仕事」、「不要な人間関係」にまで及ぶという。自分にとって本当に必要な時間を大切にできるように──。そう願う人の間で人気なのが、縁結び神社ならぬ「縁切り神社」だ。
まずは、「押さえておきたい縁切り神社でのお作法」について、縁切り神社に詳しい神話学の専門家・國學院大學教授の平藤喜久子さんが疑問に答える。
【1】ネガティブなことはお願いしない
「人の不幸を願うような形で縁を切ろうとするのは、神社のお参りとしては正しくないです。『あの人がこの世からいなくなればいいのに』といった、ネガティブなお願いはしないようにしましょう」(平藤さん。以下同)
【2】ネガティブな絵馬を見てしまったら……
縁切り神社には鬼気迫る内容の絵馬がかかっていることがあり、悪い気持ちをもらってしまうことも。
「そんなときはもう一度お参りしてから帰りましょう。その際、参拝前に行う手水で、改めて手を清めてからお参りすること。その後はもう振り返らないで一目散に帰ってください(笑い)」
【3】コロナ禍で手水舎が使えない神社が多いのですが、どうしたらいいですか?
「除菌スプレーが置いてあるところもありますが、気になるかたはお清めの塩を持参して、足元に少し振りかけてからお参りするのがおすすめです」
良縁と出会える“縁切り神社”
ここからは、人間関係だけでなく、病気や肥満などの面倒なご縁とオサラバできる縁切り神社を紹介しよう。「ネガティブな自分と縁を切って、好きな人ができますように」と切に願う女芸人、尼神インターの誠子さんの解説も。
●昭和の名優が悪習慣を改め大役を得た
小野照崎神社(東京)
「ご祭神は平安時代きっての学者で政治家、貴族でもあった小野篁命。ご配神(ご祭神以外の神様)には学問の神・菅原道真命を祀っています。勉学や芸能の神社として知られ、俳優の渥美清さんが参拝後に寅さん役を得たという逸話が有名。神様の前で、『縁を切りたいもの』を表明することで、ご利益が強まるといわれています」
〈縁切りエピソード〉
「俳優の渥美清さんが“たばこを断つことを誓うので、いい役がもらえますように”とお願いをして、『男はつらいよ』シリーズの寅さん役のオファーが来たといわれています。たばことの悪縁を切って、新たな仕事のご縁をもらったという好例ですね」
住所:東京都台東区下谷2-13-14
ご祭神:小野篁命
ご利益:学問、芸能、仕事など
●足腰の守護神が祀られた『いのしし神社』
護王神社(京都)
奈良時代の貴族・和気清麻呂公が「足腰の守護神」として仰がれている。当時、清麻呂は絶大な権力を振るっていた僧侶によって流罪にされ、足の腱を切られて動けなくなっていた。しかし、300頭ものいのししが突然現れ、その助けによって再び歩けるようになったという逸話がある。そのため、数多くのいのしし像が祀られ、プロスポーツ選手らも全国からこぞって訪れる。
〈縁切りエピソード〉
神社内の絵馬には大切な人の足腰の健康を願うものが多く、地元のサッカーチームがリーグ開幕前に必勝祈願で訪れる。なかには「推しの全国ライブを、足腰元気に追いかけられますように」というユニークなものも。
住所:京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385
ご祭神:和気清麻呂公、和気広虫姫命
ご利益:足腰の病気やけが平癒、健康、安全、スポーツ守護など
●コロナウイルスとの悪縁をぶった切る!
石切劔箭神社(大阪)
「『いしきりさん』『でんぼの神様』の愛称で呼ばれ、入口から本殿までを100往復する『お百度参り』でも有名です。“神様の力が石を切るほど強い”とされ、腫れ物やがんなどの病気をはじめ、自分が切りたい悪縁を切ってくれるとされるので、ぜひ新型コロナウイルスとの縁切りを願っていただきたいですね」
〈縁切りエピソード〉
参拝者からは、「ここに来ると疲労の回復が早くなったり集中力が増したり、いつも不思議。参拝を週2回に増やす予定です」という声も。
住所:大阪府東大阪市東石切町1-1-1
ご祭神:饒速日尊、可美真手命
ご利益:病気平癒、商売繁盛、良縁拝授、学業成就など
●別れた『神様夫婦』による良縁神社
青島神社(宮崎)
「地上の神・彦火火出見命とその御后で海の女神・豊玉姫命が祀られていますが、この2柱は“元夫婦”。お互いに思い合いながらも別れた2人だったので、縁結びの神社として有名に。宮崎は神話の舞台なので、神々の世界に思いを馳せながらお参りしていただくと、受け取る結果も変わってくるでしょう」
〈縁切りエピソード〉
宮崎県出身のモデル・蛯原友里が結婚前に夫であるRIP SLYMEのILMARIと訪れ、“参拝デート”の様子が写真週刊誌に報じられた。その後結婚し、良縁につながる神社としてますます有名に。
住所:宮崎県宮崎市青島2-13-1
ご祭神:彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神
ご利益:縁結び・安産・航海・交通安全など
●日本一有名な縁切りスポット
安井金比羅宮(京都)
「人ひとりがかろうじて抜けられる穴を、手前から奥にくぐり抜けて悪縁を切り、さらに奥から手前に戻ってくることで良縁を結ぶ『縁切り縁結び碑』が有名。これまでにもさまざまな男女の縁を切ってきたとされますが、花街のあった祇園にあるのは、さまざまな情を交わした花街の女性たちが多く暮らしてきた街の神社ゆえなのでしょう」
〈縁切りエピソード〉
参拝者は圧倒的に女性が多く、絵馬や形代の中には微笑ましいものから恐ろしい内容の文言までビッシリ。「友人関係に悩んでいたのですが、お参りに行ったあとにすっぱり連絡が来なくなり、もう何年も会ってません」など、友人関係や仕事など多岐にわたって悪縁が切れると評判だ。
住所:京都府京都市東山区下弁天町70
ご祭神:崇徳天皇、 源頼政公、大物主神
ご利益:あらゆる悪縁切り、縁結びなど
取材・文/田名部知子
サムハラ神社の神職、祈祷中に女性の胸触り再逮捕…「気分が高揚」
大阪市西区のサムハラ神社の神職が祈祷(きとう)中に女性の胸などを触ったとして逮捕された事件で、西署は22日、同神社の神職川端孝和被告(70)(大阪市東住吉区、起訴)を準強制わいせつ容疑で再逮捕した。
捜査関係者によると、川端被告は「昨年末から今年1月までに約10人の女性に同様の行為をした」と話しているという。
発表では、川端被告は1月中旬、神社の本殿で、祈祷に訪れた女性に対し、鈴や棒状の神具を胸に押しつけたり、手で胸や尻を触ったりした疑い。「祈祷の途中で気分が高揚して触ってしまったと思う」と供述しているという。
大津の神田神社、300年ぶり解体・新築へ ご神体を仮殿に遷座
大津市真野4の神田神社が8日、江戸時代に建立された本殿などを解体・新築するのを前に、ご神体を仮殿に移動させる「仮殿遷座祭」を執り行った。宮司や氏子ら計20人が参列した。
同神社の創建は811年で、神様の住む本殿と二宮は1720年ごろの建立と伝わる。拝殿を加えた3棟は度重なる台風などで屋根や柱が損傷を受け、修理を繰り返してきたが、2019年の天皇陛下即位を機に「令和の大新築」をすることになった。
この日はまず、拝殿で宮司が祝詞を読み上げた。本殿と二宮でご神体を3体ずつ取り出し、先導役の氏子のたいまつに点火。一同は慎重にご神体を抱えながら、境内で不動明王を祭る神宮寺に移動させた。工事は22年8月末までの予定で、終わり次第元に戻す儀式を行う。
氏子総代会長の瀬津久雄さん(78)は「心を込めて新築し、神様に入っていただきたい」と話した。平野修保宮司(74)は「大事な祭事が終わりありがたい」と安堵(あんど)した表情で語った。【小西雄介】
大阪「サムハラ神社」70歳エロ禰宜が神具で…30代女性を“ツンツン”の手口
「願いをかなえてもらいたい」という女性の心理に付け込み、神具で胸や尻をツンツンしていたというからとんでもないエロ禰宜だ。
祈願のため、「大阪屈指のパワースポット」として知られる「サムハラ神社」(大阪市西区)を訪れた30代の女性にわいせつな行為をしたとして、神職の川端孝和容疑者(70)が25日、準強制わいせつの疑いで府警西署に逮捕された。
昨年12月下旬、川端容疑者は女性を神社本殿に招き入れ、白い短冊の「大麻」と鈴の付いた「神楽鈴」を手にして祈祷を始めた。川端容疑者は祈りを唱えながら振りかざした神具で女性の胸や尻をツンツンし、神具を握りしめたまま拳をグイグイ胸や尻に押し当てた。さらに川端容疑者は神具から手を放すと、素手で胸や尻をタッチした。本殿には川端容疑者と女性の2人しかおらず、外から室内の奥までは間にガラス戸があり、はっきり見えなかった。
「女性はおかしいなと思っとったんやが、祈祷してもらっとったため、そういうことなんかもと抵抗でけへんかったそうや。終わってから友人に『こんなことがあったんやけど』いうて状況を説明したら、『そら、おかしいで』と言われたため、警察に相談に来た。そしたら今年1月上旬にも、同じような被害に遭うたいう別の30代女性が現れた。その女性も友人に被害を訴え、警察に被害届を出しに来たんや」(捜査事情通)
川端容疑者は調べに対し、「わいせつ行為をするつもりでやったわけではない。祈祷の一環やった」と、トボけているという。
鳥居から本殿まで約15メートルという小さな神社に多くの人が集まるようになったのは、約7~8年前。入手困難な「お守りの指輪」の存在が知られるようになったことがきっかけだった。参拝者に授与されてきた厄よけの「御神環」(お守り指輪)の内側には「災難から身を守る」という意味の「サムハラ」の文字が神字で刻まれている。御神環は数に限りがあり、サイズが合わないと受け取ることができないため、SNSなどで話題に。フリマアプリでは1個数万円から10万円で出品されるほど人気だった。転売が相次いだため、現在、授与は中止されている。 そんな神社で神のご加護に賜ろうと、祈願に来た女性が抵抗できないことをいいことに祈祷料まで取って体をもてあそんでいたのだから、女性の純粋な気持ちを踏みにじる行為だ。それにしても大麻や神楽鈴といった神を祭る神聖な道具をこんなふうに使って、バチは当たらないのか。
個人的お願いOK? パワースポットは? 伊勢神宮ホームページ刷新、答えは…
伊勢神宮公式ホームページ(HP)が5年ぶりにデザインを一新しリニューアルした。参拝で個人的なお願いをしてはいけないのか、神宮にパワースポットはあるのか――といった疑問に、伊勢神宮を管理する神宮司庁が直球で回答する記述も盛り込まれた。神宮HPのリニューアルは、およそ5年ごとに行われており、今回は2016年以来。すべてのデザインが新しくなり、映像や動画、イラストも豊富に配置された。
コンテンツの目玉のひとつは、神宮初心者向けの「はじめての神宮」に設けられたQ&Aコーナー「伊勢神宮の『ギモン』と『ふしぎ』」。
伊勢神宮では、病気平癒、商売繁盛、希望校への合格祈願などの個人的な願いをしてはダメという意見を、市販の旅行ガイドブックやネットなどで見かける。そう考えている人は地元にも少なくない。ところが、神宮司庁の見解は異なる。このほか、複数の神社のお守りを持ったら神様同士がけんかをするのではないか、外宮と内宮の敷地内のパワースポットはどこにあるのか――。そんな疑問についての神宮司庁の公式見解は同HP(https://www.isejingu.or.jp/)で。【尾崎稔裕】
「若子」の成長、矢に願い コロナ禍の終息も祈る 三重・八幡神社
男児の成長などを祈る伝統行事「若子祭」が9日、三重県名張市滝之原の八幡神社であり、裃(かみしも)姿の「弓取人」と呼ばれる射手が五穀豊穣(ほうじょう)や健康安全を祈願し、空高く矢を放った。この1年に生まれた男児や婿養子ら「若子」の成長や無病息災を願う行事だが、4年連続で若子はいなかった。行事は700年以上の歴史があるとされ、県の選択無形民俗文化財などに指定されている。この日は弓取人の男性6人が神社前の道路から約70メートル先の1・5メートル四方の的に6本ずつ矢を放った。矢は命中させないのが習わしで見物人らは矢の行方を追いながら歓声を上げた。
6人の弓取人で最年長という藤原寿史さん(65)は「弓取人は何年やっても緊張する。今年は地元住民の幸福とともに新型コロナウイルスの感染が一日でも早く終息することをも願って射た」と話していた。【衛藤達生】
早く終息しますように…和歌山・東の宮恵美須神社「十日戎」
和歌山市吉田の東の宮恵美須神社で8日、一年間の商売繁盛を願う「十日戎(えびす)」が始まった。
例年は3日間だが、今年は新型コロナウイルス対策で分散参拝を促すため、5日間とした。
この日は「宵宵戎」で、午前中から参拝者が境内に足を運んだ。神社では密集状態を避けるため、境内にポールを置いて一方通行にしたり、福引を取りやめたりした。福娘や氏子らはフェイスシールドやマスクを着用し、縁起物の福笹などを参拝者に授与した=写真。
参拝に訪れた紀の川市の保険外交員、三田陽子さん(60)は「早くコロナが終息し、気兼ねなく顧客を訪問できる日常の回復を祈願しました」と話していた。
日程は、9日が宵戎、10日が本戎、11日が残戎、12日が残残戎。問い合わせは神社(073・433・0454)。
鳥居ずらり67基「朱色のアーケード」 観光スポット目指し増設 広島・大島神社
広島県三原市本町3の大島神社で、参道の鳥居(高さ2・5メートル、幅1・8メートル)が3基から67基に増設され、朱色のアーケードが出現した。2月27、28日の「第8回みはら彩るまちあるき おひなまつり」でお披露目される。大島神社はJR三原駅北西約400メートルの住宅地にあり、おひなまつりでは市内の子供たちがつくったおひな様が参道に飾られる。氏子らは神社を三原の新たな観光スポットにしようと、2020年9月から鳥居の増設を始め、境内と参道にある古い鳥居も塗り替え、境内を舗装するなど整備してきた。
約2000万円を要し、事業所などから寄付を募ったが約100万円不足しているという。鳥居設置事業委員長の福島偉人・三原観光協会長らは支援を呼びかけている。【渕脇直樹】
初詣は三が日じゃなくていい 参道に印、鈴緒も撤去 東京・白鬚神社
新型コロナウイルスとの共生・共存によって、私たちのライフスタイルに大きな変化が起きている。「デジタルおみくじ」導入
初詣は混雑を避けるため、正月の三が日にこだわらない「分散参拝」や接触機会を減らす取り組みが進む。
白鬚神社(東京都墨田区)は2020年3月、参道に間隔を空けるための印をテープで表示。鈴を鳴らす際につかむ綱「鈴緒」も撤去した。今井達宮司は、おみくじ筒の代わりにスマートフォンでQRコードを読み取り、出た番号でくじを受け取る「デジタルおみくじ」も用意して参拝客を待つ。
埼玉県神社庁は専門家監修のガイドラインを作成。手水用のひしゃくの撤去や、手指消毒液の設置などを盛り込んだ。「変わらない祈りのために」と銘打ち、他の神社庁でも参拝客に混雑回避などを呼び掛けている。
初詣の一種で、大みそかの深夜から日付をまたいで参拝する「二年参り」は戦後に鉄道会社主導で普及したとの説もあるといい、神社本庁の浅山雅司総合研究部長は「その年に初めて参るのが『初詣』と考えてよいのでは」と話す。【谷本仁美】
元日の初詣激減、明治神宮は75%減 分散参拝も進む
全国の主要神社の元日の初詣の人出が、昨年との比較で2~5割程度にとどまったことが2日、スマートフォンの位置情報を基にした人出データで分かった。
元日、大みそか以外の人出が元日を上回った神社もあり、分散参拝の呼びかけが一定程度奏功したとみられる。
システム会社「アグープ」のデータで、明治神宮(東京)、住吉大社(大阪)、熱田神宮(愛知)、鶴岡八幡宮(神奈川)の人出を比較した。
元日の人出は、感染者数が全国に比べて多い東京と大阪にある明治神宮と住吉大社が前年の25%で、鶴岡八幡宮(45%)や熱田神宮(31%)より少なかった。大みそかでは、明治神宮47%、住吉大社46%、鶴岡八幡宮73%、熱田神宮68%だった。
元日までの1週間をみると、分散参拝が進んでいる傾向もみられる。
12月30日までは時間帯別では明治神宮も含めた4神社すべてで前年を上回る日もあった。
元日と他の日の人出を比べると、昨季の年末年始(令和元年12月末~2年元日)の12月26~30日のそれぞれの日の人出は、元日の5割以下で1割を切る日もあったが、今季(2年12月末~3年元日)の12月26~30日には、それぞれ元日の5割を超える人出を記録する神社が続出。明治神宮では今季、12月26~28日の人出がいずれも元日の人出を上回った。
毎年300万人以上が初詣に訪れていた明治神宮では、感染拡大防止のため、恒例の終夜開門を自粛し、昨年12月31日は午後4時で閉門した。今年の元日午前6時の開門時には3つの門から計約1100人が一斉に境内に入ったが、その後の人出は「例年の半分以下」と広報担当者は話す。
明治神宮では分散参拝を呼び掛け、参道には「密」を避けるため、約1メートル間隔でオレンジ色の目印を職員つけていたが、予想以上の参拝者の減少とあって、神宮関係者は戸惑いの表情を見せていた。
石段にちぎれた洋服や血痕も…初詣で起こった衝撃事件、124人が圧死した「彌彦神社事件」
新型コロナウイルスの感染拡大により、異例となる「年末年始のステイホーム」となった2021年のお正月。初詣にも行けず非常に寂しい限りではあるが、人が集まれない「今」だからこそ知りたいお正月の事件がある。
1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村にある彌彦神社(やひこじんじゃ、いやひこじんじゃとも読む)の拝殿前で、初詣に来ていた参拝客が餅撒きに殺到し、将棋倒しになる事件が発生した。
彌彦神社は「豊作の神様」として、地元の農業従事者達の厚い信頼を得ており、お正月となれば大勢の人間が集まる神社として知られていた。
1955年(昭和30年)12月31日は、この村では珍しく雪が降っておらず、「初詣に行きやすい」ということで、近隣の村からも人が集まり、翌1月1日0時の時点でなんと3万人の住民が押し寄せたという。
事故が発生したのは、新年を祝う福餅投げの時であった。幸運にあやかろうと大勢の群衆が餅に飛びつき、「押すな」「押すな」の大騒ぎになってしまった。
餅を求めて境内に殺到する人、そして参拝を終えて帰宅しようとする人の列が山門下の石段でぶつかりあってしまい、あっという間に200~300人が将棋倒しになってしまったのだ。
この将棋倒し事故は、死者124名、怪我人77人という被害者を出し、近くの小学校や拝殿、社務所などに次々と運び込まれたという。
石段には、ちぎれた洋服や草履、帽子などが散乱し、血痕も飛び散っていたという。
本事件はその後、神社の幹部が事故の責任を取る形で辞職。また、警備にあたっていた新潟県警の本部長が引責辞任するなど大きな事件となった。 以来、新潟県では映画館やデパートなど群衆の集まりやすい場所ではさらなる警備体制が取られ、6年後の1962年(昭和37年)には慰霊碑が建てられている。
異例の元日 初詣控え…参拝客ら大幅に減少
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、全国的に初詣を控える傾向が強く、神社やお寺では参拝客が大幅に減少した異例の元日となりました。
東京では先月31日、新型コロナの1日の感染者が初めて1000人を超えています。明治神宮では例年なら参道が参拝者で埋め尽くされますが、1日は本殿の前にさえ列がありませんでした。
明治神宮・水谷敦憲総務部長「激減という表現の方が適切だと思います」
参拝客「スムーズに参拝できたのと、やはりちゃんと対策がとられていたのかなって」
今年は、密を避けるため、お守りなどの特設授与所が複数設置されています。明治神宮によると、参拝客は例年の半分ほどになる見込みだということです。
携帯の位置情報の解析によりますと、前年の大晦日と比較した先月31日の人出は、明治神宮でマイナス60.8パーセント、太宰府天満宮ではマイナス78パーセントと、ほとんどの神社やお寺で大幅に減少しています。
一方、繁華街の先月31日夜の人出を前年の大晦日と比べると、渋谷センター街でマイナス50.8パーセント、北海道・すすきのでもマイナス41.3パーセントと、こちらもほとんどの地点で大幅に減少していました。京都の初詣が様変わり 人出「例年の2割」の声 伏見稲荷も「普通に歩ける」
年が明けた1日、京都市内の各神社にも初詣客が訪れた。例年は関西各地のみならず、全国からも多くの人が集まるが、新型コロナウイルスの感染拡大で初詣の分散が呼び掛けられたことなどもあり、これまでとは異なる光景が広がった。正月三が日で例年約250万人が参拝するという伏見稲荷大社(同市伏見区)では1日午前、2021年も参拝客が次々と訪れていた。それでも、境内はいつもなら身動きが取れないほど混雑するが、この日はスムーズに行き来ができるほど。参拝客からは「人出は例年の2割くらいでは」との声も聞かれた。
京都府内では20年12月に入り、1日当たりの感染者数が連日、過去最多を更新した。同大社は参拝前に自宅で混雑具合を確認できるよう、境内の様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」でライブ配信。12月31日~1月5日は露店を中止し、おみくじに抗ウイルスのコーティングを施すなどの感染対策を実施した。担当者は「参拝に来て、と積極的に言えるような状況ではないが、来た方には安心してもらえる環境を整備している」と話す。
家族3人で訪れた、近所の女性(52)は「家から徒歩圏内なので、毎年来ている。いつもは境内が人で埋め尽くされるが、今年は普通に歩けるほどすいている。家族が元気でいられるよう今年も見守ってくださいとお祈りした」と話した。
平安神宮では社会的距離呼びかけ
平安神宮(同市左京区)も新型コロナの感染対策で、大極殿前にロープを張り、足元に印を付けて参拝客同士の距離を保てるようにした。境内の2カ所に設置された電光掲示板では、マスクの着用やソーシャルディスタンス(社会的距離)を保つよう呼び掛けた。
1日未明には、参拝客がおみくじを引いたり、お守りを買ったりした後、境内からすぐに出て行く姿が目立った。参道には露店が並んだが、人通りはあまりなかった。帰省中の息子夫婦と参拝に訪れた西出しのぶさん(72)=同区=は「コロナ禍でも、みんなが変わりなく、元気に過ごせれば」と願った。【添島香苗、中島怜子】
川崎大師など神奈川4寺社周辺で交通規制 県警、大みそか~三が日
神奈川県警は大みそかから正月三が日にかけて、川崎大師平間寺(川崎市川崎区)、鶴岡八幡宮(鎌倉市)、寒川神社(寒川町)、大雄山最乗寺(南足柄市)の4寺社周辺で、初詣に伴う交通規制を実施する。
新型コロナウイルス感染症の影響で、最寄りの鉄道各社が大みそかから元日にかけての終夜運転をしないことから、車での来訪者が増える可能性もある。県警交通規制課は「混乱を避けるため、県警ホームページなどで規制状況をあらかじめ確認してから出掛けてほしい」と呼び掛けている。
また1月2、3日には、箱根駅伝のコースとなる国道1号や15号などで、選手の通過時に一時的に規制を行う。
絶対に行っちゃダメ…特定の時間は不吉なNGスポット4選
いつもなら何気ない日常の一部分である場所でも、時間帯によっては“この世ならざる場所”として切り取られることも少なくありません。それを知らずに“間違った時間帯”に足を踏み入れてしまったとしたら―――。そこで今回は、「この時間に行ってはいけない!特定の時間に行くと不吉なスポット」をご紹介致します。
文・脇田尚揮
午後8時から午前3時の墓場
お墓参りは朝から昼にかけて行うのが一般的とされます。それにはちゃんとした理由があります。足場の悪いところが多いため、暗い中で転ぶと危険というのが建前ですが…… 実は異なる理由が。
実は、墓場には様々な霊が集まっているため、「午後8時から午前3時」の暗くなってから行くと、無念の霊を連れて帰ることになってしまうのです。そのため、肝試し感覚で夜の墓場に足を踏み込むのは、避けるべき行動なのです。
午前2時から午前4時の地鎮地蔵
お地蔵さんは、その地域の鎮魂のために置かれることが多いため、供養を求める霊が集まっています。たいていのお地蔵さんは石でできているため、無形物や霊魂の寄り代になりやすいのです。もちろん、昼間なら何の変哲もないただの地蔵でしょう。
しかし、午前2時から午前4時の丑三つ時前後は、注意するようにしましょう。特に、合掌して頭を下げるのは危険。自殺の名所や事故が起きやすい場所にお地蔵さんは立っていることも多いため、地縛霊に憑りつかれる恐れが。
午前0時から午前5時の海辺の洞窟
海辺近くの洞窟は、どこかミステリアスな印象が漂っていますよね。流れる海水と、そこにある底の見えない闇が広がる穴。昼に恋人とデートするには素敵なスポットでしょう。しかし、そこは死者の霊たちの吹き溜まりであることが多いので要注意な場所。海で亡くなった無念の霊は、海辺の洞窟の中に集まりやすいのです。
もしも午前0時から午前5時の間に、そこに入ってしまったらたくさんの霊をずっしりと背負ってしまうでしょう。もしかすると海の中に引きずり込まれるかもしれませんよ……。
午後4時から午前4時の神社・仏閣
神社やお寺への参拝時間は決められていることが多く、午後4時には閉館されるのが一般的です。しかし中には夜に参ることが可能な(管理者のいない)神社もあります。しかし夜の神社には、神様ではなく別の低級霊や動物霊がいる場合も少なくありません。夜の神社が“丑の刻参り”など呪いや呪術を行う場所としても使われるのは、そういった意味もあるのです。
午後4時から午前4時の夜分、気まぐれに訪れるのは絶対に避けましょう。
“逢魔が時(おうまがとき)”という言葉をあなたは聞いたことがありますか? これは日が暮れて闇夜が訪れる時間帯を意味する語です。別名「大禍時(オオマガトキ)」と表記する場合もあり、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に出会うまがまがしい時刻とされるものです。普段の日常の裏側には必ず異形の非日常が潜んでおり、そこに迷い込んでしまうということは、もう戻れないということを意味しているのかもしれません……。
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「密」避ける初詣、神社もお寺もあの手この手
新型コロナウイルスの感染拡大は、新年の初詣の光景も大きく変えそうだ。
「密」な場をつくるわけにはいかないが、参拝には来てほしい――。各地の神社やお寺はあれこれと知恵を絞っている。(木村浩之)
大みそかから元日にかけて終夜参拝の中止を決めたのは、明治神宮(東京都渋谷区)だ。今年は12月31日午後4時で門を閉め、1月1日の開門は午前6時を予定しているという。
成田山新勝寺(千葉県成田市)では、参道3カ所に大みそかから1月末ごろまでライブカメラが設置される。今年の三が日には約318万人が訪れた。同じ混雑を繰り返すわけにはいかない。カメラのライブ映像を市観光協会のホームページで流し、混雑状況を見て参拝の参考にしてもらう。
さらに1月12日から1カ月間は、市内の対象店でキャッシュレス決済「PayPay」を使うと、購入金額の約2割のポイントを付けるサービスをおこなう。混雑する三が日や成人の日前後ではなく、1月中旬以降の来訪を促すためだ。
武蔵一宮(むさしいちのみや)氷川神社(さいたま市)では、参拝時期をずらしてもらおうと、11月下旬から破魔矢や干支(えと)の絵馬を配っている。全国に約280社ある氷川神社の総本社。例年、三が日には200万人以上でにぎわう。ビラやホームページで呼びかけたかいもあって、高齢者らが早くも訪れて買っていくという。広報担当者は「みなさん時期をずらしてくれている。新年もそうなってほしい」と話す。「関東の3大師」と呼ばれる佐野厄よけ大師(栃木県佐野市)では、郵送によるお札やお守りの申し込みが例年より増えているという。
神戸市の中心部にある生田神社は、おみくじにスマートフォンを活用する。「多くの人が触れる木製の筒を使わないことで感染拡大を防ぎたい」と担当者。参拝客がQRコードなどをスマホで読み取り、表示された番号を授与所で告げ、紙のおみくじをもらう。
諏訪神社で大鏡餅づくり 長崎市
年末恒例の大鏡餅づくりが27日、長崎市上西山町の諏訪神社であった。
毎年行われている大鏡餅づくりは今回で56回目。諫早市の小川充弘さんら、同神社の崇敬者らでつくる団体がもち米を奉納し、餅つきをしている。
この日は、神職がつきたての餅を延ばして冷まし、直径約80センチの円形に整えた。大鏡餅は2段重ねを1対用意し、30日に昆布や松竹梅などで飾り付け、31日夕方から来年1月2日午後まで同神社拝殿内の正面にお供えする。3日午前9時から小分けにした鏡餅を参拝者に振る舞う予定という。
大鏡餅づくりを担当した同神社の権禰宜(ごんねぎ)進藤紀久さん(29)は「大鏡餅を飾らないと正月は迎えられない。来年は新型コロナウイルスが収束し、良い年になるようにと思いを込めた」と話した。 (岡部由佳里)
鈴が鳴らせない初詣…コロナ禍で変わる新たな参拝方法
感染拡大が止まらない新型コロナウイルス。2021年の初詣を前に多くの参拝客を迎える宮城県内の神社では、感染対策に追われている。
「分散参拝」を強く呼びかけ
お正月と言えば「初詣」。宮城県内でも三が日には多くの人が神社を訪れ、1年の無事を祈願する。しかし、今回は「例年通り」とはいかないようだ。人が密集すれば新型コロナウイルスの感染が心配される。
県内の神社を統括する「宮城県神社庁」。今回、感染対策を呼びかける立て看板を300枚、特別発注して県内の神社に配布した。
宮城県神社庁 宮澤高志さん:
この新型コロナで心配な方も多いと思いますので、より安全なお参りをしていただければ
神社庁が強く勧めているのが「分散参拝」。三が日に人が集中しないよう出来るだけ3日間を避けて欲しいと呼び掛ける。
宮城県神社庁 宮澤高志さん:
特に三が日に集中するようになったのは明治時代からという話もあるので、混雑を避けてお参りするのがよい
「鈴緒」「柄杓」を使用禁止に 参拝はどうなる?
参拝客を迎える神社でも感染対策を徹底している。2020年、「鬼滅の刃」で一躍注目を集めた塩竈市の塩竈神社。
こちらでは接触感染を避けるため、参拝の時に鈴を鳴らすための「鈴緒」を柱に縛り付けて使用を禁止した。
塩竈神社 権禰宜 鈴木重和さん:
不特定多数の人が触れる「鈴緒」なので、今回神社では触れらないようにした。鈴は鳴らすことは出来ませんが、神様はしっかりと見守ってくださっています
参拝客が手を清める場所も例年なら「柄杓(ひしゃく)」が置かれていますが、こちらも撤去。代わりに竹に水を伝わせて手を清めてもらう。
宮城県内の神社で、感染対策が徹底
記者リポート:
境内の中にある「撫牛(なでうし)」です。手で撫でると商売繁盛のご利益があるとされていますが、こちらも感染予防対策のため撫でる事ができません
2021年の干支は「丑(うし)」なので、例年よりも撫でる人が多い年となるそうだが、神社ではこう呼び掛けている。
塩竈神社 権禰宜 鈴木重和さん:
直接、手を触れないで「心の中で撫でて」ください
さらに、お参りの後の楽しみでもある「出店」も飲食による感染を防ぐため境内には置かない方針。こうした感染対策は塩竈神社だけでなく、多くの参拝客が見込まれる岩沼市の竹駒神社や仙台市の大崎八幡宮でも行われる。
(仙台放送)
秩父・三峯神社に伝わる、普通の人は「開けてはいけない」箱の中身 「ムー」編集長×作家が語るオカルト
ミステリー雑誌「ムー」編集長の三上丈晴氏と、累計450万部「黒魔女さんが通る‼」シリーズ(講談社青い鳥文庫)が大人気の石崎洋司氏による特別対談(後編)。
石崎氏は、『陰陽師東海寺迦楼羅の事件簿1』を2020年11月に刊行。「黒魔女さん」スピンオフ企画から生まれた本書は、陰陽師の東海寺迦楼羅(とうかいじ・かるら)とヤクザの麻倉豪太郎が、昭和30年代を舞台にオカルトチックな怪事件に挑むストーリーで、「黒魔女さん」ファンはもちろん、大人も十分に楽しめる内容だ。
刊行を記念して、オカルトといえばこの人、ミステリー雑誌「ムー」編集長の三上氏と、石崎氏による対談が実現。オカルトの妖しい魅力について語った。
「ムー」編集長・三上丈晴氏(左)と、「黒魔女さん」シリーズが人気の作家・石崎洋司氏(右)
狐に憑かれて、部屋に石が降る?
石崎:四国といえば、どこに行っても狸に憑かれた狸憑きの話があるんですよね。話を聞くと、これがまたつい最近の話だと。「窓から見えるやろ? ほら、そこの角のお屋敷。あそこの○○水産の社長に、このまえ、狸が憑きよってな」とかいうわけですよ。「社長が突然生魚をくえて、塀の上に飛び乗った。狸憑きやって、呼ばれて、狸を祓いに行ったんや」とかね。ふつうにどこにでも起こっているように話すんです。
三上:四国は狸の話が多いですが、これが中国地方に入ってくると一気に狐になるんですよね。いわゆる狐憑き。狐が憑くと、その人が住んでいる家の中で、石が降ってきたりするんです。屋内なのに、突然雨のように石がバババッと。
石崎:それ、スティーブン・キングのデビュー作『キャリー』と同じじゃないですか! あれも石の雨が降ってくるんですよ。
これは、僕が直接聞いた話じゃなくて、報告例を読んだだけなんですが、狐に化かされる話があります。宮城県と岩手県の県境あたりの村で、もちろん昭和に入ってからの話です。
ある人が隣村にお祝い事があって行きました。しこたまお酒を飲んで、お土産を持って家に帰った。真夜中になると、当然昔ですから真っ暗。そしたら向こうから女の人がやってきて「兄さん兄さん、私といっしょに一杯飲まないかい?」と声を掛けてきた。
こんな田舎で、こんな夜中に女がいるわけがない、これは狐が化かしに来たにちがいないと、傍にあった太い木の枝でパコーンと殴ったんですって。
そしたらその女が「あれー」って言って倒れた。それで、「さぁ、いつ尻尾が出るか、いつ耳が出るか」って見ていたんだけど、女の姿は変わらない。
5分経っても15分経っても30分経っても1時間経っても変わらない。さすがに酔いも醒めてきて、これは本当に女だったんじゃないかと。
Photo by iStock
だとしたら俺は人殺しになっちまう。困った困った、どうしようと、逃げるわけにもいかず、もんもんとするうちに、やがて白々と夜が明けてきた。それでもまだ女の姿のままなんだけど、ひょっと見ると、尻尾がチョロッと出てきたっていうんですね。
子ども向けの昔ばなしの狐に化かされた話だと、葉っぱをくわえてピョーンとトンボを切って、化けたり元に戻ったりするじゃないですか。そうじゃなくて、狐に化かされるっていうのは、そんなに楽しい話じゃないんだなって感じたんです。
小説的にものすごいリアリティがあるじゃないですか。化かされるっていうのは本当にそういうことなんだっていうので、僕はすごく感動しました。
送り狼は女の子を襲わない?
三上:狐や狸に憑かれる話は、関東になると狼になるんですよね。秩父の三峯神社のあたりですね。よく、失せ物を探すなら三峯っていうんですが、これはそんな失せ物探しをお願いした人の話です。
ふつう、ご祈祷してもらったらお札をもらうじゃないですか。でも、三峯のおもしろいのは、お札をもらう時に、「表ですか? 裏ですか?」って聞かれたらしい。
表っていうとふつうに売っているお札をくれる。でも、裏って答えると、箱を持ってきて、「絶対開けるな」と渡してくれる。開けるのがいけないだけじゃなくて、下に置いてもいけない。家に帰って神棚に置くまで、ずっと持っていないといけない。
それをもらって神社を後にすると、道すがらザザザザッ、ザザザザッと何か獣がついてくる気配がする。で、家に帰って神棚に置くと、何かゴソゴソッと生き物が入っているような音がしたっていうんです。
その人の家は工務店で、すごく良い道具が無くなったので、三峯に行ったらしいんですけど、そしたら次の日、従業員が盗んだことを白状したらしいんです。失せ物には効いたらしい。実物は見たことがないんですけど、三峯に行って裏って言えばもらえるのかなって思っているんです。
三峯神社 Photo by iStock
石崎:民俗学では、狼は下に置いてはいけない存在とされていますね。狼は猛獣ではあるが、良い存在でもある、と。
ただ、狼と対面したときは、転んではいけないらしい。転んだ瞬間、狼にとっては、餌になるそうです。だから絶対に転んではいけない。道で狼と出会っても、転ばなければ後をついてくるだけで何もしない。
逆にいうと、転ばないで家まで帰ってくると、それは、狼が守りながらついてきてくれたということらしんです。それを「送り狼」というんです。だから、今の「送り狼」という言葉の使い方は違うんです。女の子を襲っちゃう「送り狼」とは違って、逆に守るんです。
狼は霊験あらたかな存在と考えられていたので、狼の巣で赤ちゃんが生まれると、必ずお赤飯などをお供えに行くっていうのをやったらしいです。
狼はもういなくなりましたが、いまでも似たような風習が表に出てこないだけでどこかに生き残っているかもしれませんね。現在では恐ろしいもの、邪悪なものとされているものが、実は神聖な存在だったというのは、世界共通なんですね。
なので、地元に行ってつぶさに調べてみると、そんな昔の思想が残骸があったりする。そういうところはおもしろいし、そんなことをチョビチョビ蘊蓄風に入れながら物語を作っていきたいと思いますね。2巻目は、この秩父のあたりを舞台にしようと思っています。
旧日本軍のトンデモ科学兵器
三上:秩父のあたりが舞台なら、狼がでるんですかね?
石崎:まだ、わからないですが、そこでまた外国のネタと絡めながら書こうかなと。日本の読者、特に若い読者って、和物のファンタジーってあまりウケないんですよね。
三上:まだ陰陽道には、西洋魔術っぽい何かポップな部分がある。
石崎:ありますね。星をあつかったり、ネタが西洋と協調している。
五芒星は東西共通のシンボル Photo by iStock
三上:思想的には同じですからね、陰陽道は完全に。
石崎:だから今回も、外国ネタをチラホラ入れましたけども、次回も入れたいですね。
三上:今回の本に、戦時中の日本軍が、霊力を使った兵器を開発するエピソードがありましたが、軍部はこういうオカルトをガチでやっていたみたいですね。下手したら今もやっているのかも。でも、それは日本だけじゃなく、アメリカもロシアもやってるんじゃないかな。軍部とオカルトは親和性があるのかも。
石崎:そこも世界共通というか、冷戦の時代には、宇宙競争のように旧ソ連とアメリカで、いわゆる心霊兵器をお互い開発し合っていたという話がまことしやかに伝えられていますよね。
フィリップ・K・ディックの『ザップ・ガン』っていうSF小説は、まさにそれを扱っていて、お互いが霊能力で兵器を作るんだけども、途中でお互い霊能力があるので繋がっちゃう、で、最後はいっしょにエイリアンをやっつける兵器を開発するっていうよくわからない小説なんですけども。
三上:スパイ同士が手を組むみたいな。
石崎:そうです。今回は使わなかったんですが、太平洋戦争のとき、軍部をまきこんだ製鉄詐欺みたいな事件があったらしいんです。
鉄鉱石も溶鉱炉も必要なく、砂鉄を集めてアルミニウムといっしょに燃やすだけが鉄ができるって話なんですが、それが海軍から政府に伝わって、あげく、衆議院で東条首相がこの製鉄法で大戦をまかなうべき鉄には不自由しないと演説して、議員が拍手喝采するまでになっちゃった。
これを知った物理学者があわてたそうです。
たしかに、その方法で鉄はできるけれど、それには鉄より貴重なアルミニウムを鉄の量の十倍くらいが必要になる。それじゃあ、一台の戦車をつくるのに飛行機を百機つぶすようなものだって、訴えたって話が残っています。
そんな、いわゆるトンデモ科学みたいな企画が、まじめに軍部や内閣に通ってたんですよね。
三上:ドイツなんかもっとやってたんじゃないですかね。
石崎:そういう嘘みたいな詐欺みたいな話があるから、この時代は面白いです。次回作にも生かしていきたいですね。
三上:楽しみにしています。
石崎洋司(いしざき・ひろし) 1958年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒。作家。『世界の果ての魔女学校』(講談社)で野間児童文芸賞受賞。「黒魔女さんが通る‼」シリーズ(講談社青い鳥文庫)は累計450万部の大人気シリーズ
三上丈晴(みかみ・たけはる) 1968年、青森県生まれ。筑波大学卒業後、学習研究社に入社。入社1年目から「ムー」編集部に配属。05年に5代目編集長に就任。テレビ、ラジオ、ネット動画などでも活躍している。(*「ムー」は現在、ワン・パブリッシング発行)「ムー」公式サイト
初詣のお賽銭、縁起のいい語呂合わせ、よくない語呂合わせはこれ!
初詣のお賽銭。いったいいくら入れたらいいのか、悩んだことはありませんか? 少ないのも失礼な気がするし、かといって高額すぎてもよくない気がします。お賽銭を入れるときの基本作法や、お賽銭の縁起のいい語呂合わせ、よくない語呂合わせを紹介します。
■賽銭を入れるときの作法
神社によって作法は異なりますが、基本的には以下になります。参拝前に、訪れる神社の参拝手順を調べておくといいでしょう。
(1)賽銭箱の前に鈴があれば、最初に鈴を鳴らしてください。音を出すことで、まずは参拝に伺ったことを神様に知ってもらいましょう。
(2)会釈をし、賽銭箱にお賽銭を入れます。
(3)二礼二拍手一礼の作法で拝礼。
(4)会釈をしてから退きます。
■お願いごとをするのではなく、自分の住所と名前を伝える
お賽銭を入れた後は、自分の住所、名前を始めに伝えましょう。お願いごとはせず、こさせていただいたことに感謝をするのです。混んでいるときはお賽銭を投げ入れがちですが、よくありません。できるだけ前に行き、静かに入れるようにしてください。紙幣を入れる場合は、あらかじめ白い封筒に入れ、住所と名前を書いて賽銭箱に入れるといいでしょう。お賽銭の縁起のいい語呂合わせ
縁起のいい語呂合わせはこちら。ゲンを担いで、語呂合わせでお賽銭を投じるのもいいでしょう。
・5円……「ご縁(5円)があるように」
・15円……「一重(ひとえ)にご縁」
・25円……「二重(にじゅう)にご縁」
・45円……「始終ご縁があるように」
・5円玉2枚………「重ねてご縁があるように」、
・5円玉3枚……「十分なご縁があるように」
お賽銭に5円玉を使う人が多いようですが、本気で願いたい場合は、5がつく小銭の中で一番高価な「500円玉」もオススメです。
■お賽銭の縁起のよくない語呂合わせ
これらの金額は避けたほうが無難です。
・10円(10円玉1枚)……「遠縁(10円)になる」
・65円「ろくなご縁がない」
・75円「なんのご縁もない」
お賽銭は、神様や仏様に日頃の感謝を伝えるためのものです。金額によって、いい悪いはありません。これまでの感謝の気持ちを持って納めましょう。
(明石実夕)
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3密を避けて参拝を…「初詣での基本のお作法」をおさらい
コロナ禍で迎える、例年とは違ったお正月。毎年の初詣でを楽しみにしている人も多いが、3密状態を避けるため、三が日ではなくタイミングをずらすことも検討しよう。京都を中心に年間100件以上の神社ツアーでガイドをしている神社探究家の浜田浩太郎さんに、初詣でで神社参拝をする際に気をつけるべきことについて教えてもらった。
■初詣で大切なことは何でしょうか?
新年を迎えて、神々に旧年の感謝をし、新年の誓いを宣言するという気持ちが大切です。祈りは「意宣り」とも言われ、自分の意志を神々の前で宣言することを表します。特に、初詣と呼ばれる新年の参拝では、この意宣りが重要なのです。
■初詣でならではの作法はあるのでしょうか?
初詣では人が多くてどうしても混み合い、ゆっくり参拝できず、お賽銭を遠くから投げ入れなければならないことも生じますが、参拝の作法はふだんと同じです。ただ、新年ですから、なるべくきちんとした格好を心がけましょう。ジャージなどの部屋着や、着古した服は新年にふさわしくありません。
■神社での参拝方法を改めて教えてください。神社の前に到着したら、鳥居の前で一礼します。本来、参拝前に手水舎で身を清めますが、コロナ禍の昨今では、多くの神社が手水舎を閉鎖しています。ですので、多くの場合そのまま参道に進むことになるでしょう。参道は神様の通り道なので、真ん中ではなく、なるべく端を歩きます。神前では、二拝・二拍手・一拝の作法でお参りします。帰りは拝殿に向き直り、一礼をしてから鳥居を出ましょう。
■おみくじは引くべきでしょうか?
おみくじは、神々からの心のメッセージとも言われます。新年最初の神々からの心のメッセージは、その年の生き方や行動へのアドバイスとも言えるため、引いてみるといいかもしれませんね。新年早々、凶や大凶のおみくじを引いても、落ち込むことはありません。「これ以上は悪くならない。今を出発点として頑張りましょう」というメッセージなので、これから運気は上がっていくものです。
■新年ならではの縁起物はどんなものがありますか?
縁起物の代表的なものは、「魔を撃ち破る」という意味を持つ破魔矢があります。魔を滅ぼし平和をつくり出す神々の霊力が宿っている武器です。お札やお守りなども含めて縁起物は、神々の新しい霊力をいただけます。授与された縁起物はご家庭に持ち帰り、神棚、床の間、玄関、リビングなどに飾りましょう。破魔矢の場合は、矢の先を天に向けない、なるべく頭上より高い位置に置くことがオススメです。
■コロナ禍だからこそ気をつけたほうがいいことは?
3密を避けたいところですが、三が日は人が集中してしまうかもしれません。タイミングをずらすなどして、人混みを避けるようにしましょう。参拝中止、入口で入場禁止などの対策をとるケースも考えられるので、事前に神社のホームページなどできちんとチェックしてください。今年は異例のお正月ですので、神社にわざわざ出向かず、氏神様のある神社の方向に向かって、頭を下げて祈る「リモート参拝」でもいいかもしれませんね。
新型コロナウイルスの感染拡大が広がるなか、初詣でも、新しい様式で向き合おう。
大しめ縄掛け替え 参拝客見守り迎春準備 福岡・宮地嶽神社
福岡県福津市の宮地嶽神社で19日、シンボルの巨大しめ縄を掛け替える「おおしめ祭」があった。正月を迎えるための年末の風物詩で参拝客らは真新しいしめ縄の掛け替えを見守った。大しめ縄は長さ11メートル、重さ約3トン。氏子ら延べ約1500人が、神田からとれたワラを使い今秋から2本の大縄を製作。例年は2本を境内に持ち込んでより合わせるが、今年は新型コロナウイルス対策で祭の前に作業を終えた。
神事の後、神職や氏子ら約50人が重機を使って最大直径約2・6メートルのしめ縄を本殿に据え付けた。氏子らは「来年はコロナが終息し平穏な年に」と作業に取り組んでいた。
宮地嶽神社はコロナ対策で全国の神社に先駆けてオンラインによるお祓(はら)いをするほか、密集を避けるため分散参拝を呼びかけている。【前田敏郎】
住吉神社「ふく娘」福岡市役所を訪れ幸福祈願
住吉神社(福岡市博多区)の「ふく娘」を務める浜崎和佳さん(22)ら3人が18日、福岡市役所を訪れ、高島宗一郎市長に「えびす大熊手」などの縁起物を贈り、来年の幸福を祈願した。
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ふく娘が参加する行事はほとんど中止に。毎年11月ごろに行われる公募も取りやめとなり、浜崎さんは来年も務めることになった。
浜崎さんは、高島市長にお神酒やお守りなども贈呈。「コロナでできないことを嘆くのではなく、じゃあこうしようと発想の転換を学べた一年でした」と前向きだった。
【京都】おさえておきたい大定番の神社仏閣5選!モデル・本山順子が巡るおすすめスポット
日本の古都・京都には、無数の神社仏閣が存在します。それぞれに歴史があり、見どころも盛りだくさん。そこで今回は、京都巡りに欠かせない、大定番の神社仏閣をご紹介します。モデル・本山順子が神社仏閣、教会や寺院を国内外問わずご紹介する連載よりお届けします。
1.時代を経て語り継がれる文化に魅了される、世界遺産〈銀閣寺〉
お土産屋さんが立ち並ぶ緩やかな坂道をしばらく進むと、〈銀閣寺〉の総門が見えてきます。〈銀閣寺〉は鎌倉編で訪れた〈報国寺〉と同じ臨済宗ですが、〈報国寺〉は建長寺派で、〈銀閣寺〉は相国寺派。臨済宗は他にもたくさんの派閥があり、禅宗の1つとして知られています。総門を抜けると立派な「銀閣寺垣」がおよそ50mに渡り続いています。幾重にも重なった椿や竹、樫の生垣から四季の風情が感じられ、とても趣ある参道。心がシンと静まっていくのが感じ取れます。
〈銀閣寺〉は当時女禁制であった”苔寺”としても有名な〈西方寺〉を模して造られているそうで、足利義政が「どうしても母に見せたい」という一心で、自ら作庭指導をしたのだとか。侘び寂びの美しさを世に広めた「東山文化」。時代が移り変わっても、その心を感じ取れるとても良い参拝となりました。茶道や華道、建築などの文化を愛し、手厚く支援したことで知られる足利義政は「観音殿」の完成を見ずに亡くなりました。その命が尽きるまで全身全霊を注いだ庭園は、これからも訪れる人たちの心を魅了し続けるでしょう。
2.世界最大の木造建築、御影堂は圧巻!浄土真宗「真宗大谷派」の本山〈東本願寺〉
京都駅から徒歩7分のところにドドン!と現れる御影堂門。これは気にならずにはいられません!手前に停まっているタクシーと比較していただければその大きさがお判りいただけると思うのですが、とにかくすんごい迫力なんです。御影堂門をくぐる前に周辺を散策してみると、〈東本願寺〉の塀の側には「法語行灯」という気になるものを発見。これがまた読みながら歩いていると全部読破したくなってしまうほど一つ一つが考えさせられるようなありがたいお言葉ばかり!
〈東本願寺〉は江戸時代に4度の火災にあっており現在の建物は明治時代のものですが、2008年に御影堂は大規模修復が行われています。その総工費はなんと98億円!瓦の総数は175,967枚という途方もない数です。そのうちの三割は再利用された瓦が用いられています。御影堂に向かって左側の阿弥陀堂には、御本尊である阿弥陀如来さまが安置されています。実はこちらが本堂なんです。建物の大きさ的には御影堂の半分ほどしかありませんが、それでもかなりの大きさ!御影堂と阿弥陀堂の堂内には絢爛豪華な彫刻や装飾が施されており、こちらも必見です。
境内をぐるりと見渡すと、鐘楼の先には〈京都タワー〉が!〈増上寺〉と〈東京タワー〉のように、時代のコントラストがとても不思議な気分へ誘ってくれます。いつか〈京都タワー〉からの〈東本願寺〉も眺めてみたいものです。
3.癒し空間でいただくお茶スポットも必見!静かに佇む〈三千院〉
京都市街地からバスを乗り継ぎ1時間、15分ほど新緑の美しい山道を登ったところに、静かに佇む〈三千院〉。ちょっとしたハイキングののち、目に飛び込んできたのはまるで城壁のような石垣。それもそのはず、こちらの石垣は築城で名高い安土桃山時代に活躍した石垣職人である”穴太衆”が築いたものなのだそう。重厚感のある御殿門をくぐり受付を済ませ大玄関へと進みます。客殿へ入り中書院を回ると、宸殿から庭園に抜けるのですが、目の前には池泉回遊式庭園である「有清園」が広がります。ここは極楽浄土かと見まごうような静かで穏やかな空気が庭園を包み込み、そっと心が解きほぐされていくのがわかります。
国宝「阿弥陀三尊像」の金色のお姿にただただ圧倒されつつ、手を合わせると、不思議と気持ちがシン…と静まるような慈悲深さを湛えていらっしゃいます。現在、肉眼ではなかなか見ることが難しいのですが、当時の堂内の天井には極楽浄土に舞う天女や菩薩様の姿が極彩色で描かれていたそうで、いかにこのお堂が大切にされていたのかが見てとれます。天井画は復元されてものを展示室で拝見することができますよ~!こちらも必見です。
今回ご紹介させていただいたのは、〈三千院〉の境内の半分程。有清園の先には「あじさい苑」「金色不動明堂」「観音堂」へと、道はまだまだ続きます。また、秋の〈三千院〉は紅葉の名所でもあります。喧騒から離れ思い切り心身を癒しに”しずかな、京都”へ足を運んでみてはいかがでしょうか?それではみなさまも良い参拝を~!
4.自分の人生をそっと見つめ直す。尼寺〈寂光院〉
〈三千院〉から徒歩30分ほどのところにある〈寂光院〉にお邪魔してまいりました。どこか懐かしさを覚える山道をしばらく進むと、静かに佇む〈寂光院〉が現れます。〈三千院〉から一度バス停まで下り、〈寂光院〉まではだだっ広い草原をのんびりお散歩気分で歩いて行きます。道のいたるところに「大原女の小径」という看板が立っており、可愛らしい石像さんが道案内してくださいますよ~。
〈寂光院〉の草創については明確なことがわかっていないそうですが、寺伝では推古天皇2年、594年とも伝わっているのだそう。途轍もない古いお寺なんですね~!それもそのはず、なんと開基は聖徳太子!父である用明天皇の菩提のために開創したと伝わっているのだとか。そして、この連載では初めて訪れる”尼寺”なんです!本堂の中は撮影できないため写真はありませんが、女性の住職さんがお寺の成り立ちを丁寧に説明してくださりました。
とても悲しいことに、ここ〈寂光院〉は2000年に放火のため本堂と、国の重要文化財であった御本尊「六万体地蔵菩薩」を焼失してしまいました。ですが、小松前住職の「すべて元の通り」の言葉通り、入念な調査の元5年の歳月を経て再建されました。新しい御本尊を拝ませていただきましたが、白く透き通るような穏やかなご尊顔でした。前住職は本堂の完成を見ることなくお亡くなりになられました。
境内には諸行無常の鐘が懸かっています。『平家物語』のテーマでもある”諸行無常”がシンと心に響きわたるような〈寂光院〉。今までの人生をそっと見つめる時間が流れる素晴らしい参拝となりました。
5.清らかな空間に、身も心も癒される。水の神様を祀る〈貴船神社〉
京都市街から電車やバスを乗り継いでおよそ1時間半。前日は元祖・川床発祥の老舗料理旅館〈貴船ふじや〉にて宿泊をし、川床で涼みながら山の幸に舌鼓。その〈貴船ふじや〉の目の前に〈貴船神社〉の鳥居があります。灯篭に火が灯って、夜の参道もとっても風情があります。〈貴船神社〉は伊邪那美命(イザナミ)の子どもである「高龗神(たかおかみのかみ)」が御祭神。水を司る神様です。
他の神社ではあまり見かけない場所にしめ縄を見つけました。石垣からこんこんと湧き出る御神水が葉っぱを伝い滴り落ちて、なんとも涼しげな音を奏でています。そして御神水におみくじを浮かべて占う「水占みくじ」。水におみくじを浮かべると…あら不思議!文字が浮かび上がってきます。水を司る神様を祀られている〈貴船神社〉ならではですね~。御神水で占っていただけるなんて、なんだか贅沢な気持ちになります。また、〈貴船神社〉は”絵馬発祥の地”とも言われており、降雨を祈願する際には「黒馬」、止雨を祈願する際には「白馬」または「赤馬」を奉納していました。ですが平安時代に簡素化され、板に馬の絵を描いた「板立馬」を奉納するようになり、これが絵馬の原型になったのだそう。
そして、ここ〈貴船神社〉にきたら絶対にいただいてほしいのが「御神水ラムネ」。言わずもがな、あの御神水で作られたラムネなんです。貴船がいくら涼しいとは言っても真夏!火照ったカラダにシュワーッと水々しいラムネが染み渡り、生き返りました。
(photo&text:Junko Motoyama)
モデル・本山順子が全国の神社仏閣をナビゲート!連載『本山順子の迷子のお守り。』
モデル・本山順子が神社仏閣、教会や寺院を国内外問わずご紹介する本連載。神社仏閣や教会の建築物の美しさや成り立ち、歴史を知ることにより、街歩きがより一層楽しいものになるはず。そんな街歩きにそっと寄り添う、お守りのようなコラムを届け。連載まとめページはこちらから。
神奈川・三浦の伝統芸能「面神楽」 海南神社本殿前で初めて奉納
三浦市指定重要無形民俗文化財の伝統芸能「海南神社面神楽」が13日夜、三浦市三崎の同神社で奉納された。
同神社に伝わる面神楽は、主に日本神話を題材に演じる仮面黙劇の神事。例年2日間にわたって行われるが、今年は新型コロナウイルス感染症防止のため一般公開せず、本殿の前で2演目だけ舞った。
バチと太鼓のリズムに乗り、同神社の面神楽保存神楽師会メンバーが国家の安泰などを願う「国固め」と獅子舞を奉納した。湊不二雄会長は「本殿の前で奉納するのは初めて。来年は新型コロナも収束し、神楽殿で披露したい」と願っていた。
【開運のコツ】私は霊感高めの視える人…さらに力を高める方法はありますか?
“視える”人気占い師・流光七奈さんが、堅実女子の悩みにお答えし、開運にまつわるアドバイスをする連載です。
今回の相談者は、橋本沙幸さん(仮名・30歳・IT関連会社勤務)。
「幼いころからカンが鋭いと言われてました。母が無くした印鑑の場所を当てたり、親戚が亡くなることを当てたりしていました。
成長するにつれて、カンは当たらなくなったのですが、最近、また少しその力が復活してきたのです。
“この場所、気持ち悪い”と思ったら、交通事故があった場所だったり、引っ越しの時に内見に行って、気分がすぐれなくなってしまったと思ったら物件の向いが自死現場だったりと、いろいろあるのです。
この霊感のようなものを強めていき、安定的に使いたいのですが、そのためにはどうしたらいいでしょうか」
流光七奈先生のアンサーは次のページへ
人間は昔から「虫の知らせ」「第六感」というように、目に見えないものを察知する能力があります。
すんでのところで交通事故を回避できたり、0.1秒の差で難を逃れたりできるのは、この力があるからなのかもしれません。
この力を意図的に上げるには、“視える人”と一緒にいると、高まる傾向があるようです。
私のアシスタントの女性も、全く“視える力”はなかったのですが、最近は、さまざまな予知能力のようなものが高まってきました。
ご相談内容に、あなたは幼いころに“視える力”をそもそも持っていて、成長と共に消えたけれど、ここ最近、再び高まってきた……とあります。おそらく、あなたの近くにいる人が“視える力”を持っているから、共鳴したのかもしれませんね。
しかし、少々気になるのは、あなたが悪いものを“視て”閉まっていることです。確かに、悪いもののほうが、違和感があるのですが、悪いことばかりを考えていると、そちらの方向に引っ張られてしまい、邪気のようなものに絡めとられてしまいます。
「私は霊能者だ」と言い、自死の現場や怨念のこもったものを“障りがある”、“祟りがある”などと言う方もおります。彼らの力は強く、受け手としては「すごい方だな」と思います。その方々には、その悪い力を浄化・昇華させる力があるからこそ“視える”ことで、魂を助けることができるのです。
ただ、その浄化には学びや経験が必要です。その力がないないまま、悪いものを“視て”しまうと、悪い方向に引きずられてしまう可能性があります。
あなたは、これからよいものを“視て”、よいことを感じてみてはいかがでしょうか。すると、察知する能力がさらに高まり、あなたの力を、自分自身を幸せにし、周囲の人をも幸せにすることに、使えるはずですよ。
パワースポットに行き、霊感が目覚める人も少なくない。
■プロフィール開運の賢人 流光七奈
りゅうこう・なな……視える占い師。幼少より様々な相談を受け、潜在意識レベルの癒しと解決策を提供してきた。近年は、この特殊能力と経験をロジカルに可視化し、心理オントロジストとして個人鑑定の枠を超え、占い師や経営者のコンサルティングも行なう。自身も実業家であるため、経営者や政治家からの相談も多い。雑誌の占いコーナーをはじめ、数多くのメディアで活躍、大手占いアプリ(LINE占い・Yahoo! 占い・ameba占い) では人気ランキング1位の三冠女王に。著書に『ダンナさまは幽霊』シリーズ(イースト・プレス)、『厄除け・開運・パワースポット ニッポンの神社2019‐2020』(主婦の友社)、『裏ホロスコープ占星術』(実業の日本社)など。株式会社ラウレア代表。公式HPはhttps://nana-healing.com/
正月大祭「福引」など中止 福岡・十日恵比須神社
十日恵比須(えびす)神社(福岡市博多区、野上清隆宮司)は9日、総代会を開き、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、来年の正月大祭(1月8~11日)での「福引」などにぎわい行事を中止することを決めた。参拝客への感染対策を徹底し、神事のみを行う。神社によると、神事以外の行事中止は戦後初めてという。
福博の新春の風物詩・正月大祭(通称・十日恵比須)には期間中、商売繁盛や家内安全などを祈願する参拝客約100万人(神社発表)が訪れる。名物の「福引」で当たる縁起物を求めて毎年、長い行列ができる。
民踊や詩吟など奉納行事も全て中止されるため、大祭に花を添える博多券番の芸妓(げいぎ)衆の「かち詣(まい)り」(1月9日)は行われない。露店は神社敷地外のため出店は未定という。野上宮司は「神事のみの開催となり、とても残念。マスクを着用し、検温して参拝に来てもらえれば」と話した。 (手嶋秀剛)
明智光秀の霊を祀る「御霊神社」、サンコー「折りたたみスリムスーツケース」
安倍晋三前首相が靖国神社を参拝
安倍晋三前首相は19日午前、靖国神社(東京・九段北)を参拝した。
自身のツイッターに「本日、靖国神社を参拝し、今月16日に内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と写真を添えて投稿した。
安倍氏は首相在任中、平成25年12月26日に1回だけ靖国を参拝している。
神社が被害…樹齢200年“ご神木”倒れる
大型で強い台風10号は九州を中心に被害をもたらし、これまでに少なくとも76人がケガをしています。神社に大きな被害がでた福岡県糸島市から現在の様子を伝えます。
福岡市内から車で1時間ほど、福岡県糸島市にある雉琴神社です。1700年という長い歴史のある神社ですが、今回の台風で壊滅的な被害を受け、本殿は大きく壊れてしまいました。手前にある太い木は、20メートル以上の高さがあるけやきです。樹齢200年以上というけやきは「ご神木」として地元の人に愛されてきましたが、強風によって倒れてしまいました。
糸島市では7日、最大瞬間風速31メートルを観測しました。神社の宮司は「自然災害なので仕方がないが、被害の大きさにはがく然とした」と肩を落としていました。
倒れたご神木の処理や本殿の再建については、まったく見通しが立たない状態だということです。
熊野速玉大社、阿蘇山火口など「健康」のパワースポット
ただでさえ熱くて体調を崩しがちな夏。さらに、今年は新型コロナウイルスもあり、心配な面も少なくない。せめて健康運だけは上げておきたい…などと思う人も多いだろう。そこで、風水師の暁玲華さんに、健康運がアップするパワースポットを紹介してもらった。
熊野速玉大社(和歌山)
澄み切った境内のすがすがしさは、神の気にふれて光を取り戻せるきっかけになるでしょう。神社に由縁のあるナギの木は、葉脈がまっすぐで、邪気を祓う葉として有名で古代から蓑の裏などにさしてきたそうです。周辺の神倉神社は熊野三社の本宮ですが、違った雰囲気で重みがあります。
熊野神社は火に関係する神社ですが、この神社は風の神社のように、気を和らげ精神的なストレスをとってくれます。神仏習合の熊野権現信仰は、熊野速玉大神様が病気を治す薬師如来様にお姿を変えられたことから、病気平癒、身体健勝の御利益があります。
住所:和歌山県新宮市新宮1番地
阿蘇神社・阿蘇山火口(熊本)
火の最大のパワースポットは阿蘇山で、大地のエネルギーで体の気が強くなるでしょう。また火口は寿命を延ばす命の泉があり、女神が司っているといわれてきました。病気の体に火の神気を通すような熱さを感じられることが、効果の現われ。阿蘇神社は熊本地震で被害を受け、大変なことになりましたが、大地の神と通じているので、人の体や血などに恩恵を与えてくれます。(8月4日現在噴火警戒レベルが2のため火口には近づけません)
住所:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
狭井神社(奈良)
病気平癒や健康長寿の神様として全国からあがめられ、境内にある「薬井戸」では古くより病気、けがの治りが早まると信仰される「御神水」がいただけます。大神神社の御神体である三輪山の入山口でもあるので、古代からの聖地として最も古い類のパワースポットといってよいでしょう。病気の人が神頼みをするナンバーワン神社です。
住所:奈良県桜井市三輪1422
【プロフィール】
暁玲華/あかつき れいか。古神道研究家、スピリチュアルアーキテクト。パワースポット研究の第一人者として、パワースポットに関する著書やムックの監修など、主に全国の神社を紹介し雑誌やラジオ、講演などで活躍している。神道の研究を通じて、霊視鑑定や風水、日本の古代史まで幅広いジャンルに携わる。近著に『幸運は「準備している人」に訪れます』(三笠書房)がある。
※女性セブン2020年8月20・27日号
広島県、世界遺産で無許可伐採 宮島・弥山原始林、樹木33本
広島県は24日、世界遺産・厳島神社がある宮島(同県廿日市市)の弥山原始林で行った登山道の修繕の際に、文化財保護法で定められた現状変更の許可を文化庁長官から得ないまま樹木33本を伐採していたと発表した。県は連携不足が原因の不適切な対応だったと謝罪した。
弥山原始林は世界遺産の登録地区内にあり、国の天然記念物にも指定されている。県は文化庁の指示を受け、伐採現場の植生復元に取り組む方針だが、少なくとも数年単位の時間がかかる見通し。文化財保護法違反の可能性があるとして、県警にも相談している。
県などによると、樹木は登山道の脇に生えていたアラカシやカエデなど。
香取神宮に液体がまかれたようなシミ 千葉
千葉県香取市の香取神宮で液体がまかれたようなシミが見つかり、警察が捜査しています。
香取神宮によりますと20日早朝、拝殿の扉を開けようとした神社の職員が階段に液体がまかれたようなシミがついているのを発見しました。
シミはほかにも参拝者が口や手を洗う手水舎など少なくとも5か所で見つかったということです。
防犯カメラには先週19日夜、傘をさして何かを持った30歳から40歳くらいの男が手を振る姿が映っていたということです。
香取神宮は5年前にも十数か所に油のような液体がまかれる被害に遭っていました。警察は器物損壊の疑いで捜査しています。
八王子市と国、代執行でご神木伐採 周辺道路に枝葉、指導22回も神社側応じず
東京都八王子市北野町の神社「天満社」の木の枝が境内からはみ出して周辺道路の安全を妨げているとして、同市と国土交通省関東地方整備局相武国道事務所は20日、はみ出した木の枝の伐採と撤去を始めた。行政代執行法に基づくもので、神社側は再三にわたる市などの撤去を求める指導に応じなかったという。【野倉恵】
現場は、神社境内のけやきなどの枝葉が周辺道路に覆いかぶさるようにはみ出している。西側は国道16号に最長約9メートルかかり、信号機が見えにくい状態。南側も市道をまたぎ、一部は近くの児童館の敷地に達する。北側も市道にはみ出している。
道路法では、木が交通に支障を及ぼす恐れがある場合、道路管理者は土地所有者らに枝の切除などの措置を命令できる。2017年ごろから住民らの苦情が相次ぎ、市と同事務所は同年6月から神社に、口頭や文書で計22回の指導をした。市によると、宮司は電話で「きちんと管理している」「ご神木だから切れない」などと主張したという。路上に落ちた枝葉は掃除したが、はみ出た木枝は対応しなかった。市と事務所は5月下旬に行政代執行に移る戒告書を、今月16日に代執行令書を神社側に出していた。
代執行は午前8時半から市道の一部を通行止めにして行われた。市の担当者などが「代執行を行います」と宣言し、クレーン車と高所作業車計7台、市職員と作業員の約70人が作業をした。北側市道から始め、枝が電線に触れて感電しないよう気をつけながら伐採を進めた。
現場に姿を見せた宮司は市や事務所に中止を求めた。宮司は報道機関の質問には「いいです」と見解を示さなかった。作業は21日完了予定。市と国は費用約1250万円を神社側に請求するという。
【鎌倉】おすすめお立ち寄りスポット4選!神社仏閣を参拝後は、アートやお茶でひと休み。
自然豊かな鎌倉の神社仏閣。お参りに訪れるだけでも心を落ち着かせるには十分だけれど。さらに気持ちを切り替えたいなら、神社やお寺と密接したスポットへ足を運んでみませんか?そこで今回は鎌倉でおすすめのお立ち寄りスポットをご紹介します。ほんの少しの体験が、生活をより豊かにしてくれます。
1.日本で最初の本格的な禅寺で心を整える〈建長寺〉/山ノ内
鎌倉きっての禅の名刹である建長寺。毎週金・土曜16:30~17:30に坐禅会を開催している。伽藍(がらん)の奥にある方丈で行われ、厳粛かつ静寂な環境で坐禅に打ち込めば、日々のストレスから解放されるだろう。年に2回、2日間にわたり水無月・臘月(ろうげつ)坐禅会も開催。看経(かんきん)、作務、作法によった食事なども体験できる。
〈建長寺〉1253年に日本初の本格的な禅宗専門の道場として創建。三門や巨大な地蔵菩薩坐像など見所も多い。神奈川県鎌倉市山ノ内80467-22-09818:00~16:30拝観料は大人500円、小人200円。
2.お寺の先に現れる、本格的な英国式カフェ〈浄妙寺〉/ 浄明寺
鎌倉五山第五位の格式で、かつては多数の塔頭(たっちゅう)を有したという浄妙寺。本堂の大きな銅葺き屋根は風格を感じさせる。境内を抜けて坂道を上ると、驚くことにそこには美しい洋館と庭園が。〈石窯ガーデンテラス〉というそのレストランでは四季折々の美しい景色を眺めつつ、優雅なアフタヌーンティーを楽しめる。
〈浄妙寺〉神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-310467-22-28189:00~16:30拝観料は大人(中学生以上)100円、小学生50円
〈石窯ガーデンテラス〉神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-500467-22-8851162
3.おいしい抹茶でゆったりと〈安国論寺〉/大町
安国論寺は大町に位置する寺院で、日蓮宗の開祖、日蓮聖人が最初に庵を結んだ場所に建てられ、主著『立正安国論』を執筆した御法窟が現存することで知られる。境内に咲く花や富士見台からの眺めを楽しんだ後は、茶席で谷戸を眺めつつお抹茶480円(蓮の実甘納豆と和三盆付き)を。鎌倉散歩で疲れた体に、優しい味わいが染み渡る。
〈安国論寺〉天然記念物指定の妙法桜やサザンカ(樹齢350年)のほか四季折々の花が見られる。 神奈川県鎌倉市大町4-4-180467-22-48259:00~16:30 月曜(祝日は除く)は閉門。拝観料は100円。
4.名建築の美術館が魅せる神社と近代建築の融合〈鶴岡八幡宮〉/雪ノ下
建築家・坂倉準三が1951年に設計し、近代建築の名作として愛される〈神奈川県立近代美術館〉の旧鎌倉館。そのオリジナルの姿を残して改修を行い、継承されたのが〈鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム〉だ。随所に日本の要素を取り入れることで、モダニズム建築でありながら境内に立っていても周囲の環境にきちんと溶け込んでいる。
〈鶴岡八幡宮〉神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-310467-22-03156:00~20:30
〈鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム〉神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-530467-55-9030営業再開後の開館時間は未定。
(Hanako1185号掲載/photo:Shinichi Yokoyama, Hiroshi Harada illustration:Maori Sakai text:Rie Ochi edit:Hanako Kajiyama, Yuko Watari, Dai Watarai(Mo-Green))
金刀比羅宮、神社本庁を離脱へ 大嘗祭行事で「不信感」
「こんぴらさん」として知られる金刀比羅宮(ことひらぐう)(香川県琴平町)が、神社本庁から離脱する手続きに入った。
琴陵(ことおか)容世(やすつぐ)宮司の名で、氏子らに知らせる公告文を境内に掲示した。天皇陛下の即位に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)」の関連行事を巡る不信感などが理由だとしている。
金刀比羅宮によると、神社本庁との「被包括関係を廃止する」という内容の5日付の公告を掲示し、神社本庁あてに通知を送付した。宗教法人法は、規則変更時は少なくとも2カ月前に信者らに公告することを定めている。同宮は今後、文化庁に規則変更を届け出て離脱の手続きをとるという。
同宮によると、数年前から指摘されている神社本庁の不動産処分に関する疑惑について、真相究明を求めてきた。また、昨年11月の大嘗祭の関連行事として傘下の神社が実施した当日祭に際し、神社本庁が交付するとした特別なお供えが、同宮には当日までに届かなかったという。
神社本庁の担当者は「通知は受け取ったが、理由は確認しておらず、コメントできない」としている。
神社本庁は1946年、国家と神社の分離を命じた連合国軍総司令部(GHQ)の指令を受け、神社関係3団体が結成した宗教法人。2018年12月現在、全国約7万8700社を包括する。(多知川節子)
宗像大社で末社の遷座祭、福岡 世界遺産、修復に先立ち
世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を構成する宗像大社(福岡県宗像市)で1日、九州本土にある「辺津宮」本殿を囲む末社の修復に先立ち、末社のご神体を仮の住まいに移動する「仮殿遷座祭」を開いた。遷座祭は秘儀とされている。
宗像大社などによると、末社の修復は約50年ぶり。2012年度から始まり、10年ほど続く大規模改修「平成ノ大造営」の一環で、大社にゆかりのある121の神社にいる神々を祭る24の末社が対象となる。既に辺津宮本殿や沖ノ島の「沖津宮」社殿などは修復を終えている。
日光世界遺産「二社一寺」拝観再開 おみくじ、手水は中止継続 栃木
新型コロナウイルスの影響で拝観を停止していた栃木県日光市の世界遺産「二社一寺」(日光二荒山神社、日光東照宮、日光山輪王寺)は1日、拝観を再開した。参拝客はまだまばらだったが、マスク姿で手を合わせていた。
4月14日から拝観停止していた日光東照宮では、感染防止のため事務所に飛沫(ひまつ)防止のビニールシートが設置され、境内では「マスクを着用し、人との間隔を十分に」と呼びかける放送が流れていた。感染の恐れがあるおみくじや手水(ちょうず)は利用中止を継続。権宮司の稲葉尚正さん(51)は「感染のリスクはなくなったわけではないので気を引き締めている。ようやく再開できたという安心感はない」と話す。
2017年に修理が完成した国宝・陽明門が目当てという埼玉県鶴ケ島市から訪れた主婦、大塚千恵子さん(68)は「やっと来られたが、陽明門はとてもきれいになっていた。ウイルスの早期収束をお願いしました」と話した。
日光二荒山神社と日光山輪王寺も1日、職員がマスク着用するなど感染防止対策をとった上で拝観を再開した。【竹田直人】
「西では極悪人、東では神様」平将門にみる日本人の歴史感覚
平将門の墓は「東京都千代田区大手町1-1」にある。高層ビルが建ち並ぶビジネス街のど真ん中に、平安時代中期に「新皇」を名乗った豪族の墓があるのだ。京都では極悪人とされた人物の墓が、なぜ東京の中心地で守られ続けているのか。民俗学・文化人類学者の小松和彦氏が解説する--。
※本稿は、小松和彦著『神になった日本人』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。
■「千代田区大手町1-1」に立つ「塚」
大手町と言えば一流企業などのビルが林立するオフィス街である。そこは日本のビジネスの「中心」であり、さらには世界のビジネスの中心の一つと言っても過言ではないだろう。
ところが、その大手町のさらに「中心」、住所表記で言えば「東京都千代田区大手町1-1」に建っているのが「将門塚」と呼ばれる「塚」だというと、意外に思う方が多いにちがいない。管理しているのは、史蹟将門塚保存会という近隣の大企業などを中心に組織されている団体である。
もっとも、「塚」とはいうものの、そこに建っているのは「墓石」(板石塔婆(とうば))である。その表面の中央には大きく「南無阿弥陀仏」、その右と左に小さく「平将門 蓮阿弥陀仏」「徳治二年」と刻まれている。塚に対する信仰は厚く、いつ訪れても新しい花が供えられ線香の煙がなびいている。
■「新皇」を名乗り、関東の分国化を目指した
平将門とは、平安時代中期の関東地方の豪族で、承平・天慶年間に起こった平将門の乱(935―940)を起こした中心人物である。桓武天皇の子孫にあたる平良将の三男として生まれた将門は、父の早世後、所領や女性問題をめぐって、筑波山麓地帯に勢力を張っていた東国平氏の族長的な存在であった伯父の平国香(くにか)や平良兼(よしかね)たちと激しく対立し、互いに武器をとって戦うようになった。戦いを繰り返すなかで次第に勢力を広げ、宿敵・良兼の病死後は常陸(ひたち)一帯をその支配下に収め、やがて朝廷側から見ると公然たる反国家的な行動をおこなうようになった。
そして、ついに天慶2年(939)、将門は常陸の国衛(こくが)(国司の役所)を攻撃して焼き払い、さらにその余勢を駆って下野・上野以下の関八州の国衛を制圧した。そして「新皇」を名乗り、関八州の国司を任命して、朝廷の支配から離れた関東の分国化を目指した。しかし、将門の関東支配は数カ月しか続かず、朝廷側の藤原秀郷(ひでさと)・平貞盛(さだもり)らに追討される。
その首級(しゅきゅう)は京都まで運ばれて、獄門にかけられたという。
■京都側のイメージ「将門の死=神仏の罰」
後世の人びとのあいだで語られる将門には、異なる視点から形成された二つのイメージがある。一つは京都側のものである。王朝文化が花開こうとしていた時代、京都から遠く離れた坂東(ばんどう)の地で起こった反乱は、京都の天皇・貴族たちを恐怖のどん底におとしいれた。それは将門が京都にまで侵攻してくるのではないかという物理的恐怖をともなう、まことに深刻なものであった。
天慶3年(940)正月、朝廷は将門を極悪非道な狼籍者と断じて将門追捕(ついぶ)の軍勢を送り、また宮城十四門に兵士を配置して防御させ、さらには諸寺社や高僧・宮廷陰陽師たちに将門の調伏(ちょうぶく)(呪殺)の祈祷を依頼している。武力と呪力の双方を動員しての怨敵退散を図ったのである。
その調伏の呪術のやり方は、悪鬼(将門)の名前を書いたものを護摩壇(ごまだん)に投げ入れたり、賊徒(将門)の形代(かたしろ)である人形を棘のある木の下にくくりつけて呪詛するというものであった。すなわち、こうした呪術的コンテキストでは、将門の死は神仏の罰が下されたもの、つまり調伏・呪詛の呪法の成功というふうに理解されたわけである。
■「怨霊化」した菅原道真との違い
天慶の頃と言えば、あの菅原道真の怨霊が猛威をふるっていた時代である。獄門にかけられたあと、将門の霊は怨霊となって出現してもおかしくなかった。ところが意外なことに、将門の霊は死後怨霊化して朝廷・貴族を襲うことはなかった。というのは、京都には将門の怨霊を「御霊」として祀り上げたという神社が存在していないからである。どうしてだろうか。
もちろん、将門の怨霊化をまったく考えていなかったわけではないらしい。朝廷は天慶の乱での戦死者を敵味方の区別なく供養するようにとの命令を出すとともに、関東地域の役人の大刷新をおこなっている。それによって怨霊化の芽が摘み取られてしまったのだろうか。
わたしは別の理由があったと推測している。当時の宮廷社会での怨霊の候補者は、その社会内部に属していた者、自分たちと濃密な社会関係にあった者であった。そうした関係性に欠けていた将門に対して、貴族たちは怨霊を発生させる「後ろめたさ」や「同情の心」を抱くことがなかったのである。
■語り継がれるほどに、神格化されていく
怨霊化はしなかったが、将門は京都の人びとのあいだで語り伝えられていく。賊徒として、悪鬼として、超人として、地獄に墜ちた罪人として。そして、そうした伝説のなかで、将門はどんどん神秘化されていった。
例えば、将門を討ったことで有名になった藤原秀郷を主人公とする室町時代のお伽草子『俵藤太物語』では、将門は「身長(たけ)は七尺に余りて、五体はことごとく鉄(くろがね)なり。左の御眼(おんまなこ)には瞳二つあり。将門の変わらぬ人体同じく六人あり。されば何(いず)れを将門と見分ける者は無かりけり」と、その超人ぶりが語られている。「将門の変わらぬ人体同じく六人」とは、後世に言う「七人の影武者」のことである。
これほどの超人であった将門も一カ所、こめかみだけが生身であることや、影武者は灯火を通して影がないという弱点があった。これを愛妾・桔梗前(ききょうのまえ)の裏切りによって秀郷に知られ、敗れてしまうのであった。
このように、京都の人びとにとっては、伝説のなかでも将門は「敵」であった。しかも、将門は時代を超えて「朝敵」であり続けた。その烙印は江戸時代になって後水尾天皇から勅免が下されるまで続いたのである。
■関東側のイメージ「将門=悲劇の英雄」
京都の宮廷社会では、将門は朝敵であった。しかし、京都の朝廷に対して思うところがある人びとは、朝廷に反抗して敗れ去った将門に親近感を抱いていた。その筆頭に挙げられるのは、関東に古くから住む人びとである。関東に縁もゆかりもない下級貴族が中央から派遣されてきて、国衛の役人として権力をふるい、私腹を肥やしているのを快く思っていなかった。だからこそ、かれらは関東の「独立」を図った将門を支持したのである。京都政権に敗れたとはいえその志は高く評価され、悲劇の英雄として在地の人びとに語り伝えられてきた。
梶原正昭・矢代和夫の研究によると、将門伝説はとくに関東地方に濃密に分布していることがわかる。例えば、「佐倉惣五郎」で言及した佐倉の将門山の将門大明神は、将門の死後の天禄年間(970―973)に、藤原秀郷の第三子と第四子が相次いで将門の祟りによって亡くなったので、秀郷の命で将門の霊を祀ったものだという。
茨城県坂東市岩井の國王(こくおう)神社は、将門の戦没の地ということで将門の霊を祀る神社である。たとえ京都の朝廷からは朝敵として極悪人扱いされようとも、在地の人びとやその他の地域の民衆には、自分たちの思いを体現してくれた悲劇の英雄という思いがあり、それが在地・民間での将門伝説を支え続けたのである。
■復讐ではなく、鎮魂を求める「祟り」
冒頭で紹介した大手町の「将門塚」も、こうした将門ゆかりの地の一つである。この塚を管理する史蹟将門塚保存会が設置した「将門首塚の由来」の看板には、次のように記されている。
将門は下総国で兵を起こし、坂東八个国を平定して新皇と称し、政治の刷新を図ろうとした。だが、平貞盛・藤原秀郷の奇襲にあって憤死し、その首級は京都に送られて獄門にかけられた。ところが三日後、その首は白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し、太陽も光を失って暗夜のようになった。村人は恐怖し、塚を築いて埋葬した。これがすなわちこの場所であった。
その後もしばしば将門の怨霊が祟りをなすために、徳治2年(1307)、時宗二祖真教上人が「蓮阿弥陀仏」という法号を追贈し、塚の前に板石塔婆を建てて日輪寺に供養し、さらに傍らにあった社にその霊を合祀した。それでようやく将門の霊も鎮まり、以後はこの地の守護神になったという。
ここで語られる将門の祟りは、復讐のための祟りではない。それは祀り上げ=鎮魂を求める合図なのである。もっとはっきり言えば、祀り手側の「思い」、すなわち、将門の霊は怨みを残して死んだはずなので、その怨念を鎮めなければならないという「思い」が、飛ぶ首や天変妖異、病気などの祟りとして言説化されたものなのである。将門の英雄的行動を記憶し語り続けること、言い換えれば、祀り続けることが将門への最大の供養であった。そして、将門の霊を合祀したというこの「傍らにあった社」が、のちの「神田明神社」(神田神社)の前身であった。
■光を放った将門塚から異型の武者が現れた
ところで、この将門塚をめぐる伝説は、内容にかなりの差異はみられるが、そうとう古くからいろいろと語られていたらしい。例えば、『永享記』に「平親王将門の霊を神田明神と崇め奉る」とあり、謡曲「将門」にも「神田明神」が将門を祀った社だと語られているので、この伝説は室町時代にはすでにかなり広く知られていた。
いま少し詳しく述べると、「安房洲崎明神」の社司の旧記によれば、将門の乱より十年後の天暦4年(950)、将門塚がしきりに鳴動し、暗夜に光を放って異形の武者が現れ祟りをなしたので、人びとは恐怖し、その霊を祀り鎮めたという(『将門伝説』)。『御府内備考』にも、かつて神田明神の小さな社の近くに天台宗末寺の日輪寺という寺があった。将門の乱後、平家ゆかりの者がここに将門の墳墓を築いたところ、天変妖異が続いたために、嘉元3年(1305)、真教上人が東国遊化(ゆけ)の際に立ち寄って供養し、法号を授けてこれを板碑に刻んで建てたところ祟りは収まった。以後、日輪寺は時宗の道場として栄え、神田明神はその鎮守として崇敬されたという。
また、『神田神社史考』は、将門の乱後、獄門にかけられた首を都より持ち帰り、現在の将門塚のところにあった池(首洗い池)で洗い、上平川村(現在の大手町首塚付近)の岩屋観音堂で供養し、塚を築いてその首を埋葬し、さらに祠を建てて霊を祀った。この祠が現在は九段にある築土(つくど)神社(江戸時代は築土明神で、祭神は将門の霊)の前身であるという築土神社の社伝を紹介している。しかし、この築土明神の祠はすでに真教上人が来る以前に移転したため、大手町の塚の脇には荒れ果てた祠があるにすぎなかったらしい。
■家康の江戸入府で、事実上の神仏分離
いずれにせよ、中世には、将門塚の脇には「神田明神」という将門の霊を祀る社があった。この神田神社の祭神が将門の霊だけなのか、それとも「神田」の名が語るように、別の神も合祀されていたのかは、もはや定かでない。
この社を管理していたのは将門塚の近くにあった日輪寺である。神仏習合の時代であるから、すでに紹介してきた談山神社や多田神社の神仏分離までの状態を想起すればわかるように、このような墳墓祭祀の形式はむしろふつうであった。この地に特別のことが生じなければ、おそらく、将門塚は江戸時代が終わるまで日輪寺が管理する塚=墳墓であり、神田明神もこの寺の管理する小さな社に留まっていたであろう。
ところが、その「特別なこと」が起こったのである。言うまでもなく、徳川家康の江戸入府であった。江戸幕府はただちに江戸城の普請と城下町の建設に取りかかり、このとき将門塚の脇にあった神田明神も、日輪寺も移転させることにした。神田明神はいったん山王権現(さんのうごんげん)とともに駿河台に、さらに元和2年(1616)、現在地の湯島(外神田)に移された。日輪寺のほうは浅草に移された。ある意味でこのとき、神仏分離がなされたのである。
■「将門様のお社」として定着した神田明神
移転に際して、関東の領主となった家康は、遠い昔、朝廷を向こうに回して関東の「独立」を図った将門に大いに感じるところがあったのだろう、神田明神を山王権現とともに江戸総鎮守とした。神田明神は思いもかけなかった破格の出世をすることになったわけである。神主には将門の末裔という芝崎氏が任命され、代々世襲で神事をおこなった。興味深いことに、神田明神は江戸城の鬼門、山王権現は裏鬼門に配置された。
以後の約百年は、神田明神の祭神は「平将門の霊一座」のみであった。しかも、すでに述べたように、寛永年間(1624―44)には朝敵という烙印も除かれ、さらには霊元天皇の勅命で「神田大明神」という勅額も社殿に掲げられた。この時期は神田明神の黄金時代であったと言っていいだろう。
ところが、いつの頃からか、またなぜかもわからないが、神田明神に「大己貴命(おおなむちのみこと)」も合祀されるようになった。しかし、江戸時代を通じて、例えば『江戸名所記』に「神田明神 この社は将門の霊なり」とあるように、神田明神は江戸の住民には「将門様のお社」として認知されていた。祭礼も山王権現と交代で二年に一度盛大におこなわれ、たくさんの出車(だし)の江戸城練り込みをクライマックスにした、江戸っ子の心意気を示す祭りとなっていた。
■実は、将門の霊は「第一座」ではない
五月のある日、わたしは久しぶりに神田神社に参拝に出かけることにした。神田神社は御茶ノ水駅のすぐ近くにある。駅の東口から聖橋に出る。神田川と中央線の上に架かっている橋である。この橋を渡るとすぐのところに湯島聖堂の森がある。神田神社はこの聖堂の森の道路を挟んだ反対側に位置している。東側は坂になっていて、野村胡堂の小説のなかでの話だが、かつてこの坂の下の長屋には銭形平次が住んでいた。いまは秋葉原の電気街となっているが、そのあたりを歩いてみると、いまでもそんな趣を残す長屋風の住宅がまだ残っている。
神田神社の鳥居をくぐって進むと、豪壮な随神門(ずいしんもん)があり、その門を入って本殿を望むと、鉄筋コンクリート造り・総朱漆塗り、屋根は銅板瓦二枚重ね本葺き、外観は権現造という豪華な社殿が控えている。
祭神は当然のことながら、将門の霊が第一座と思われる読者が多いにちがいない。ところが、違うのである。現在の主祭神の第一座は大己貴命、第二座が少彦名命(すくなのひこなのみこと)であって、平将門は第三座という扱いになっている。しかも、あまり知られていないが、第三座になったのも昭和59年(1984)のことで、それまでは摂社(せっしゃ)にすぎなかったという。
■明治時代に「追放されなかった」のは幸運だ
いったいどういうことなのだろうか。これには、明治時代に再び天皇親政となったことに由来する複雑な経緯、すなわち、文明開化期の政治的・宗教的状況が深く影を落としている。
当時、宗教行政を担当していた教部省は、神田神社の祭神から朝敵であった将門の霊を除くことを主張し、第一の祭神と信じる氏子の抵抗にもかかわらず、将門の霊は祭神の地位、つまり本殿を追われて摂社にされてしまったのである。もっとも、当時の状況から判断すると、完全に追放されずに摂社としてであれ留まることができたのは幸運であったと言うべきかもしれない。
当時の騒ぎを「郵便報知新聞」(明治7年9月14日)は、次のように伝えている。
氏子一同人心渙散(かんさん)し、例祭期日既に近づくといえども、難ありて事を挙行する者なく、あまつさえ神主柴崎を始め、氏子中千百来衣服豊贍(ほうせん)安楽富有せしは、まったく氏神の恩恵なるを忘却し、朝廷に諂諛(てんゆ)して神徳に負(そむ)きし事の人非人なりとて怨み誹(そし)り、一文銭を投ずるとも快とせず、かえって旧神の新社別構のために醵金(きょきん)既に千円に近しと聞えあり。
■例祭をボイコットした江戸っ子たち
ようするに、徳川将軍家のお膝元の江戸っ子たちは、天皇にこびへつらっている輩を将門の霊の威徳に背く人非人だと非難し、一文の寄付をするのも惜しみ、例祭をボイコットしたというのである。
案内してくれた神社の方に、そのあたりのことを率直に尋ねてみたところ、とても苦しげで曖昧な答えしか聞くことができなかった。また、神社として現在とくに強調している霊験はなにかを尋ねてみたが、これもとくにないという。しかし、将門の「パワー」にあやかってスポーツなどの勝負事の祈願に来る方が多いそうである。ということは、人びとのあいだでは、神田神社は大己貴命を主祭神とする神社ではなく、まだ将門の霊を祀る神社として知られているということになる。
ところで、神田神社と日輪寺が移転した後の「将門塚」は、さすがに潰すのははばかられたらしく、そのまま大名屋敷のなかに留め置かれた。明治になると大蔵省の敷地になったが、戦後になって民間に払い下げられた。また、関東大震災後に塚を崩すまでは、盛り土した墳墓状の塚と、そのそばに首を洗ったという池があった。
江戸時代から現在まで、神田神社の神輿(みこし)の巡行では、この将門塚に立ち寄るのが決まりになっている。
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小松 和彦(こまつ・かずひこ)
民俗学・文化人類学者
1947年東京都生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。専攻は文化人類学・民俗学。信州大学助教授、大阪大学教授、国際日本文化研究センター教授、同センター所長を歴任。日本の歴史・文化の周縁に姿をくらます鬼・異人・妖怪などを手がかりに、日本人の心の奥底に潜むものを探る研究を続ける。2013年紫綬褒章受章。2016年文化功労者。著書に『神隠しと日本人』『妖怪文化入門』『鬼と日本人』(以上、角川ソフィア文庫)、『憑霊信仰論』『日本妖怪異聞録』(以上、講談社学術文庫)、『百鬼夜行絵巻の謎』(集英社新書)など多数。
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(民俗学・文化人類学者 小松 和彦)
京都・下鴨神社ご御用達店からお取り寄せ!雅な京菓子をおうちで
茶道の世界に通じる、おもてなしの空間
下鴨神社の北、下鴨本通りの一筋南の道を東へ向けて進むと、木塀に囲われたひと際立派なお屋敷が現れます。
下鴨神社御用達の和菓子店「宝泉堂」が運営する『茶寮 宝泉』。圧倒的な広さと美しい庭をもつ茶寮です。
木漏れ日が差しこむうららかな春の日、庭師による手入れの行き届いた庭の石畳にそって店内へ。
玄関では双葉葵(フタバアオイ)の鉢植えがお出迎えしてくれます。
双葉葵は、「葵祭」で、髪飾りや牛車の飾りにつかわれる植物。身につけることが“清浄のしるし”とされ、世界遺産「下鴨神社」のご神紋にもなっています。
茶寮には、欄間や床の間など、建築当時の建具が残る立派なお座敷を開放。
この日、床の間には大徳寺住職の揮毫による“無事”の掛け軸が掛けられていました。
ゆったりと間をとって置かれた和机。どの席に案内されても、庭を望めるように配置されるなど「もてなし」と「しつらえ」の美学が隅々まで行き届いています。
秋になると庭の紅葉と苔の緑とのコントラストが楽しめますよ。
葵祭の気分も味わえる、京都の上品な味をお取り寄せ
「宝泉堂」はできたてのわらび餅が美味しいと、多くの観光客が訪れる人気店です。わらび餅などの生菓子はお取り寄せできませんが、双葉葵を模したお取り寄せ可能な京菓子があります。
今年は葵祭も中止になりましたが、双葉葵の京菓子で気分だけでも楽しみたい。
最高級の丹波大納言小豆を寒天で固めた「賀茂葵」は、粒をなるべく崩さずに残した、小豆の風味のよさがよくわかる逸品です。
もうひとつ、お取り寄せ商品で季節を問わず人気なのが「しぼり豆丹波黒大寿」。
甘さ控えめの確かな味わいと、常温保存ができ、個包装された使い勝手のよさから、手土産好適品として、あらゆる世代に好まれています。
閉そく感のある日々ですが、家の時間を楽しみながら過ごしているご褒美を自分や友だちに贈るのもいいかも。そんなときに銘に“寿”がつくお菓子は最高です。
これを求めて訪れる人が後を絶たない、ぷるんぷるんのわらび餅
さて、美しい日本庭園を目の前に、店内でいただけるのは名物のわらび餅。
原材料は貴重な本わらび粉と砂糖のみ。 わらびの根から取れるという本わらび粉は非常に希少で貴重なものです。
よく売られているわらび餅には本わらび粉は使われてないことがほとんど。
本わらび粉のみで作られたわらび餅は、めったに口にできません。
黒蜜が添えられていますが、まずはそのままで。わらびの根に蓄えられたぷるぷるむっちりとした粘り、それを助けるように少しだけ加えた砂糖の優しい甘さが口の中に広がり、さすが別格のわらび餅と言われるだけのことはあると納得。
訪れるほとんどの人が注文するのはわらび餅ですが、季節の生菓子も素敵です。
2回目の来訪や手土産に、季節の生菓子はいかがでしょうか。
「毎朝、その日の分だけすべて職人の手作りで ひとつひとつ心を込めて作る」という生菓子は、数に限りがあります。
こちらは清流と青紅葉の焼印をいれた上用饅頭(じょうようまんじゅう)の「せせらぎ」。
二葉葵の紋が押された生菓子は、「葵祭」。 しっとりなめらかなこしあんを、“こなし”で畳んだ意匠の生菓子です。
こちらは京都三大祭りの一つである「葵祭」の頃にお目見え。
『宝泉堂』は、本わらび粉だけを使ったわらびを食べてもわかるように、実直に本物の素材だけを使ったお菓子を作るお店。
そんな評判店の味をお取り寄せができるのは嬉しいことですね。
おうち時間を京都の名店の味で、すこし贅沢にしませんか?
Photo:瀬田川勝弘
text:小西尋子
歩くパワースポット・湘南乃風SHOCK EYEが実践する習慣「寝る前にいいことを3つ書く」“いいこと探し”で前向きに!
本仮屋ユイカがパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「三菱地所レジデンスSparkle Life」。今回の放送は、湘南乃風のSHOCK EYEさんをゲストに迎えて、「歩くパワースポット」として日々大切にしている習慣などについてお聞きしました。
(手前から)SHOCK EYEさん、本仮屋ユイカ
◆世の中いいと言われることには意味がある
本仮屋:今回、講談社から発売になった「歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣」で、実際にいろいろなことをされていて、パワースポットと呼ばれるからには、「そういう本を読んでみよう」とか、「神社に行ってみよう」とか、「掃除してみよう」とかをされているなかで、何か変わりましたか?
SHOCK EYE:変わりましたね。結局、みんなが答え合わせを求めるというか。「本当にそうなるの?」みたいなことを思って、先に思案して結局踏み出さない人たちが多いように感じます。でも世の中でいいって言われていることって、ちゃんと意味があるんですよね。多分意味のないものは淘汰されてなくなったはず。例えば「部屋をきれいにする」とか。
本仮屋:大昔から言われていることですもんね。
SHOCK EYE:あとは言霊とか。言葉は本当に人を動かしたり自分自身を変える力がある。
本仮屋:パワーが宿っているんですね。
SHOCK EYE:それって心理学的にも行動学的にも脳科学的にも本当にそうだし。
本仮屋:すごい。いろいろな角度から検証されたのですね。
SHOCK EYE:そうです。自分自身でも実験して、本当にマインドが幸せになると、同じ物事でもよく捉えるというか、いい解釈ができるようになりました。
◆「物事は結局起こるべくして起きる」
本仮屋:今でもあれをやっていらっしゃいますか? 「いいことをメモする」って。
SHOCK EYE:やっていますよ。僕は3つにしていますけど。寝る前に(1日にあったいいことを)3つ書くと、いいことで1日を終われるじゃないですか、頭のなかが。で、朝起きるでしょ? 僕の場合は神棚があるから、手を合わせて感謝から始めるでしょ? いい気持ちでサンドイッチしている感じなんです。
本仮屋:すごい。ずっといい循環が回りますね。
SHOCK EYE:もちろん、いろいろなことがあるし、ちょっと嫌だなと思うこともあるんだけど、必ずどんな日でも、「3つ書かなきゃいけない」って自分に課しておくと、何もない日でもどうにかして3つのいいことを絞り出すと、例えば仕事で誰かとちょっと言い合いになってしまったことも、有意義な話し合いができた、と考えられるようになるんです。
本仮屋:見方1つですね。
SHOCK EYE:そうやっていくと、自然と“いいこと探し”を日々するようになるんですよね。それが本当に効果的だなって思うし。物事って結局起こるべくして起きるんだな、それをどう捉えるかも結局自分自身だな、と思うようになりました。
今起きたことを正しく捉えることができるかどうかは、自分次第だと僕は思っています。湘南乃風になった自分が、それを繰り返してきたんですよね。みんなもああなりたいこうなりたいって欲張るんじゃなくて、今、目の前にあることをどうすれば自分が1番大好きになれるか、という方法は教えてあげられるなと思ったんですよね。
◆目先の損得ではなく、すべて得だと思うように…
本仮屋:あと、読んでいてすごく好きだったのは、できるとかできないとかじゃなくて、“そのチャレンジのラインに立てたことがすごいんだ”、というのを読んだときに、「そっか」と。その先の結果を思うあまりに、躊躇して尻込みするけど、「そこに立てたプロセスを自分で称えていいんだな」ということにすごく勇気をもらいました。
SHOCK EYE:そう。今って、すごく情報も多いし、「これをやったら得かな? 損かな?」と思いがち。でも本当に自分が得と思っていることがお得かどうかもわからない、誰もそれはわからないんですよ。
本仮屋:目先のことじゃないですし、トータルで見たときに、本当に得か損かなんて測れないですもんね。
SHOCK EYE:だとしたら、全部得だと思えたほうがよくないですか? 全部それを笑い話にする。僕、お笑い芸人さんが好きなんですけど、なんで好きかというと自分の失敗談を笑いに変えるじゃないですか? 得したと思っているじゃないですか? 自分の失敗を。
本仮屋:確かに。ネタを見つけた、みたいな。
SHOCK EYE:それと一緒だと思うんですよね。だから僕は別にお笑い芸人じゃないけど、自分に起きた失敗とかを誰かに笑って話せれば、お酒の席が1回盛り上がるだけでも、「得したな」と思えばいいかなと思うんですよね。
本仮屋:お話をしていると、すごく幸せな気持ちになります。どうして歩くパワースポットとSHOCK EYEさんが呼ばれたか、ちょっとわかってきました。
SHOCK EYE:本当ですか?
本仮屋:はい。もうパワースポットにいる気持ちになっています。
湘南乃風SHOCK EYEさんの書籍『歩くパワースポットと言われた僕の大切にしている運気アップの習慣』は講談社から発売中です。
次回5月16日(土)の放送は、THE CHARM PARKのCharmさんが登場します。どうぞお楽しみに!
<番組概要>
番組名:三菱地所レジデンス Sparkle Life
放送日時:毎週土曜 18:30~18:55
パーソナリティ:本仮屋ユイカ
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/sparkle/
コロナ終息も祈願、和歌山市・竈山神社で「雄誥祭」
神武天皇の長兄・彦五瀬命(ひこいせいのち)を祭る竈山(かまやま)神社(和歌山市和田)で8日、彦五瀬命の命日にちなむ「雄誥(おたび)祭」が営まれた。
神社によると、彦五瀬命ら4兄弟は宮崎・日向を出発して奈良・大和に向かう道中、人々に稲の作り方などを伝えた。畿内で豪族と戦いになり、流れ矢を受けた傷がもとで世を去り、葬られたのが神社のある地とされる。
祭りは、彦五瀬命が臨終の前に雄たけびを上げたことに由来。参拝者は順番に手を合わせるなどし、儀式の後、神社裏の墓にも移動して祈りを捧げた。
吉良義章宮司(61)は新型コロナウイルスの終息なども祈願したといい、「日本の国づくりの礎となられた彦五瀬命の生涯に思いをはせてほしい」。参拝した市内の西慈孝(じこう)さん(84)は「日本の国の歴史の深さを改めて知った思いです」と感慨深そうに話した。
熊野速玉大社でコロナ終息へ祈り 「日本中が心を一つに挑んで」
和歌山県新宮市の世界遺産、熊野速玉大社で6日、新型コロナウイルス流行の早期終息に向けた祈願祭が営まれた。若手の神職で組織する神道青年全国協議会による全国一斉の祈願祭の一環。
同大社では上野潤権宮司(39)が、一日も早い終息を祈る祝詞を神前で読み上げ、みこが神楽を奉納した。
上野権宮司は「国難の時。和を大事にする日本人の心をよみがえらせ、日本中が心を一つに挑んでいかなければならない問題だ」と話した。
協議会は外出自粛要請で神社に参拝できない一般の人が、自宅の神棚で祈れるよう「神棚拝詞」の文面も作り、ホームページに掲載している。
リモートでご祈祷する「オンライン神社」が登場! GW中に楽しめる“おうち参拝”を〈小野照崎神社〉がライブ配信。
東京・台東区に鎮座する〈小野照崎神社〉。芸能・学問・仕事の神様として、小野篁公・菅原道真公をお祀する由緒ある神社です。月替りの限定御朱印が人気の神社ですが、GW期間中は「オンライン神社」としてご祈祷をライブ配信でお届け。オンライン参拝者には、外出自粛が落ち着いたあと、本物の御朱印と交換できる特別画像をお届けします。緊急事態宣言中の今だからこそできる、神社の魅力をご紹介します。
オンラインで詣でる、開運チャージ! 5月1~10日の期間中、毎日ご祈祷をライブ配信。
長引く外出自粛で、おうちで過ごす時間が増えた人も多いのではないでしょうか。今年のGWは、おうちから神社に参拝し、改めて心を落ち着かせる時間を作ってみませんか?
東京・台東区に鎮座する〈小野照崎神社〉は、「自分のこころと向きあう、静かな時間を届けたい」という想いから、GW期間中、リモートでご祈祷する「オンライン神社」を実施するそうなので、さっそく参拝方法を聞いてみました。
5月1~10日のGW期間中、特設サイトから願いを神社に伝えると、自身の願いが書かれたデジタル絵馬画像が届くそう。特設サイトから寄せられた願いは、〈小野照崎神社〉でひとつひとつ丁寧に、心を込めてご祈祷してくれます。ご祈祷の様子は、毎日13時、公式ツイッターからライブ配信。
このひとときは、自分のこころと向き合って心穏やかに過ごしたいもの。
ご祈祷後は、神様に願いをお伝えした”おしるし”として、特別御朱印の待ち受け画像を届くそう。オンライン参拝者の心と社会の平穏を祈って、神社から届けられる画像は特別感たっぷり。
外出自粛が落ち着いた頃、改めて〈小野照崎神社〉に参拝すると、待ち受け画像と2020年5月の限定御朱印(*上記、御朱印画像はイメージです)を交換してくれるサービスも。御朱印交換は年内いっぱい受け付けてくれるそうなので、ゆっくり参拝できるようになったら、改めて御朱印を受け取りに行くのも楽しみ!
〈小野照崎神社〉は2018年から、編集者の箕輪厚介氏のプロデュースで「月替わりの限定御朱印」「日本一薄い御朱印帳~うすいんちょう~」など、さまざまな取り組みを実施中。
今年は、年に一度のお祭り「大祭」の中止を受け、特別動画制作にも取り組んでいます。
GWは、ぜひ、おうち参拝を楽しんでみてくださいね!
〈小野照崎神社〉東京メトロ日比谷線「入谷駅」4番出口より徒歩3分。JR山手線「鶯谷駅」南口より徒歩7分。東京都台東区下谷2-13-1403-3872-5514参拝時間 9:00~16:00
大鳥居で知られる琵琶湖の絶景パワースポット(滋賀「白鬚神社」)
外出自粛により実際に行くことはできないが、絶景を見て、おうちでおでかけ気分を楽しみたい。「湖中大鳥居」で知られる、近江エリア最古の大社が「白鬚(しらひげ)神社」。ご祭神は猿田彦命(さるたひこのかみ)で、開運、縁結び、子授けなど人生すべての道案内の神として信仰を集める。<※情報は「関西Walker2020年7号」(20年3月17日発売号)より>
■早朝が特に美しい「近江の厳島」
琵琶湖に浮かぶ沖島を背に立つその姿から「近江の厳島」とも呼ばれている。大鳥居が朝日に照らされる早朝は、特に荘厳な雰囲気に。雄大な琵琶湖で、四季を通じて神々しい姿を見せてくれ、特に早朝は朝焼けを背景にしたシルエットが美しい。
衛藤沖北相が靖国神社参拝見送り表明
衛藤晟一沖縄北方担当相は20日、靖国神社の春季例大祭に合わせた参拝を見送る考えを記者団に表明した。新型コロナウイルス感染拡大に伴う外出自粛を理由に挙げた。
祇園祭の山鉾巡行中止 昭和37年以来58年ぶり、神輿渡御も
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、日本三大祭りの一つ、京都「祇園祭」のハイライトとなる山鉾巡行と神輿(みこし)渡御を中止すると、祭りを斎行する八坂神社(京都市東山区)と巡行を主催する祇園祭山鉾連合会(中京区)が20日、正式に発表した。
各山鉾を建てるかどうかは6月上旬まで様子を見て判断するという。
山鉾巡行の中止は、阪急電鉄の地下工事による昭和37年以来58年ぶり。応仁の乱や第二次世界大戦でも中止となったケースがある。
祇園祭は疫病退散の祭りとして知られ、7月の1カ月にわたり、さまざまな神事が執り行われる。祭りのハイライトとなる山鉾巡行では、7月17日の前祭(さきまつり)に23基、後祭(あとまつり)の24日には11基の山鉾が京都市中心部を巡行する。昨年の前祭には約12万人が訪れた。
同連合会では、山鉾巡行や市内中心部が歩行者天国となる宵山などに大勢の観光客が押し寄せるほか、山鉾に乗り込む人らも密集・密接になることから、新型コロナの感染拡大が懸念され、従来通りの実施は困難と判断した。
祇園祭は平安時代の869(貞観11)年、全国に疫病が蔓延し、当時の国の数と同じ66本の矛(ほこ)を立てて、祇園社(現在の八坂神社)から神輿を神泉苑(中京区)に送り疫病退散を祈願した祇園御霊会が始まりとされる。昨年は創始1150年にあたり、さまざまな関連行事を行った。
湘南乃風・SHOCK EYEさん「歩くパワースポットと呼ばれる僕が考える、コロナや運との向き合い方」
芸能界最強占い師と呼ばれるゲッターズ飯田さんが、今まで占ってきた数万人の中で、一二を争う運の強さという湘南乃風・SHOCK EYEさん(43)。「運のステージ」が違うとのこと。そんなSHOCK EYEさんは、現在世界中でコロナウイルスが猛威を振るう中、どのように日々を過ごし、運気を上げているのでしょうか。新刊『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』(講談社)についてもお話をうかがいました。
未知なものは不安を煽る
――コロナウイルスが世界規模で蔓延しており、不安が募るばかりです。こんなときSHOCK EYEさんは、どんな気持ちで日々過ごしていますか?
SHOCK EYEさん(以下、SHOCK): 東日本大震災のときもそうですし、いつまでこの状況が続くのか、どうなっていくんだろうって思うのは僕も同じです。でも、長い歴史の中で、これがずっと続くわけではないし、今までもみんなで力を合わせて乗り越えてきた歴史があります。必ずその日が訪れるとわかっているので、今は予防を徹底して自分たちができることを心がけていこうと思っています。
――トイレットペーパーをはじめ、スーパーでの買い占めや感染者数の増加など、不安が連鎖するニュースが次々に出てきます……。
SHOCK: 未知なモノって不安が強くなるし、ネガティブな言葉は人が反応しやすいんですよ。もちろんニュースや情報を得て、少しでもリスクを回避したり、現実を知ることも大切です。ただ、ウイルスの怖さより、ネガティブな気持ちが蔓延してギスギスしたり、人に対して攻撃的になったりしていくことのほうが、僕は怖いと思ってしまうんです。僕自身も、ライブや新刊のイベントも軒並み中止になって、ファンの方々とお会いする機会が奪われてしまいました。6月以降の湘南乃風のライブツアーも控えていて不安なこともありますよ。でも、僕一人ではどうしようもできない問題にクヨクヨ悩んだり時間を割くよりも、今できることに意識を向けよう、いつか会える日のために楽しみをとっておこうと早いタイミングで切り替えました。
――現状を受け入れながら、前も向くと。
SHOCK: 不安定な状況の中でどうポジティブなものをキャッチするか、何をチョイスするかが大事だし、自分の捉え方ひとつで変わると思うんです。たとえば、今回子どもの学校が休校になりましたが、ずっと一緒に家で過ごしていたので、めちゃくちゃ仲良くなりましたよ。最近息子が絵を描いていて、これが結構上手なんですよ!絵を通して父子の会話も増えたし、自分が知らないところで子どもの成長を感じてうれしくなったり。そんな些細な日常でさえ、僕にとってはかけがえのない時間になっています。
もちろん、自分たちが経験したことがないレベルの危機感だということはしっかり意識しつつ、政府や有識者の意見を聞きながら、自分たちで実践できることはやっていきたいです。
ノイズはどんどん消していく
――ご著書の中で、"違和感を感じることはなるべく早く対処した方がいい"とあります。一方では、他者との会話で違和感を感じても"こういう考え方もあるよね"と、受け入れた方が良いのか、迷ってしまうことがあります。
SHOCK: 気持ちがざわつかない方、スッキリする方を選んだらいいいと思います。受け入れて納得するならいいですし、それが我慢や忍耐、後悔を感じるようなら考え直した方でいいなと思います。僕の場合は、相手とお互い納得するまで話をしたり、自分が申し訳ないと思えば謝ることでスッキリするんですよ。要は、自分が感じるノイズを取り除く作業。
たとえば、先日新しくソファーを買った日に、子どもにサインペンで落書きされまして……。一瞬、おいっ!て思ったけれど、でも、これはそのときにしかない記念の品だと思えたら納得できたんです。机に傷ができればアンティークとして味にもなるし、オリジナル感を楽しめるのも素敵じゃないですか。反対に、傷がなくてきれいな方が落ち着くという人は、それも正解です。その人にとってノイズと感じるかどうかが大事なんですよ。
――それがノイズなのかどうか、自分の気持ちすら曖昧なときは……。
SHOCK: 自分のルールを決めちゃえばいいと思います。たとえば人と何かが起きたときは、はっきり伝えるとか、あるいは我慢するとかルールを決める。迷いがあるときは、損得を気にしたり、正解か不正解かで悩んでいたりするだけなんです。たぶん、ルールを決めた後も、はじめは「こっちに決めておけば良かった」ってなるでしょうね。
続けていくうちに、判断がスムーズになって迷わなくなるのでは。選択肢は増えれば増えるほど、心理学的にも不幸になるらしいです。選択肢が多いと、それ以外のものを選んでも、この選択は失敗だったんじゃないかという気持ちが常につきまとってしまう……。それなら選択肢は少ない方が良い。僕は、人付き合いに違和感を抱いたら、ケンカになりそうでも正直に伝えます。それは相手と"話す"と決めているからです。もちろん伝え方を工夫するし、そもそも自分の思い通りにしたいわけではなくて、わかり合いたいんですよね。
ポジティブな基礎体力が必要
――ご著書の中の「一日の中で3つ良かったことを書きだそう」とあったので、実践してみたらとても温かい気持ちになりました!一方で、不安な気持ちになった日はそれさえも感謝として変換した方が良いのでしょうか。
SHOCK: 不安は不安として受け止めた方が良いと思います。無理にポジティブだと思い込ませてもつらいですから。でもネガティブに負けないくらい、ポジティブな基礎体力が必要になると思います。
――ポジティブな基礎体力?!ネガティブさえポジティブが凌駕するようなイメージでしょうか。
SHOCK: そうです。人はポジティブもネガティブも抱えているけれど、ネガティブな情報ばかり吸収していると疲弊してしまいますよね。それにはポジティブが勝るような体力が必要だと思います。筋トレと一緒ですね。日々ポジティブを鍛える感じです。
――いわゆる、"ポジティブの筋肉"が必要になってくるのでしょうか。
SHOCK: そう!新しいの出てきましたね(笑)。その"ポジティブな筋肉"を鍛えるといいですね!湘南乃風だって17年間活動してきて、2018年に初めて2年間活動休止したんですよ。普通に考えたらファンの方をお待たせしてしまうし超ピンチ!それでも僕は、これも大切な時期だと捉えていて、こうやって本を書かせてもらったりパワースポットの話で番組に呼んでもらえたり、休止中のタイミングで新しいことにもチャレンジできました。他のメンバーもすごく前向きに個々の活動を続けながら、結果的に2020年から活動を再開できることになりました。ずっと待ってくださったファンの方々にも喜んでくれて、もっと自分たちも頑張っていかなきゃねって改めて帯を締め直せてもらい、結果的に良かったと思っています。
結婚したいのに出会いがない?
――話は変わりますが、結婚したいけれどいい人がいない、出会いがないという話をよく聞きます。直球ですが、どうしたら良いのでしょうか。
SHOCK: 結婚したいのは自分の本音なのか周りの人がみんな結婚するからなのか、まずは自分に問いかけてみるといいですね。自分の本音は、ダサくても腹黒くても何でもいいんですよ。親が結婚しろという理由でもいいと思いますよ。親の笑顔が見たいと思って結婚生活を始めたら幸せになることだってありますし。
また、相手がいないというのは本当にいないのか、もっといい人がいるはずだとずっといい人探し続けているのか。本当に出会いがないなら出会える場所に行けばいいし、出会っても何か違うと思えば他に探した方がいいですよね。でも、実は今の状態が心地良くて、このままの生活がいいなと感じている人もいるかもしれません。まずは自分の本音と向き合うことからでしょうか。
神社の選び方はご利益?感謝?
――結婚しかり、SHOCKさんにならって神社に行ってみようと思いますが、結婚や商売繁盛など神社のご利益に沿って参拝するのか、もしくはご利益よりも感謝をする場所だと思っていくのか、神社に行くポイントはありますか。
SHOCK: 僕の場合は、ご利益とか神社の情報を求められることが多いのでよくその話をしていますが、自分がときめいたりワクワクする方を選ぶといいですよ。縁結びを信じて通っていたら実際結婚に繋がった人もいるし、神社に行くだけで自分の振り返りができて心が洗われるという人もいます。ようは自分がそこに何を期待するかですよね。
ただ、過度の期待やこれだけやったのに何も生まれなかった……と、自分の不幸に繋がるのなら辞めた方がいいでしょう。
神社は、自分をポジティブにするためにスイッチになる。それは人付き合いも同じで、自分にとってハッピーになる人と一緒にいるべきだし、一緒にいて不幸にしかならない人は無理に付き合う必要はないんです。また、自分ばかりハッピーをもらうのではなく、自分が携わる人もハッピーになってほしいし、自分がもらった以上に返すこと。そうやって何でも高め合っていくことが一番大事だし、運の引き寄せにも繋がっていくと思うんです。
●SHOCK EYEさんのプロフィール
1976年神奈川県生まれ。RED RICE、若旦那、HAN-KUNと共に「湘南乃風」を結成。2003年、アルバム『湘南乃風~REAL RIDERS~』でデビュー。これまでにシングル19作品とアルバム7作品、ベスト盤2作品をリリース。2011年にはポルノグラフィティの新藤晴一、サウンドクリエーターの篤志と共にTHE野党を結成。また、近年は℃-uteやジャニーズWEST、You Tuberのフィッシャーズなど幅広いジャンルのアーティストの楽曲を行う。
オンラインコミュニティ『SHOCK EYEのわくわく相談室』がスタート!
恋愛、仕事、健康、お金...様々な悩みをもつ老若男女のみなさんに、SHOCK EYEがガチンコで向き合います。
https://shockeye.jp/
『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』
著:湘南乃風 SHOCK EYE
発行:講談社
価格:1,320円
コロナ終息願い祇園御霊会、京都 八坂神社が特別神事
京都市東山区の八坂神社は8日、感染が拡大する新型コロナウイルスの早期終息を願って、境外末社の又旅社(同市中京区)で特別神事「祇園御霊会」を行った。
境内の周りに幕を張り、見物できないようにして関係者が参列。邪気払いの効果があるとされるキク科の多年草「オケラ」をたき、神職が祝詞を上げた。
神社によると、平安時代に疫病退散を祈願したのが起源とされる、祇園祭にちなんだ神事。明治、大正時代に感染症がまん延した際にも、特別に神事を実施した記録があるという。
5月20日に八坂神社で、6月14日には神泉苑でも実施するが、感染防止のため一般の参列はできない。
疫病退散を願う蘭祭 名張市の國津神社
三重県名張市の國津神社で29日、疫病退散を願う例祭「蘭祭(あららぎさい)」が営まれ、新型コロナウイルスの撃退を祈願しました。
地域の人たちに「あららぎさん」として親しまれる國津神社。
約220年前、この地区に疫病が流行した際、治療にあたった医師が國津神社のお告げを受けて現在の松阪市から蘭大神をお迎えしおまつりしたところ、疫病の勢力が衰え、以来この地域では流行り病がなくなったと伝えられています。
このことから、蘭大神をお迎えした旧暦の2月16日ごろに毎年、地域の疫病の感染防止を祈願する例祭が営まれています。
今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から餅まきなどは中止となりましたが、氏子の総代らが参列して疫病の退散を祈願しました。
青森・蕪島神社、再建の社殿披露 15年に焼失、ウミネコ繁殖地
ウミネコの繁殖地として知られる青森県八戸市の蕪島にある蕪島神社で26日、例大祭が開かれ、2015年11月の焼失後に再建された社殿が初めて一般公開された。平屋だった社殿は2階建てになり、2階に本殿や拝殿、1階には参拝者の休憩スペースが設けられた。
神社は1296年創建。太平洋に面する陸続きの蕪島の頂上(高さ約17メートル)に位置し、漁業安全や商売繁盛の御利益があるとされる。一帯を襲った東日本大震災の津波の被害を免れ、復興のシンボルとしても親しまれていた。社殿の再建工事は今年2月に終わった。5億円以上の費用がかかり、半分程度は全国から集まった寄付金で賄った。
ご利益は「疫病退散」 コロナ禍で参拝者増加
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、感染予防や終息を祈願する人が訪れる神社がある。
三浦半島の総鎮守として知られる海南神社(三浦市三崎4の12の11)の境内の一角。鳥居をくぐった左奥に佇む「疱瘡(ほうそう)神社」だ。御神徳を記した案内板には「疱瘡退散・ウイルス除」とあり、先月から参拝する氏子や観光客の姿が増えたという。
疱瘡とは、天然痘ウイルスを病原体とする感染症のひとつで、強い感染力と致死率により古来の人々から恐れられていた流行病。同神社では源為朝が祀られており、由緒によると、「保元の乱」で敗れ、流刑に処され伊豆大島に送られた為朝の逸話が起源となっている。「疱瘡が流行した際に大島だけが1人の患者も出ない、これは豪勇の為朝が居たので疱瘡をよせつけないのだろう」という俗信から来ているもので、それが三崎に入ったとされている。
銀杏八幡宮の創建年代等は不詳ながら、福井藩常盤橋松平氏の邸内鎮守として祀られていたといい、御祭神を社殿にお祀りしたのは安永4年(1775)だといいます。
「中央区史」による銀杏八幡宮の由緒
社前に銀杏の大樹あるをもって銀杏八幡と称するが、社伝は詳らかでない。銀杏は震災に焼けて枯死した。(「中央区史」より)
境内掲示による銀杏八幡宮の由緒
御創建は不詳、大正12年(1923)9月の関東大震災で社殿が焼失する。御祭神を社殿にお祀りしたのは安永4年(1775)9月27日だが、当時境内には天空を覆ううっそうとそびえたつ大銀杏があり、その樹齢は300-400年と見られていたことから、御創立はそれ以前と考えられます。
本宮は、旧福井藩常盤橋松平氏の御屋敷の鎮守として祀られ、松平家はもとより家臣の崇敬を集め、武運長久・家運繁栄を祈願された。その霊験、日々あらたかにより各々ご守護あらせられ、明治維新廃藩置県を迎えた。
その後、いつとはなく松平家の領地に住む蛎殻町民の熱烈なる信仰により、郷土の氏神様となり、年々敬虔なる真心をもって祭祀を守り終戦となる。 戦後に祀職森田耕造、宗教法人令に基づいて宮委員会の決議をもって神道大教院所属「銀杏八幡宮」を設立、昭和21年12月15日更に宗教法人法による東京都知事より認証を得て現在に至った。
八幡宮を祀る神社は中央区で本宮が唯一の存在である。
尚、境内社の銀杏稲荷神社の創立は本宮創立の以前と思われる。
明治になって、文豪谷崎潤一郎は銀杏八幡のお神楽が月に一度の楽しみだったと「幼少の時代」で書いている。(境内掲示より)
浅草寺
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。
江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。
浅草神社
浅草神社(あさくさじんじゃ)は、東京都台東区浅草の浅草寺本堂右隣にある神社である。
通称に三社権現(さんじゃごんげん)、三社様(さんじゃさま)。5月例大祭は三社祭という。
浅草寺の創建に関わった土師真中知(はじのまつち)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。檜前浜成・竹成の他のもう一柱の主祭神については諸説あるが、浅草神社では土師真中知であるとしている。この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。
社伝によれば、
推古天皇36年(
628年)3月18日、漁師の檜前浜成・檜前竹成の兄弟が
宮戸川(現在の
隅田川)で漁をしていたところ、網に同じ人形の像が繰り返し掛かった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは
聖観音菩薩像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の没後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・竹成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。
実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。ご神体として前述三氏を郷土神として祀っている。
明治の
神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に
三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の
浅草神社に改称した。
湯島天満宮
旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。
古来より
江戸・
東京における代表的な
天満宮であり、学問の神様として知られる
菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。
境内の約300本の梅木のうち約8割は白梅である。
社伝によれば、雄略天皇2年1月(機械的な西暦換算で458年)、
雄略天皇の勅命により
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。
南北朝時代の
正平10年(
1355年)、住民の請願により
菅原道真を
勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建(雄略天皇2年を機械的に西暦に換算した年数)としている。
徳川家康が
江戸城に入ってから
徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、
享保期には
富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。
東京大神宮
明治政府の宗教政策転換により神宮司庁と神宮教院が分離すると、後者に属していた本神社は、大神宮祠、神宮奉斎会本院と幾度か改名した。
成田山新勝寺
参詣者数において
関東地方屈指の寺である。
初詣の
参拝客数は、2006年に約275万人、2007年に約290万人を数えており、
社寺としては、
明治神宮に次ぐ
全国第2位(千葉県内第1位)、
寺院に限れば
全国第1位の参拝客数である
[2]。今も昔も
加持祈祷のために訪れる人が多いことでも知られる。
成田国際空港に近いことから、外国人観光客にも人気がある。
香取神宮
古くは朝廷から
蝦夷に対する平定神として、また
藤原氏から
氏神の一社として崇敬された。その神威は
中世から
武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは
武神として崇敬された。現在も
武道分野からの信仰が篤い神社である。
文化財としては、中国
唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が
国宝に指定されている。建造物では
江戸時代の
本殿・
楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の
重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。
八坂神社
太田八坂神社で、毎年7月26日・27日に開催される祇園祭では無言劇が奉納され最終演目としてつく舞が演じられる。昇り獅子に扮した若者が高い柱(つく柱)に登り軽業を披露し、最後には紙吹雪を撒く。ちなみに柱から落ちると生き埋めにされるそうだ。進行中地区の子供たちは“エンヤーホー”と掛け声をかけるので、エンヤーホーのお祭りともいわれ、1999年(平成11年)に選択無形民俗文化財に選ばれ、2008年(平成20年)には千葉県の無形民俗文化財に指定された。
意富比神社(船橋大神宮)
意富比神社(おおひじんじゃ)は、千葉県船橋市にある神社。
式内社で、旧社格は県社。
通称は船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)。
延喜式では葛餝郡意富比神社の名称で登場する。
天照皇大御神を主祭神とし、万幡豊秋津姫命・天手力雄命を配祀する。
徳川将軍家の家康公、秀忠公も合祀している。
景行天皇40年、皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国御平定の折、当地にて平定成就と旱天に苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願された処、御神徳の顕現がありました。これが当宮の創始であります。
平安時代、延長5年(927)に編纂が完成した『延喜式』にも当宮が記載されており、式内社としての歴史を知ることができます。
後冷泉天皇の御世、天喜年間(1053〜58)には、源頼義・義家親子が当宮を修造し、近衛天皇の御世、仁平年間(1151〜54)には、船橋六郷の地に御寄付の院宣を賜り、源義朝が之を奉じて当宮を再建し、その文書には「船橋伊勢大神宮」とあります。
鎌倉時代、日蓮聖人(1222〜82)は宗旨の興隆発展成就の断食祈願を当宮にて修め、曼荼羅本尊と剣を奉納されました。
江戸開府の頃、徳川家康公(1546〜1616)は当宮に社領を寄進、奉行をして本殿・末社等を造営し、以来江戸時代を通して五十石の土地が幕府から寄進され幕末に至りました。
近代に入り、明治天皇陛下(1852〜1912)には習志野・三里塚へ行幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉奠遊ばされました。
往時の諸社殿の景観は、江戸時代末期の「江戸名所図会」に窺えますが明治維新の戦火のため焼失しました。
その後、明治6年(1873)に本殿が造営されたのを初めとして、大正12年(1923)、昭和38年(1963)、同50年(1975)、60年(1985)に本殿・拝殿・末社・鳥居・玉垣・参道に至るまで随時造営がなされ、県文化財指定の灯明台の修復なども経て、今日に至っております。
富岡八幡宮
東京都江東区富岡にある八幡神社。
通称を「深川八幡宮」ともいう。
江戸最大の八幡宮で、八月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。
また江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。
- 社殿
- 社殿は、1683年(天和3年)に焼失し、元禄16年には地震により損壊し、1923年(大正12年)の関東大震災でも損壊し、さらに空襲でも被害を受けるなどし、再建や修復を繰り返した。現在の社殿は1956年(昭和31年)に造営され、鉄筋コンクリートを使用した、「重層型準八幡造り」となっている。
- 末社
- 七渡神社・粟島神社 - 七渡神社は七渡弁天と親しまれる地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られている。
- 車析社・客神社
- 野見宿禰神社 - 江戸勧進相撲発祥の地であることから、相撲の始祖である野見宿禰を祀っている。
- 住吉社
- 聖徳太子社
- 天満天神社
- 祖霊社・花本社 - 花本社は深川にゆかりの深い松尾芭蕉を御祭神としている。
- 永昌五社稲荷神社
- 鹿島神社・大鳥神社
- 恵比須社・大黒社 - 恵比須社は深川七福神の恵比須さまである。
- 富士浅間社・金刀比羅社
- 昭和天皇の記念碑
- 社殿が空襲を受けた後の1945年(昭和20年)3月18日、被災地を視察した昭和天皇が侍従長・藤田尚徳に「今度の場合は[7]、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長! これで東京もとうとう焦土になったね」と語ったことを記念したものである。
- 伊能忠敬の銅像
- 江戸時代の測量家である伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年(平成13年)に当社境内に銅像が建立された。
- 資料館
- 富岡八幡宮の歴史をはじめ深川や木場の歴史にまつわる資料が展示されている。
- 力持碑
- 東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「深川の力持」を記念した石碑。
- 木場の角乗碑
- 東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「木場の角乗」を記念した石碑。
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