10人の仙台が執念のドロー! 広島は最後の最後に代償を払う◎J1第1節
【広島】ジュニオールサントス、逆襲の主役に 肉体労働で鍛えた体
「サンチェ、ごめんね…」本田望結と広島マスコットの間になにが起こった!? そして「いいね!」は2万3000超え
試合はホームの広島が先制するも、終了間際に追いつかれて1-1で終了。本田は自身のインスタグラムで「両選手の皆様、お疲れ様でした! 最後の最後まで目が離せませんでしたね。勝ちを意識した、そんな瞬間に感じました。勝ちたい気持ちが大きければ大きいほど、最後の最後まで、わかりませんね」と感想を述べ、「今年は是非また、広島に観戦に伺いたいです」などと綴った。
躍進の鍵は新たな攻撃の構築。期待は新エース候補のジュニオール・サントス | サンフレッチェ広島
「最後の最後まで目が…」本田望結がJ1開幕戦に熱狂! 可憐な“サンフレ新ユニ”姿も披露!
広島、流通経済大から仙波大志&満田誠が来季加入内定! ともにユース育ち
◆仙波大志
「このたび、サンフレッチェ広島に加入することになりました流通経済大学の仙波大志です。幼い頃から育てていただいたこのクラブで、また紫のユニフォームに袖を通して戦えることを大変嬉しく思います! 今まで支えてくださった方々に感謝し、サンフレッチェ広島に結果という形で恩返ししていきたいと思います。サンフレッチェファミリーの皆さま、よろしくお願いします!!」
◆満田誠
「来季からサンフレッチェ広島に加入することになりました満田誠です。小さい頃からの目標であったプロサッカー選手としてのキャリアをユース時代にお世話になったサンフレッチェ広島という素晴らしいクラブでスタートできることを嬉しく思います。これまでお世話になった方々へ恩返しができるように全力でプレーし、チームの勝利に少しでも貢献できるよう頑張ります。サンフレッチェ広島に関わるすべての皆さま、応援よろしくお願いします」
サンフレッチェ広島の経営は火の車…クラファンで支援を要請した【Jリーグコロナ禍2年目 悪戦苦闘の今】
「仙台の手倉森誠監督は策士。臨機応変な対応をして貪欲に勝ち点3を追い求める姿を見せたい」
23日の公式会見で城福監督は目をギラつかせて言った。就任1年目は好発進しながら川崎に王者をさらわれ、2年目の19年も序盤首位につけながら失速。3年目の昨季も頂点をつかめなかった。
鹿児島キャンプでの練習試合3戦では、大願成就できそうなチーム完成度の高さを見せつけた。
6日の松本戦は8―1で圧勝。敵将の柴田峡監督が「質と頭の回転の速さが違う。プレスをかけにいってもワンタッチするだけの彼に流れを変えられてしまう」と大黒柱MF青山敏弘の仕事ぶりを絶賛。
当の本人は「攻撃回数はもっと必要。僕の理想は(佐藤)寿人さん。前線がその領域に行けば、自分も刺激を受けてさらに伸びる」と昨季限りで引退した名FWをイメージしながら、浅野雄也やヴィエイラらFWに要求を続けると言う。
そんな広島にとって力強い新戦力がサントスである。2020年8月に柏から横浜Mにレンタルされると22試合・13得点と爆発。昨季15点を奪ったFWペレイラ(G大阪)の穴を埋める存在としては、十分に期待していいだろう。
若手選手の成長も追い風となる。19歳FW鮎川峻、20歳MF東俊希、愛媛レンタルから復帰した東京五輪世代の23歳MF長沼洋一ら伸び盛りの選手は数多くいる。
中でも昨季から10番を付ける23歳MF森島司の存在は非常に大きい。
「去年は5得点できたけど、アシストはセットプレーの1つだけ。一昨年は7~8アシストできたんで物足りなかった。自分がどれだけ得点をお膳立てできるかで順位も変わってくる」と森島自身も意識を高めている。
城福監督もセットプレーを勝負のカギと位置付けるだけに森島の一挙手一投足は重要だ。まずは策士率いる仙台を自らのひと蹴りで倒し、弾みをつけること。それを森島とチームに望みたい。
コロナ禍の昨季は平均入場者数が前年の半分以下の4545人。クラブ経営は厳しく、クラウドファンディングで支援も募った。優勝して収入増というシナリオが、広島の切なる願いである。 =つづく
サンフレッチェ広島、佐藤寿人氏の引退セレモニーを実施へ!開催日程は未定
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島は25日、元日本代表FW佐藤寿人の現役引退セレモニーを実施する予定であることを公式発表している。
同氏はジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の下部組織で頭角を現すと、2000年にトップチーム昇格。セレッソ大阪やベガルタ仙台への期限付き移籍をへて2005年にサンフレッチェ広島に加入すると、相手ディフェンダーとの駆け引きにおけるスピードや得点能力が開花し、2012シーズンにはJリーグMVPと得点王に選出された。その後は2017年に名古屋グランパスに移籍するとJ1リーグ昇格に大きく貢献。2019年にジェフユナイテッド市原・千葉へに復帰していたが、昨季限りで現役を退いていた。
サンフレッチェ広島はホームゲームにおいて佐藤寿人の現役引退セレモニーを実施する予定であるものの、解説業に集中したいという本人の意向を尊重しながら日程調整を進めていることを明らかにしている。
J1広島、来季の新加入選手にユース出身の2人
サンフレッチェ広島は25日、来季22年シーズンの新加入選手として、流通経大からFW満田(みつた)誠とMF仙波大志(ともに21)2選手の加入内定を発表した。今春から2人は大学4年になる。
熊本市出身の満田は170センチ、62キロのストライカーで広島ユース出身。大学を経て古巣でプロの第1歩を踏み出す。U-19全日本大学選抜入りも経験し「ユース時代にお世話になった、広島という素晴らしいクラブでスタートできることをうれしく思います」などとあいさつ。
広島県出身の仙波も同じく、広島ユース出身で大学経由でプロ入りする。164センチ、64キロとサイズは大きくないが、精度の高いパスで司令塔として期待され、「幼い頃から育てていただいたこのクラブで、また紫のユニホームに袖を通して戦えることを大変うれしく思います」とコメントした。
サンフレッチェ広島MF森島司、今季は「得点にこだわる」。ベガルタ仙台は「嫌な印象がある」
広島は開幕戦で仙台と対戦する。森島は「チームとしてキャンプで今のところ良くできているので、まだ対策とかはしてないんですけど、去年対戦して両方とも引き分けだったので、非常にやりづらい相手だなという感じがあるので、今年はしっかり勝ちきれるように頑張っていきたいなと思います」とコメントした。
また、森島は開幕戦の仙台戦について「仙台のイメージは粘り強く戦ってきて、去年のホームの時はラスト数分で追いつかれましたし、正直やっぱ、自分としては攻撃の選手なので自分としては嫌な印象があるので、いかに点を取れるかっていうのは凄く大事だなと思いますし、今年チームとして、得点のところをこだわってやってるんで、開幕戦では自分は前の選手なのでそういうところにかかってるかなと思います」と話し、自身のゴールでチームの勝利に貢献したいと意気込んでいる。
サンフレッチェ広島の城福浩監督、開幕戦のベガルタ仙台戦は「大きな難関」。手倉森誠監督は「策士」
広島は開幕戦でベガルタ仙台と対戦する。城福監督は開幕戦について「仙台は策士の手倉森監督に代わったので、やるサッカーのベースがありながらも、しっかり対策もされるだろうという覚悟もしてますので、そこで我々も臨機応変に対応できるような、今年のJリーグを乗り切るのに一つ大きな難関だと思ってますし、しっかり対応して勝ち点3をモノに出来るような、そんな試合をしたいなと思っています」と話した。
また、城福監督は「シーズンの最初から新しい立ち位置、チャレンジをしてますので、手探り状態のまだ途上ではあると思ってます」と話しつつ、「最終的にはこれから練るところですけども、ベガルタさんのもちろん新しい戦力もあり、新しい監督のもとで構築されているチームに対してということもそうですが、自分たちがどのように戦っていくかというところがすごい大事になってくるかなと思います」と仙台戦では自分たちのサッカーを見せると話した。
サンフレッチェ川辺駿選手「キャンプに手応え、シーズンが楽しみ」もうすぐ開幕
【J1開幕直前ガイド|サンフレッチェ広島】戦力変えずにシステムを変えて高みを目指す
「めっちゃ感動」「泣けるわ」広島のMF青山敏弘と森﨑兄弟の“レジェンド3ショット”にファン感激
昨シーズンはリーグ戦31試合に出場し、中盤の底でチームを支えた青山。右膝の大怪我からも完全復活を遂げ、自身のSNSでは約1週間後に迫るJ開幕に向けた日々の練習風景を頻繁に投稿している。
21日には、「レジェンド!」との言葉を添え、練習場に訪れたふたりのレジェンドとの3ショットを公開。そのふたりとは、広島一筋で長きに渡りクラブを支えてきた双子の兄弟、森﨑和幸氏と森﨑浩司氏だ。ともに3度のJ1制覇を経験するなど、戦友でもある兄弟に対し、青山はこう思いを綴った。
「この2人にインタビューしてもらう日が来るとは。浩司さんはもうメディア側の人です。カズさんは選手目線ですね。2人で良いバランスです。永遠に僕の中で7番と8番はこの2人です!! ずっとこの2人を追いかける6番です」この投稿には多くのファンも反応。広島の一時代を築いてきた3人の貴重なショットに感激のコメントを寄せている。
「この3ショットめっちゃ感動です」
「読むだけで泣けるわ」
「青ちゃんのコメント、いつも素敵すぎます」
「78と6の関係がいいですね」
「めちゃくちゃいい写真」
「6番もずっと」
広島がJ1制覇を果たしたのは、森﨑兄弟とともに手にした2015年が最後。あの日掲げたシャーレを取り戻すべく、27日にまずはホームでベガルタ仙台とリーグ開幕戦を戦う。
広島ユース出身のプロボクサー有光空大 今はコブシに人生懸ける「夢は世界王者」
ボクシングジムの広島拳闘会(広島市西区)に、サンフレッチェ広島ユース出身の新人プロボクサーがいる。有光空大(ありみつ・くひろ)(19)。昨年10月、ボクシング未経験ながら、ジム入会から3カ月半でプロテストに合格した。夢は世界王者になること。サッカーと決別し、自らの拳に人生を懸ける。
「とにかく強くなりたい。今はその気持ちしかありません」。固く結ばれた口元からは強い決意が伝わってくる。デビュー戦が6月20日に佐賀で行われることが決まり、「待ち遠しい。早く試合をしたい」と、はやる気持ちを抑えながら練習に励む日々を送る。
将来を嘱望されたサッカー選手だった。小学2年から始め、中学の時はサンフレッチェ広島ジュニアユースに在籍、MFとして活躍した。高校でも同ユースに昇格。ポジションはFWで背番号11を背負った。高校1年の時には国体の広島県代表メンバーに選ばれ、準優勝も経験。Jリーガーへの夢を懸命に追いかけていた。
しかし、故障が順調だったサッカー人生を大きく狂わせた。高校2年の12月に腰椎分離症を発症し、半年間プレーできなかった。腰にコルセットを巻き、日常生活でも支障をきたした。3年夏に復帰したものの思うようなプレーができず、出場機会は激減。「限界を感じた。サッカーは高校で終わりにしようと思った」。周囲から猛反対を受け、昨春、いったんはサッカーの特待生として勧誘してくれた広経大に入学したものの、コロナ禍による部活動停止も重なり、サッカーへの情熱が戻ることはなかった。
入学から2カ月で退学届を出し、その足で広島拳闘会の門をたたいた。「中学の頃から格闘技が好きでK-1やボクシングを見ていて、いつか自分もやりたいとずっと思っていた。特に高3の時に見た井上尚弥選手とドネア選手の試合は衝撃的だった。サッカーをやめてボクシングをやることに迷いはありませんでした」。ジムの山岡英仁会長(50)は「根性のある子。どんなにシゴいても、しんどいと言わないし、ケガをしていても自分からは痛いと言わない。目標に向かって真っすぐに突き進んでいる」と目を細める。サッカーで培った体力とメンタル面の強さがボクシングにも生きている。
現在は広島市内で一人暮らし。生活費は週に6日、警備員のアルバイトをして稼いでいる。午後1時から夕方までジムで練習し、帰宅後はシャワーと仮眠。夜10時ごろから工事現場で交通整理や歩行者の誘導を行う。明け方、自宅に戻るとロードワークに出発。午前中は睡眠時間に充て昼にジムに向かう。
「つらくはないです。ボクシングをしている人はみんな通る道だし、むしろ毎日ワクワクしている。こういう経験も世界チャンピオンになるための過程だと思うので」。山口県岩国市の実家では女手一つで育ててくれた母の忍さんが鉄板焼き店「龍O(りゅうおー)」を営んでいる。母は大学を辞めてボクシングをすると伝えた時も「あなたの選んだ道だから応援する」と言ってくれた。母の思いに応えるためにも前進あるのみだ。
サッカー時代のチームメートの存在も励みになっている。サンフレッチェ広島のFW鮎川峻とMF土肥航大はユース時代の同級生。有光がプロテストに合格した時は3人で食事に行き、お互いの健闘を誓い合った。「戦う世界は違うけど2人には負けたくない」
階級はライト級。世界的にも猛者がそろう層の厚い階級だが、厳しい世界だからこそ挑戦のしがいがある。「まずは全日本新人王を取りたいです」。来年2月に後楽園ホールで開催される「全日本新人王決定戦」のリングに上がり、勝利を収めることが今の目標だ。(デイリースポーツ・工藤直樹)
◆有光空大(ありみつ・くひろ)2001年6月16日生まれ。山口県岩国市出身。小学2年の時に「灘スポーツ少年団」でサッカーを始め、灘中時代はサンフレッチェ広島ジュニアユースでプレー。広島・吉田高でも同ユースでプレーした。家族は岩国市の実家に母と弟。身長175センチ。好きな食べ物は肉料理。ライト級。タイプは右ボクサーファイター。
ゴールラッシュを演出 サンフレッチェが久々に4バックを採用
「ギャップが凄い」 元日本代表MF青山、“鹿児島→広島”移動による環境の変化に驚き
鹿児島キャンプ終了後、地元・広島で雪が降るなかで練習再開
サンフレッチェ広島の元日本代表MF青山敏弘が、17日に自身の公式インスタグラムを更新。「鹿児島から広島のギャップが凄い」と綴り、雪が降るなかでチーム練習に臨んだ様子を写真と動画で公開している。
2004年に作陽高から広島に入団した青山は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)が就任した06年から主力に定着。12年にはJ1初優勝に貢献するとともにベストイレブンにも輝き、14年にキャプテンの大役を任されると、3度目のリーグ制覇を果たした翌15年にはシーズンMVP&ベストイレブンを受賞している。
2021年シーズンで広島一筋プロ18年目を迎えた青山。昨年12月にインスタグラムを開設すると、1月24日から始まった宮崎キャンプ、2月5日から始まった鹿児島キャンプの期間中にはトレーニング風景やピッチ外の話題も発信していた。
14日に鹿児島キャンプを終え、3日間のオフを挟んで17日から広島市内でトレーニングを再開したが、初日は雪が降るなかでの練習になったようだ。青山は写真と動画を投稿し、「鹿児島から広島のギャップが凄い だれか答えを教えて下さい笑」と投稿。3日前まで滞在していたキャンプ地の鹿児島は、気象庁が発表したデータによれば最高気温が15度を上回る日が多かったが、17日の広島は最高気温が7.2度、最低気温がマイナス1.7度と冷え込んでいた。
コメント欄にはファンから「風邪ひかないでください」と体調を気遣う声も寄せられるなか、青山は22日で35歳の誕生日を迎える。プロ18年目のシーズン開幕へ、ベテラン司令塔は“環境の変化”も楽しみながら、順調に調整を進めているようだ。
サンフレッチェ広島は2月17日、「ふるさと納税制度」を活用した「サッカースタジアム建設寄附募集」が1月31日現在で5,797件、2億8139万5837円に達したと発表した。
この寄附募集は2019年10月1日から、広島市、広島県、商工会議所等と協力して推進している。
サンフレッチェ広島からのコメントは次のとおり。
2019年10月1日から募集しております「ふるさと納税制度」を用いた「サッカースタジアム建設寄附募集」には、多くの方々から寄附が寄せられており、2021年1月31日現在、5,797件、281,395,837円 のご賛同、お申し出をいただいております。
これもひとえに「新サッカースタジアム」へのご賛同、ご期待の大きさを示すものと、心より感謝申し上げます。今後も継続して、より多くのご賛同を得られるように、広島市に全面的に協力し、寄附募集活動に注力して参りますので、皆さまのご理解とご賛同を賜りたく、何卒よろしくお願いいたします。
サンフレッチェ広島(以下、当社)は、2024年開業予定の、年間220万人を集客する、365日にぎわうスタジアムパーク実現に向けて、広島市、広島県、商工会議所等と協力して推進しております。ご期待の大きさを示すものと、心より感謝申し上げます。
今後も継続して、より多くのご賛同を得られるように、広島市に全面的に協力し、寄附募集活動に注力して参りますので、皆さまのご理解とご賛同を賜りたく、何卒よろしくお願いいたします。
また、上記の「寄付募集」とは別に、スタジアムパークプロジェクトの一環として、当クラブのオフィシャルショップV-POINTや試合日にエディオンスタジアムに設置する寄付ブース等で、ふるさと納税制度の対象とならない無記名の募金をお受け付けしておりますが、2020シーズンの募金額を下記の通りご報告させて頂きます。
【2020シーズン募金額】1,071,057円
内訳 ホームゲーム試合会場: 875,874円
V-POINT : 120,275円
その他 : 74,908円
(2020年2月1日~2021年1月31日)
2019シーズンの募金額は、3,510,900円。
募金総額は、4,581,957円となります。
新型コロナウィルスの流行による社会的、経済的影響が深刻な中、皆さまから寄せられた募金と、ときに当社社員にお声掛けくださる温かい言葉に、改めて深く御礼申し上げます。
皆さまからお寄せいただいた無記名の募金につきましては、整備主体である広島市に寄附を行い、その全額が広島市の設置する「サッカースタジアム建設基金」に、積み立てられます。当社は、今後も継続して、ふるさと納税制度を活用した「サッカースタジアム建設寄附募集」に注力するとともに、無記名の募金活動につきましては、ホームゲーム全試合で、寄附募集ブースを設置いたします。
また、V-POINTでも引き続き現金による寄附(募金)をお受けしております。皆さまのよりいっそうのご理解とご賛同を賜りたく、何卒よろしくお願い申し上げます。
※V-POINTやエディオンスタジアム等での現金による寄付(募金)については、 税控除及び特典等(記念カード、内覧会への招待、芳名板(ネームプレート)の掲出、ふるさと納税の返礼品)を受けることはできません。 ご注意ください。
■ふるさと納税制度を用いた寄附募集について
現在、広島市が主体となり、ふるさと納税制度を用いた寄附募集を行っております。集まった寄附金は、市の設置する「サッカースタジアム建設基金」に全額積み立てられます。詳細につきましては、広島市・サッカースタジアム建設寄附募集ページへおすすみください。www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/345/40036.html
佐藤寿人にあった幻の移籍話。「家族以外、誰にも言っていない」
2003年と2007年。異なるクラブで2度のJ2降格を経験した佐藤寿人だったが、その悔しさと、エースとしての責任を背負い、そこからストライカーとしての能力をさらに研ぎ澄ませていくことになる。
2008年にはJ2とはいえ、28ゴールをマークして1年でのJ1復帰の立役者となり、2009年にはJ1で15得点を奪って、サンフレッチェ広島のクラブ史上初となるACL出場権の獲得にも貢献した。
そして2012年には、森保一監督の下でJ1初優勝。自身は22ゴールを挙げ、得点王とMVPに輝く活躍を見せた。さらに2013年には連覇を成し遂げ、2015年には3度目の優勝も手にする。まさに右肩上がりのキャリアを築いていった。
もっとも佐藤自身は、「全然、順調だったわけではないですよ」と当時を振り返る。栄光の日々の裏にも、人知れず苦しんでいたというのだ。
2010年には「キャリアで一番大きいケガ」により、2カ月間戦列を離れた。ペトロヴィッチ体制最後の年となった2011年には、李忠成の台頭もあって自身は11得点と満足のいく結果を残せなかった。
「出場機会が奪われたわけではなかったんですが、得点の数が減ったので、はたから見たら、これから下降線をたどっていくと思われていたかもしれない。あの時はもう30歳の手前だったので、そういう見方をされているのは、ひしひしと感じていました」
そしてその年のシーズンオフ、佐藤は初めての減俸を経験する。クラブの経営状態がよくないことは理解していたが、広島に移籍以降、毎年ふたケタ得点をマークしてきた自負があっただけに、厳しい現実を思い知った。
「厳しいな、とは思いましたよ。ふたケタ取っていたので。ほかのクラブの選手にも『そんなことあるんですか』って驚かれたくらい(笑)。
もちろん、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)との契約を更新できないほどクラブの経営が厳しかったのはわかっていましたし、実際にクラブからもパフォーマンスの評価だけではないとも言われました。でも、チームのなかでは減額されていない選手もいたわけで、評価が下がっていることは感じていました」
実はその年、佐藤はあるクラブからのオファーを受けていた。
「2011年のシーズンが終わった時に、ジェフ(千葉)の当時の社長がわざわざ広島まで会いに来てくれて、2012年にジェフがJ1に上がったらオファーを出すからと言われたんです。純粋にうれしかったですよ。古巣の社長直々に、戻ってきてくれと言ってくれたのは。
そのことは家族以外、誰にも言っていないです。(兄の)勇人にも言わなかったですね。広島を離れる気持ちはなかったですけど、もしジェフが上がっていたら、真剣に考えなければいけないと思っていました」
結果的に2012年、千葉はプレーオフで大分トリニータに敗れて昇格を逃した一方、その翌日に広島はJ1初優勝を成し遂げた。もし、千葉がJ1に復帰し、広島が優勝を逃していれば、佐藤は古巣へ復帰していたかもしれないのだ。
「さすがに優勝した次の年に移籍はできなかったですし、ジェフもJ1に戻れなかったので、オファーはありませんでした。でも、2011年の僕が懐疑的に見られていた時に、J1に上がってオファーを出したいと熱く誘ってくれた。そういう想いをもって接してくれたのは、すごくありがたかったですね」
ちなみに、広島時代の佐藤には、ほかにもオファーがあったという。実現しそうだったのは、2010年の夏のことだ。クロアチアのディナモ・ザグレブからの誘いだった。
「僕はイタリアが好きなので、イタリアには行きたかったんですよ。セリエBのクラブでもいいから行きたかったですね。だから、ディナモからオファーがあった時、ディナモで活躍して、隣の国のイタリアに行こうと考えたこともありました。でも、その時はまだ広島で優勝してなかったですし、その少しあとくらいにケガをしてしまったので。そう考えると、僕の運命は広島にあったのかなと思います」
減俸されながらも初優勝の立役者となった2012年。翌2013年も最終節の奇跡の逆転劇で連覇を成し遂げた。すでに30歳を超えていた佐藤だが、その時、まさにキャリアのピークを迎えていた。
しかし、その時間は長く続かなかった。2014年、3連覇を狙った広島は8位に低迷。佐藤自身もエースの立場が揺らぎつつあった。
「あのシーズンは、年齢を重ねてきてなかでチーム内の競争もあって、出場機会も満足いくものではなかった。世代交代を意識させられた年でしたね」
2014年の夏、佐藤はある"事件"を起こしている。アウェーでの鹿島アントラーズ戦。前半で交代を命じられた佐藤は怒りの感情を抑えきれず、森保監督に食ってかかってしまったのだ。
「交代を告げられた時に握手を拒否しましたし、受け入れられない態度を取ってしまいました。後半に臨むメンバーが気持ちを高めている横で、士気を下げてしまったかもしれません」
エースとして、ましてやベテランとして、あるまじき行為である。佐藤は次の試合から2試合連続でベンチ外となった。しかしその事件は、その後のキャリアを歩むうえでの大きなターニングポイントとなったという。
「あれがあったから、21年間もやれたのかなと思います。ギラギラとしたものがなくなったら、ストライカーとしては終わりだと思っていましたから。あのあとに森保さんともゆっくり話をして、『そういう気持ちがあるなら、お前はまだまだ伸びるな』と言ってもらえました。信頼関係があるから、ああいうことになったのかなとも思います。
それまでに森保さんは常に向き合ってくれましたし、その後も変わらず向き合ってくれた。仙台時代に選手同士で同じピッチに立った経験もありますが、本当に森保さんはすごく気を遣う人。僕にとって特別な監督ですね」
その事件は、翌2015年の優勝につながることになる。すでに33歳となっていた佐藤は、自身の立場が危うくなっていることを感じていた。
「シーズンを通してレギュラーとして出るのは、もしかしたら厳しくなるかなと思っていました」
成長著しい浅野拓磨の存在もあった。実際に開幕1週間前の練習でも、サブ組に組み込まれるほどだった。しかし、佐藤がクサることはなかった。
「サンフレッチェでプレーできるのであれば、どんな役回りでもやりたい」
自らの立場を理解し、チームのためにすべてをささげる覚悟で2015シーズンに臨んだ。
そのひたむきな姿が指揮官の心を動かしたのだろうか。佐藤は開幕戦でスタメン出場すると、見事にオープニングゴールを決めている。結局その年、全試合にスタメン出場し、前年を上回る12ゴールを決めた。しかし、出場時間は2191分。1試合あたり62分程度にすぎなかった。
「あの年は僕が60分出て、拓磨と交代するというパターンでした。だから自分は、与えられた60分のなかで全力を出すことを考えていました。90分でやっていたものを、60分のなかでいかにやり切るか。拓磨とふたりで90分を戦っている感じでしたね。
よく、『毎回、途中で代えられてストレスにならないの?』って聞かれましたけど、まったくそんなことはなかった。森保さんは僕を信頼して、スタートから使ってくれた。その想いに応えたいという気持ちしかなかったですね。それはやっぱり、2014年のことがあったから。気持ちが整理できていましたね」
3度目の優勝を成し遂げた佐藤だったが、一方でキャリアの終焉を徐々に感じ取っていたという。34歳で迎えた2016シーズンを振り返り、佐藤は「そろそろ終わりに向かおうかなと考えていた」と明かした。
「常にメンバーには入っていたんですが、ピッチに立つ時間がどんどん減ってきた。筋肉も張りやすくなっていて、身体の部分の変化を感じた年でしたね」
引退を意識し始めた頃、佐藤は同じストライカーとしてリスペクトし、信頼を寄せていた播戸竜二に会う機会があった。
「バンさんとは昔から話をすることが多くて、その時も自分の想いを伝えたんです。そしたらバンさんは『わざわざ自分でやめる方向に向かわなくてもいいんじゃない? 選手だったら、どうピッチで勝負するか。結果的に引退する時が来るわけだから、わざわざ自分からそっちに向かわなくていいんちゃう?』って。それを聞いて、たしかになと。自分から行く必要はないなと思ったんです。あの時はバンさんが思いとどまらせてくれましたね」
本音を言えば、広島で引退をしたかった。2005年に加入し、降格の悔しさも優勝の喜びも味わってきた。2016年に広島一筋で引退した同い年の森崎浩司の引退セレモニーを見ながら、ちょっとうらやましくさえ思った。「来年は、自分がセレモニーをやってもらえる立場になるかもしれない」と。
一方で、「まだピッチの上で点を取りたい」という想いも湧いていた。そんな折に届いた名古屋グランパスからのオファー。「選手として必要と言ってもらえるのは幸せだな」。そう思った佐藤は、12年間在籍した広島を離れる決断を下した。
「広島が大好きで、離れたくなかったですね。ましてや、広島で引退したいと、ずっと言ってきましたから。あの時も、広島から残ってほしいと言ってもらいました。でも、戦力というよりも、これまでに残してきたものを含めたトータルの評価だったと思います。
名古屋は純粋に戦力として見てくれた。一選手としてもう一回ピッチで勝負したいと思ったんです。あとは風間(八宏)さんの指導を受けてみたい、という気持ちもありましたね」
名古屋での2年間は「あらためて学ぶことが多かった」と振り返る。
「今までは自分がゴールを奪う役割でしたけど、風間さんの下では、若い時は拒絶していたであろう2列目もやりました」
一方で、ピッチ外でも佐藤は精力的に動いた。
「僕が移籍する前年に名古屋はJ2に落ちたんですが、選手とファン・サポーターの距離ができてしまったと聞きました。なので、キャプテンとして、その距離を戻す、新しいものを作るという役割も求められていました。名古屋の時はがんばらないといけないことが多かったし、無理しているところもあったと思います。
広島時代は千葉(和彦)ちゃんが率先してやってくれましたけど、名古屋では僕が引っ張っていくしかなかった。試合に出てないのに、試合後にビブスのままスタンドに向かって盛り上げ役をやっていましたよ。『36歳にもなって、なにやってるの』って自分でも思いましたけど、殻を破ってやれることをやろうと」
名古屋には2年間在籍し、ピッチでは思ったような結果を残せなかったが、"殻を破った"佐藤の努力もあって、観客動員数は飛躍的に向上したという。
そして2019年、最後のクラブとなったのは、自身の原点である千葉だった。しかし、J1昇格というミッションを果たせないまま、スパイクを脱ぐことになった。
「難しい2年だったかなと思います。兄と一緒にJ1復帰のために戦ってきましたが、兄が10年間向き合って成し遂げられなかったものは、やはり簡単ではなかったなと。
そもそも、上げるも何も、上がるかどうかの勝負にさえたどり着かなかった。J2で一番悪い時期になってしまいましたし、立て直せないまま自分はやめる決断を下すことになってしまった。育ててくれたクラブをJ1に戻せなかったのは、やっぱり心残りですね」
それでも、心残りはあっても、やり残したことはないという。
「プロの世界に入った時は、正直こんなに長くやれると思わなかった。引退会見でも言いましたけど、恵まれたサッカー人生だったと思います。とくに人との出会いに恵まれた、幸せな21年間でしたね」
引退後は、指導者の道を目指すという。最大のミッションは「ストライカーを育てる」ことだ。
「いろんなカテゴリーのストライカーを見ていきたいですね。自分は選手として21年間を歩んできただけなので、まずは指導者になるための勉強をしっかりとやらないといけない。将来的に監督をやるのか、マネジメント側に行くのかはまだ決めていませんが、まずはストライカーをしっかり育てていきたい。僕はいろんな人に育ててもらって、ここまで来られた選手ですから」
人に恵まれた21年間の、プロサッカー選手としての人生。酸いも甘いも噛み分けたその経験を、今度は伝えることが使命となる。Jリーグ史に残るレジェンドストライカーは、第二の人生でも"多くのゴール"を生み出していくはずだ。
【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、出場機会を求めてセレッソ大阪、ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。ポジション=FW。身長170cm、体重65kg。
佐藤寿人、挫折と屈辱もあった21年。「正直、ひどい監督だと思った」
佐藤寿人インタビュー@前編
J1通算161得点は、大久保嘉人(現・セレッソ大阪)に次いで歴代2位。J2、リーグカップ、ACL、日本代表などすべての公式戦を含めれば、276のゴールを積み上げている。
3度のリーグ優勝、得点王、MVPなど、チーム・個人含め数々のタイトルを獲得した偉大なるストライカーが、2020シーズンをもって21年にわたる現役生活に幕を下ろした。
21年間のプロ生活にピリオドを打った佐藤寿人氏
輝かしいキャリアの一方で、その道のりは決して平坦だったわけではない。本人曰く、「幸せな21年間」は挫折と苦闘の21年間でもあったのだ。
佐藤寿人がプロの世界に足を踏み入れたのは、2000年のこと。双子の兄・勇人とともにジェフユナイテッド市原(現・千葉)のユースからトップチームに昇格を果たした。
しかし、1年目は8試合に出場したのみで、得点はなし。2年目に初ゴールこそ記録したものの、レギュラーを脅かす存在とはなれなかった。いきなり味わったプロの洗礼。しかし、佐藤は試合に出られない悔しさ以上に、自身の力不足を痛感していた。
「あの時は悔しさというより、単純に力がなかったですね。チームの力になれる選手ではなかった。やっぱりプロの世界で生きてきた守備の選手って百戦錬磨の人ばかり。18、19歳の選手がバンバン点を取れるほど甘い世界ではなかったですね」
そこで佐藤はプロ3年目の2002年に、J2へ武者修行に出ることを決断する。
「J2に行って、実戦を積んで、そのなかで成功体験を掴んで、ジェフに戻ろうと」
行き先は、前年にJ2に降格したセレッソ大阪。大分トリニータ、大宮アルディージャからのオファーもあったというが、U-20日本代表時代に指導を受けた西村昭宏監督の存在がC大阪行きの決め手となった。
もっとも、移籍を決めたあとに、予想外の出来事が起こる。C大阪には森島寛晃、ひとつ年下の大久保嘉人と、すでに前線にタレントが揃っていたのに加え、開幕前にプレミアリーグのボルトン・ワンダラーズから西澤明訓の復帰も決定。さらにボスニア・ヘルツェゴビナ代表のトゥルコビッチも加わった。
「えっ、ジェフよりFW多いじゃんって(笑)。でも、一度行くと決めた以上は、今さら行きませんとは言えなくて。さらにそのタイミングで、ジェフの監督だった(ズデンコ・)ベルデニックが名古屋に引き抜かれたんですよ。
監督が代わったので、ジェフに残れば試合に出られるかもしれない。実際にジェフからも、残れと言われました。でもなぜか、あの時の僕は頑固だったんですね。一回決めたことを撤回することはできなかった。そう考えると、あの移籍は自身のキャリアのターニングポイントになったと思います」
「J2で経験を積んで、ジェフに戻る」。佐藤の思い描いていたプランは、土台から揺らごうとしていた。「J2でも試合に出られないかもしれない」。実際に佐藤はその年、ほとんど試合に出ることができなかった。残した成績は13試合2得点。FWではなく、ウイングバックとして起用される屈辱も味わった。
「今でも忘れないですよ。首位の大分相手に0-3で負けている状況で、残り15分くらいに西村さんに呼ばれて。当然、FWで出ると思っていたんですが、なぜか左ウイングバックだった(笑)。練習でもやったことないのに、何を求めているのかなと。ソツなくこなしたんですけど、次の日のミーティングで『途中から入った選手がこんな消極的なプレーじゃ話にならない』と、名指しで批判されたんです」
佐藤からすれば、解せない話である。
「正直、ひどい監督だと思いましたよ(笑)。練習でもやったことのないのに、できるはずがないじゃないですか」
でも、その想いは、キャリアを積み重ねていくなかで、変化していくことになる。
「あの状況で何ができたんだろう、と考えるようになりました。左ウイングバックであっても、チームを活性化させることはできたはず。あの時、僕はミスをしたくないから無難にこなしましたけど、0-3で負けている状況であれば、リスクを負って中に入るとか、ボールを呼び込むとか、もっとほかにできることがあったんじゃないかって。
あの時は釈然としませんでしたが、西村さんなりのメッセージだったと思うんです。僕はそれをくみ取れなかっただけ。まだ若かったのもあったんですが、30歳を超えたあたりから、そう思えるようになりました。今度、西村さんに会ったら聞いてみたいですね。もう忘れているかもしれないですけど(笑)」
思い描いていた移籍にはならなかったが、C大阪へ行ったことは後悔していない。J1昇格の喜びも味わえたし、昇格を決めたあとに当時の社長から「来てくれてありがとう」と声をかけられたこともうれしかった。天皇杯では3得点と結果を出すこともでき、その活躍が認められ、翌年にJ1のベガルタ仙台への期限付き移籍を勝ち取った。
しかしその仙台で、佐藤は生涯忘れられないほどの悔しさを味わうことになる。移籍1年目の2003年、仙台は16チーム中15位に終わり、J2へと降格した。
「2003年の仙台での降格と、広島に移籍した後の2007年の降格。このふたつは絶対に忘れられないです。なぜ、そういう結果になってしまったのか。僕がこれからもサッカーに携わっていくのであれば、あの時、なぜ失敗したのかをしっかり検証して、活かしていかなければいけない出来事だと思っています」
2003年、佐藤はプロのキャリアで初めて、シーズンを通してピッチに立ち続けた。30試合に出場して9得点と、個人としてはまずまずの結果を残している。それでも、佐藤は「僕はJ2に落とした張本人」と、厳しく当時を振り返る。
「当時はまだ21歳でしたし、その若い選手に責任を負わすのはどうなんだ? という優しい声もありました。でも、プロであれば年齢は関係ない。FWである以上、もっとゴール奪わなければいけなかった。チャンスがなかったわけではないし、僕が決めていれば勝てた試合もあった。そう考えると、降格は僕の責任。ストライカーというポジションは、そういうものを背負わなければいけないんです」
降格した試合の直後に、佐藤は地元のメディアに対してチームに残ることを明言している。レンタルから完全移籍に移行して臨んだ2004年は、J2とはいえ20ゴールと結果を出した。しかし、チーム自体は昇格争いに絡むことができず、翌年に佐藤はサンフレッチェ広島へ移籍した。
「仙台をJ1に戻せないまま、移籍してしまったのは心残りではありますね。仙台の人たちは本当に優しかったですし、あのスタジアムの雰囲気も特別なもの。結局、2年しかいられなかったですけど、今でも思い出に残っていますし、離れてからも好きな街のひとつですね」
翌年に広島に移籍した佐藤は、J1の舞台で日本人トップとなる18ゴールをマーク。ベストイレブンにも輝き、ジーコ監督率いる日本代表にも選出された。
日本屈指のストライカーにまで成長を遂げた佐藤は、ここからキャリアを飛躍させていくはずだった。しかし2007年、またしても佐藤の胸には大きな傷が刻まれた。
「優勝する想いで広島に行って、2005年にいい結果を出して、2006年は序盤につまずいたんですが、シーズン途中にペトロヴィッチ監督が来てくれて、すごくいいサッカーができているという手応えがありました。当初は、残留できるかという順位から10位でシーズンを終えて、右肩上がりで2007年に入ったんです」
開幕戦でも佐藤とウェズレイの2トップがともに2点ずつを上げてFC東京を撃破し、最高のスタートを切っている。
「シーズン序盤は、ウェズレイとふたりで得点王争いできるねっていう話をしてたんですよ」
ところがそんないい状態も束の間、佐藤とウェズレイの2トップに対するマークが厳しくなると、結果を出せなくなっていく。攻撃的なスタイルを標榜するがゆえに、守備の崩壊も招き、次第に広島の順位は下がっていった。
それでも「危機感はなかったですね」と佐藤は振り返る。
「優勝争いできるだろうと思っていたので。結果が出ないなかでも、ひとつ勝てば大丈夫だろうという自信がなぜかありました。でも、終盤になるにつれ、残留争いのプレッシャーにさらされて、ライバルとの直接対決にも勝てなくなったんです」
気づけば、広島は自動降格こそ免れたものの16位に終わり、京都サンガとの入れ替え戦に回ることとなった。
「21年のキャリアのなかで、入れ替え戦はあの時だけ。1週間で2試合を戦ったんですが、本当に生きた心地がしなかったですね。サッカーって何なんだろうって、本当に訳がわからなくなっていました」
結局、京都との入れ替え戦はアウェーゲームを落とすと、ホームゲームはスコアレスドローに終わり、J2降格の悪夢を味わうこととなった。
「落ちるべくして落ちたと思います。どこかで大丈夫とだいう想いが最後まであったのかもしれないですね。でも、悪くなってからではもう遅いんです。いい状態の時にも、悪い部分は隠れている。そこを追及しなければいけなかった。そこはあの降格から学べた部分です。
結果に対して一喜一憂するのではなく、目の前のことをしっかりと見続けることが大事。これからもサッカーに携わっていくのであれば、あの経験を活かさなければいけないと思っています」
仙台での降格以上に、佐藤は責任を感じていたという。
「あの時、僕は11試合もゴールが取れなかったんです。当時は日の丸もつけていましたし、自分が結果を出さなければいけない立場なのも理解していました。取るべき人間が11試合も取れなければ、勝てるわけはありません」
一方で、11試合も点を取れなかったのに、なぜ自分が試合に出続けられるのか。自分が出ないほうが勝てたかもしれない。そんな想いも湧いていた。
「あらためてそのシーズンの公式記録を見返したんですけど、点が取れてないのにほぼフル出場だったんですよ。他のFWにとっては、そうとうストレスだったと思いますよ。
一度、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)に『疲れているお前と、代わりのストライカーを比べた時に、それでも疲れているお前のほうが点を取れると思ったらピッチに残す』と言われたことがありました。そこまで信頼してくれてありがたかったですけど、ミシャの言葉を肯定できるのも、僕が結果を出してこそ。だから結果を出せずに恥ずかしさもありましたし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
降格決定直後、責任を一身に背負ったストライカーは、ファンに向かって涙ながらに広島残留を宣言した。
(後編につづく)
【profile】
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、出場機会を求めてセレッソ大阪、ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。ポジション=FW。身長170cm、体重65kg。
サンフレッチェ広島で3年目を迎えるハイネル、今季への意気込み語る「東京五輪の開催で…」
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島に所属するブラジル人MFハイネルが今シーズンにかける意気込みを語った。13日、ブラジルメディア『ISTOE』が伝えている。
現在30歳のハイネルは2017年にポンチ・プレッタから川崎フロンターレに1年レンタルで加入したものの、公式戦19試合の出場にとどまりシーズン終了後に期限付き移籍期間満了により退団。その後、同選手は一度ブラジル国内クラブに籍を置いたが、2019年にサンフレッチェ広島へ加入。昨季は公式戦20試合の出場とレギュラー定着には至らなかったが、期限付き移籍期間を1年延長したことにより、今季もサンフレッチェ広島でプレーすることが決定している。
ハイネルはブラジルメディアのインタビューに対応すると、東京五輪が控えていることについて「オリンピックの開催(を控えていること)によって世界中の目線が日本に集まるし、日本の人々は自然とスポーツとともに日々を過ごすだろうね。今シーズンのリーグ戦は普段フットボールの情報を追いかけていない人々からも注目されると思っている。2021年にリーグ優勝を成し遂げることは歴史的なものになるはずだよ」と語っている。
東京五輪の開催に関しては世界中で新型コロナウイルス感染拡大が収まっていないため不透明な状況となっている。それでもオリンピックをきっかけにより多くの人々がJリーグにも注目することをブラジル人であるハイネルも願っているだろう。
サンフレッチェ広島、期待の新戦力5人。Mr.理不尽! 目玉はマリノスで爆発したFW
山梨育ちのセンターバック
DF:今津佑太(いまづ・ゆうた/背番号33)
生年月日:1995年7月8日(25歳)
前所属: ヴァンフォーレ甲府
2020リーグ戦成績:36試合出場/2得点0アシスト山梨県南アルプス市出身で、中学時代までは県内でプレー。流通経済大学付属柏高校に進学し、流通経済大学を経て、故郷の山梨県でプロになった。負傷などの影響によりプロ入り内定をもらうのが遅く、大学卒業直前だった2018年のプレシーズンキャンプに参加してヴァンフォーレ甲府に加入することが決まった。
1年目からJ2でリーグ戦24試合に出場したものの、2年目はわずか5試合。3年目の2020年に36試合出場2得点と安定した成績を残し、サンフレッチェ広島移籍を勝ち取った。浮き沈みの大きい3年間を過ごしてきたが、努力が実って自身初のJ1参戦のチャンスをつかんでいる。
広島では野上結貴、荒木隼人、佐々木翔という3人が不動のディフェンスラインを形成している。新シーズンに向けて4バックをテストしているという報道もあるが、新加入の今津はまず実績豊富な彼らとのポジション争いに挑んでセンターバックでの定位置獲得を目指すことになる。
チームを鼓舞する縁の下の力持ち
GK:川浪吾郎(かわなみ・ごろう/背番号22)
生年月日:1991年4月31日(29歳)
前所属: ベガルタ仙台
2020リーグ戦成績:0試合出場/0失点
プロキャリアの大半を控えGKとして過ごしてきた縁の下の力持ちだ。柏レイソルのアカデミー出身で、2010年にトップチーム昇格を果たす。2011年の後半戦にFC岐阜へ期限付き移籍したのを皮切りに、2013年以降は徳島ヴォルティス、アルビレックス新潟、ベガルタ仙台を渡り歩いてきた。
レイソルでトップチームに昇格してからの11年間でリーグ戦出場は17試合しかないが、2014年以降はずっとJ1クラブに在籍し続けている。有事に備える控えGKとしての役割のみならず、常に腐らず努力を続けてチームを盛り上げるムードメーカーとしての働きも高く評価されている証拠だろう。常にフォア・ザ・チームを体現する人格者だ。
広島では東京五輪世代の主戦GK大迫敬介と、38歳のベテランGK林卓人が激しいポジション争いを繰り広げている。昨季は前者がリーグ戦15試合、後者が同19試合でゴールマウスを守った。川浪は彼らを支える第3GKとして控えることになりそうだ。
マリノスで覚醒したMr.理不尽
FW:ジュニオール・サントス(じゅにおーる・さんとす/背番号37)
生年月日:1994年10月11日(26歳)
前所属: 横浜F・マリノス(※期限付き移籍期間満了)→柏レイソル
2020リーグ戦成績:22試合出場/13得点0アシスト(横浜F・マリノス)
2020リーグ戦成績:1試合出場/0得点0アシスト(柏レイソル)
柏レイソルでは全くといっていいほど出番がなく、オルンガらの陰に隠れた存在だった。しかし、昨季途中に横浜F・マリノスへ期限付き移籍すると水を得た魚のように大活躍。リーグ戦22試合で13得点を挙げてブレイクを果たした。
ブラジル時代にプロクラブのアカデミーに所属した経験がなく、守備における周りとの連動やポジショニングなど戦術的な細かい動きはあまり得意ではない。それでも驚異的な身体能力とテクニックの融合した突破力と豪快なフィニッシュを武器にJリーグのDFたちを蹂躙した。荒削りだが、個の力のみで何もないところから突然ゴールを生み出せる理不尽さはオルンガに匹敵するものがあった。
マリノスへの期限付き移籍期間は昨季終了とともに満了を迎え、今季は保有権を持っていたレイソルからサンフレッチェ広島へ完全移籍。レアンドロ・ペレイラがガンバ大阪へ移籍した穴を埋める活躍が期待される。新天地でもゴール前で暴れまわる姿が見られるに違いない。
左サイドのミキッチ
MF:藤井智也(ふじい・ともや/背番号15)
生年月日:1998年12月4日(22歳)
前所属: 立命館大学
2020リーグ戦成績:15試合出場/0得点0アシスト
岐阜県の進学校出身で高校時代までは全くの無名選手だったが、立命館大学で台頭して注目を浴びた。3年次の2019年には関西学生サッカーリーグ1部でベストイレブンとアシスト王に輝き、2020年2月に翌シーズンからのサンフレッチェ広島加入内定とJリーグ特別指定選手への指定が発表された。
鹿児島県で2次合宿中のサンフレッチェ広島は最終日となる2月14日、J2のモンテディオ山形と指宿いわさきホテルサッカー場で45分×4本の練習マッチを行い4-0のスコアでキャンプを”打ち上げ”た。
■試合結果
サンフレッチェ広島 4-0 モンテディオ山形
【1本目】1-0
【2本目】0-0
【3本目】1-0
【4本目】2-0
■得点経過
【1本目】16分:ジュニオール・サントス(1-0)
【3本目】39分:柏好文(2-0)
【4本目】20分:永井龍(3-0)
【4本目】23分:練習生(4-0)
サンフレッチェ広島は広島に戻り、2日間のオフを挟んで練習を再開させる。
サンフレッチェ広島で3年目を迎えるハイネル、今季への意気込み語る「東京五輪の開催で…」
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島に所属するブラジル人MFハイネルが今シーズンにかける意気込みを語った。13日、ブラジルメディア『ISTOE』が伝えている。
現在30歳のハイネルは2017年にポンチ・プレッタから川崎フロンターレに1年レンタルで加入したものの、公式戦19試合の出場にとどまりシーズン終了後に期限付き移籍期間満了により退団。その後、同選手は一度ブラジル国内クラブに籍を置いたが、2019年にサンフレッチェ広島へ加入。昨季は公式戦20試合の出場とレギュラー定着には至らなかったが、期限付き移籍期間を1年延長したことにより、今季もサンフレッチェ広島でプレーすることが決定している。
ハイネルはブラジルメディアのインタビューに対応すると、東京五輪が控えていることについて「オリンピックの開催(を控えていること)によって世界中の目線が日本に集まるし、日本の人々は自然とスポーツとともに日々を過ごすだろうね。今シーズンのリーグ戦は普段フットボールの情報を追いかけていない人々からも注目されると思っている。2021年にリーグ優勝を成し遂げることは歴史的なものになるはずだよ」と語っている。
東京五輪の開催に関しては世界中で新型コロナウイルス感染拡大が収まっていないため不透明な状況となっている。それでもオリンピックをきっかけにより多くの人々がJリーグにも注目することをブラジル人であるハイネルも願っているだろう。
【引退】佐藤寿人「よく1億数千万も払ったなと」広島移籍決断、最高の仲間とのゴール、青山敏弘と流した涙
「1月は少し休もうかなと思っていたんですけど、なかなかスイッチがオフになるところがなくて。子どもたちも学校がありますし、選手時代と変わらない1月を過ごしていましたよ」
日本屈指のストライカー佐藤寿人が、昨季限りで21年間におよんだプロ生活に終止符を打った。
オンラインでの会見から約1カ月。例年であればシーズン開幕に向け、すでに身体を作っている時期だが、そのルーティンもなくなった。その習慣が体に染みついているからこそ、少し物足りなさも感じている。
「もうボールを蹴る場所がないというのは初めての経験なのでちょっと寂しいなって。“選手”ではなく“さん”と呼ばれるのもまだ慣れません(笑)」
ピッチ外での行動もさほど変わらないようだ。朝6時半の起床が7時になったくらい。現役時代は極力控えていたお酒もいまだノンアルコールビールを好んで飲み、トレーニングも継続していると笑う。
「リミッターを外してしまったらすぐに体型が変わってしまいますから。まだ選手のフォルムを維持したいので(笑)」
J1&J2で得点王、12年連続2桁ゴール
170cmと小柄ながらも、優れた得点感覚で、21年間の現役生活で数々のJリーグ記録を樹立してきた。
Jリーグ歴代最多の220得点はもちろん、J1でも通算2位の161得点を記録。ルヴァン杯(旧ナビスコ杯)は通算1位の29得点を挙げ、12シーズン所属したサンフレッチェ広島では2008年にJ2で28得点、12年にJ1で22得点を挙げ、得点王に輝いた。ちなみに、日本人でJ1・J2の両カテゴリーの得点王を獲得しているのは佐藤だけだ。さらに04年~15年までは12年連続で2桁得点を達成している。
しかしすべてが順風満帆なサッカー人生だったというわけではない。プロかけ出しの頃はもがき苦しんだ。2000年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のアカデミーからトップチームに昇格したが、最初の3年間のリーグ戦で奪ったゴール数はわずか「4」。世代別代表では結果を残しながらも、所属チームではなかなか思い通りにプレーできなかった。
その後、セレッソ大阪を経て、03年からプレーしたベガルタ仙台で持ち味を生かしながら少しずつチャンスをつかんだ佐藤は、自身4クラブ目となるサンフレッチェ広島でその才能を大きく開花させることになる。
誰しも人生の岐路が存在し、その時々で意思決定をしながら前へ進んでいく。生きていくということは決断の連続だ。
人生を左右する場面に立たされたときは、どちらの道へ進むべきか複数の選択肢の間で悩む。2005年の広島への移籍は、21年間のサッカー人生の中で、佐藤が「最も考え抜いた決断だった」という大きなターニングポイントになった。
仙台をJ1に戻す――。
そう公言してきた自分が広島へ移籍することは“裏切り”になるのではないかと思い悩んだ。名実ともにベガルタの象徴としてサポーターからも愛されていたからこそ、簡単には決断できなかった。
「考えて考えても答えがでませんでしたね。“(仙台に)残留しようかな”と思った次の日には“やっぱり(広島に)移籍しよう”という気持ちになり、またその数時間後には“やっぱり残留しよう”と気持ちが変わるんです。その繰り返しだった。本当に結論が出なかったので、クラブには何も知らないと判断ができないから、オファーしてくれた広島を見に行きたいと直訴したんです」
仙台からおよそ1200km。広島県安芸高田市にあるサンフレッチェ広島の練習場、吉田サッカー公園を訪れると、その眼前に広がる光景に一瞬にして心奪われた。その記憶は今でも鮮明に残っている。
「“あっ、ここで自分が大好きなサッカーの練習をしたらうまくなれるな”って。もし、あの年の吉田のグラウンドの芝生がボコボコしていたら、移籍していなかったかもしれません。それほど、青々としていた芝生が衝撃的だったんです」
「サッカーに集中できる環境だった」
ただ、この移籍では経験したことがないほどの大きな重圧ものしかかった。
「広島に行く前まではJ1で11点しか取っていない選手でしたからね。自分で言うのもなんですけど、クラブもよくそんな選手に1億数千万も払ったなと。広島がそれほどの移籍金をかけて日本人選手を獲った前例がなかったので、相当なプレッシャーにはなりました。それに見合う活躍が期待され、結果を求められているんだなって思うと」
在籍した12年間に広島で決めた得点は178。3度のリーグ優勝、そして、12年にはJリーグMVPと得点王に輝いた。
それはひとえに彼自身の努力の賜物に過ぎないのだが、当の本人は「自分がどうこうということじゃないし、何か特別なことをしたわけじゃない」と強調する。
「市原からC大阪、仙台と移籍して、いろいろな選手とチームを作る、その中の一員になるという経験ができたことが生きたと思います。広島に移籍加入したときには、まず周りの選手の特徴を理解し、自分の特徴を知ってもらうということを徹底して行えたことが良かったのかなと思います。それにあの青々とした芝生の上でたくさん練習できたこと、広島という街、クラブも含めて、サッカーに集中できる環境だったことも大きかったですね」
いかに味方とイメージを共有し、ゴールを奪うか。それが自分の武器であり、生命線の1つだと考えていたからこそ、パスを供給し続けてくれた仲間への感謝は惜しまない。
「広島に入ったときは、当時の日本トップレベルの両サイド、(服部)公太さんやコマ(駒野友一)がいて、面白いように両サイドからボールが上がってきました。その後も(リ・)ハンジェやミカ(ミキッチ)、近年だと(清水)航平やカシ(柏好文)もいて。入ったばかりの頃はまだトシ(青山敏弘)からの1本のパスでゴールという形は完成していなかったですけど、その後、トシとも(ラインを)成熟させることができました。
さらに(高萩)洋次郎や(柏木)陽介など自分の思いを受け止め、それを形に変えてくれる選手がいた。そして、その根底には同学年のカズ(森崎和幸)やコウジ(森崎浩司)がいて。僕の場合は、そういった仲間たちに恵まれていたし、共に作り上げていったという感覚なんです」
初ゴール決め、開幕へ意気込み 昨季J1デビュー、岐阜出身のサンフレッチェ広島・藤井選手
「自分が知っている最高の教科書」広島・青山敏弘が手本にしてきた“名パサー”とは? 10年前のガンバ戦を回想
2月9日、サンフレッチェ広島のMF青山敏弘が自身のインスタグラムでパス練習の動画を投稿。これまでの現役生活17年間において、「手本に練習してきた」という選手の存在を明かした。
昨シーズンは失点の多さが響くなど、思うように勝ち星を積み上げられず、J1・8位でシーズンを終えた広島。昨年で修正すべき課題も浮き彫りとなったなか、現在は鹿児島県にて2次キャンプを実施し、新シーズンに向けて準備を進めている。
そんな広島で今季現役18年目を迎える青山が、9日にSNSで正確なボールタッチが際立つ自身のパス練習風景を撮影した動画を公開。また、サッカーダイジェストWebにて掲載された『【橋本英郎】独断と偏見の“J歴代パサー”ベスト10!』で自身が8位に輝いたことに触れ、「めっちゃ嬉しい。自分が書かれてる所、何度も読み直しました」と喜びを露わにした。
「10年以上前にホームでガンバと試合した時、初めて遠藤さんのインサイドパスの凄さを体感しました。蹴るんじゃなくて足でボールを弾いている様なインパクト。芝生の上を滑って伸びていく軌道。インサイドのボールが伸びていくんだよ。当時の僕には理解できなかった。それを手本に練習してきた。あのインサイドに近づきたくて。自分が知っている最高の教科書。明日もインサイドパスの練習が楽しみです」
昨季はボランチで31試合に出場。いまもなお衰えを知らないパスセンスを存分に発揮し、右膝の大怪我からの完全復活をアピールした青山。日本を代表する司令塔から吸収して磨き上げたパス技術で、今季こそ広島を6年ぶりのJ1王者へと導けるか。注目したい。
広島がJ2磐田に6発大勝、19歳FW鮎川ら得点
<練習試合(45分×2本、35分×2本):広島6-2磐田>◇10日◇鹿児島県内◇一般非公開
鹿児島キャンプ中のサンフレッチェ広島は、J2ジュビロ磐田と計160分の練習試合を行い、6-2で大勝した。
1本目にFWドウグラス・ヴィエイラ(33)、2本目にFW鮎川峻(19)とMF東俊希(20)が得点するなど圧倒した。
広島は宮崎で1次キャンプを行い、現在の鹿児島での2次キャンプは14日に打ち上げる予定。
広島MF長沼洋一に第一子長女が誕生
サンフレッチェ広島は11日、MF長沼洋一(23)の第一子(長女)が9日に誕生したことを発表した。
長沼は2016年に広島ユースからトップチームに昇格。昨季は期限付き移籍先の愛媛でJ2リーグ戦39試合に出場し、2得点を記録した。2017年途中から山形、岐阜、愛媛と続いたレンタルでの武者修行を終え、今季から広島に復帰している。
城福サンフレ 浮沈の鍵は“シャドー”にあり、期待のドリブラーが誓う“ゴール増”
いよいよ今月末にJ1リーグが開幕する。サンフレッチェは2月27日に、ホームのエディオンスタジアム広島でベガルタ仙台と対戦。ここでは、さらなる飛躍が期待されるサンフレ戦士を編集部目線で紹介していく。
佐藤寿人が残したものを引き継ぎ…“クオリティの違い”でチームをけん引する青山敏弘
「やっぱりクオリティが違うし、頭のスピードも速い。『プレスがハマった』と思っても、青山(敏弘)にトトーンとリターンされるだけで状況が変わっちゃう。やっぱりトシみたいな選手はJ2にはいない。違いがあって当たり前ですけど、まさにJ1トップですよ」
2月6日、鹿児島・指宿で行われたサンフレッチェ広島vs松本山雅FCの練習試合。松本の柴田峡監督を唸らせたのが、広島のキャプテン・青山敏弘だった。1~2本目に登場した背番号6は、絶妙なポジショニングとボールコントロールで攻守両面の起点となった。守備では敵の攻撃の芽を摘み、攻撃時は鋭いタテパスでチャンスを演出する。2本目に鮎川峻が挙げたゴールも彼がお膳立てしたもの。傑出したパスセンスは35歳を目前にした今も健在だ。
さらに特筆すべきなのは、要所要所での的確なコーチングだ。ボランチでコンビを組む川辺駿を筆頭に、森島司、浅野雄也、鮎川峻といった若手に対し、青山はつねに大声を出し、立ち位置やバランスを巧みに修正する。その戦術眼と圧倒的な存在感には、敵将も脱帽するしかなかった。
「キャンプに入ってから2度目の実戦ですけど、やるべきことは整理できているし、コンディションも上がってきている。連携も運動量も目に見えてるんで、非常に前向きです。前からプレッシャーをかけにいく形を宮崎キャンプから意識してきましたし、課題をこの試合でしっかり改善できたかなと。攻撃はシュートまで行く回数がもうちょっと必要になりますね。ボールを持っている割には勝負のパスや最後の形がほしいなというのはあるので、開幕まであと2試合、取り組んでいきたいです」と語る大ベテランには、現段階までの調整が順調と映っている様子だ。
今季の広島は城福浩監督体制3年目。目立ったメンバーの入れ替えは、外国人助っ人のレアンドロ・ペレイラが去ってジュニオール・サントスが加わったくらいで、骨格は不動だ。チーム成熟度は着実に増しているだけに、今季は2015年以来のJ1タイトルを何としても奪還したいところだ。
新型コロナウイルスに翻弄された昨季は、序盤こそ上位を走ったが、中盤から失速して8位に甘んじた。プロ18年目の大黒柱はこの結果に満足していないはず。悔しさを糧に再浮上したいと飽くなき闘争心を燃やしているに違いない。
青山の向上心を煽る原動力の1つになっているのが、偉大な点取屋・佐藤寿人の引退ではないか。昨年12月の引退会見で「11月頭にジェフ(ユナイテッド千葉のクラブハウスから電話で引退を伝えた時ところ、彼も泣いてくれて、自分も涙が止まらなくて、1時間くらい泣きながら喋った。長い時間を共有した仲間ですし、ベストパートナーはトシ以外には考えられない。もう彼からパスをもらえないかと思うと非常に寂しい」と佐藤が切々と語ったことを、もちろん彼自身も熟知している。
「みんなの前で言わなくてもいいのに…」と苦笑いした青山だが、Jリーグ通算220点という目覚ましい記録を残した男とともに全力で戦った日々は今も脳裏に焼き付いて離れない。現在の広島には当時を知らない選手も少なくない。若いチームメートに3度のJ1制覇を果たした栄光の時代を伝えるべく、勇敢かつ貪欲に戦い続けていこうと改めて決意したことだろう。
「寿人さんが僕のFWの理想。これから寿人さんがサンフレッチェにどれだけ関わってくるかわからないけど、彼が離れていても寿人さんの影響はこのチームにあったし、これから一緒に仕事をしたいのも確かです。寿人さんがズバズバ指摘してくれることでFW陣も伸びてくるのかなと思うし、35歳になった自分もさらに伸びる楽しみがあります」と、青山はストライカー養成に第2の人生を賭けようとしている指導者・佐藤寿人との共闘を心待ちにしている。
それが叶うかどうかは、今後の吉報を待つしかない。が、いずれにしても、永井龍、浅野雄也、鮎川峻ら日本人FW陣を「寿人基準」に引き上げるのも、キャプテンの大きな役目と言っていい。青山はその重責を誰よりもよく理解しているからこそ、練習試合で声高に喋り続け、時には怒号にも近いコーチングをし続けているのだ。そこまで絶大な影響力を持つバンディエラは今のJリーグを見渡してもそうそういない。城福監督も特別な存在と出会えた幸運に感謝しているかもしれない。
指揮官から絶大な信頼を寄せられる青山が今もこうしてピッチで雄姿を示せるのも、深刻な右ひざのケガを乗り越えられたから。ちょうど2年前の2019年アジアカップでの負傷によって、彼は引退危機に瀕した。さまざまな手を尽くしても痛みが引かず、本人は「もうダメなのかな…」と諦めに近い状態に陥ったという。それを池田誠剛フィジカルコーチらメディカルスタッフが救ってくれたのだから、恩返ししなければいけないという気持ちは強い。2020年はリーグ戦31試合出場1得点とフル稼働したが、今季もコンスタントな試合出場はもちろんのこと、チームを勝利に導く明確な結果が強く求められるのだ。
現在のキャンプ地・指宿は、奇しくも2014年ブラジルワールドカップの1次キャンプ地。そこからチャレンジした初めての世界の大舞台で高い壁にぶつかり、号泣してから6年半。円熟味を増したボランチはこの先も歩みを止めるつもりはない。高みを目指し続ける男の2021年シーズンは果たしてどのようなものになるのか。開幕が待ち遠しい。
文=元川悦子
広島、松本との160分練習試合で8-1圧勝…永井&サントスがそれぞれ2発
公式サイトによると、試合は45分・35分・45分・35分の合計160分で行われた。
広島は1本目の前半8分にDF佐々木翔のゴールで先制し、2本目はユースからの昇格2年目のFW鮎川峻が決めて追加点。3本目は永井の2ゴールが決まってさらに突き放すと、4本目は先に失点しながらもMF長沼洋一、MF藤井智也の得点と、FWジュニオール・サントスの2ゴールで4点を加え、8-1で試合を終えた。
佐藤寿人&森﨑ツインズ SP対談 ~僕らのジダイ~
昨シーズン限りで現役を引退した元サンフレ・佐藤寿人さんが初出演!
サンフレッチェ広島に12年間在籍し、エースストライカーとして活躍した佐藤寿人さんが「サンフレ応援!森﨑浩司の“Foot style”」に初登場。意外にも同級生・森﨑ツインズとの対談は現役時代も含め、初めてのことです。
黄金期を築いた3人のレジェンドが㊙エピソードを初公開!
クラブを3度のリーグ優勝に導いた同級生3人が、引退した今だから明かせる㊙エピソードを初披露!また、セカンドキャリアへの想いや2024年完成予定の新サッカースタジアムについて、3人が描く夢のビジョンとは…⁉
◆2011年、寿人さんにあった他クラブからのオファー⁉残留を決意したタイトルへの想い
◆和幸C.R.Mは意外と天然⁉引退後、浩司アンバサダーがハマったスポーツとは?
◆新サッカースタジアムで叶えたい同級生3人の共通の夢
放送日時
2月16日(火)深夜0時50分~1時25分
出演者
ゲスト
進行
【J1戦力分析|サンフレッチェ広島編】最大のポイントは、主軸FWの入れ替えが吉と出るか、凶と出るか
昨季リーグ3位の15ゴールを決めたレアンドロ・ペレイラの慰留に失敗し、代わりにジュニオール・サントスを獲得。主軸で唯一入れ替えたFWが、新シーズンにおける最大のポイントとなる。
J・サントスは城福監督の「個で相手を剥がしていく選手が必要」というリクエストどおりのFWで、チームにフィットすれば得点量産もあり得る。反面、守備戦術に細かい柏に適応できなかった過去があり、堅守が売りの広島に馴染めるかは未知数だ。
また得意の単独突破は裏を返せばパスを出さないきらいがあり、味方との崩しからワンタッチゴールを奪うL・ペレイラとはスタイルも異なる。
4季目となる城福体制は主力メンバーをあまりいじらなかったおかげで、パスの連係と守備のコンビネーションが高まった。それを崩さないまま、新たなタイプのエース候補をチームに上手く組み込めるか。吉と出るか凶と出るかは、城福監督の手腕次第だろう。
■ポジション別戦力分析
FW
昨季リーグ15得点のL・ペレイラを流出し、同13ゴールのJ・サントスを補填。D・ヴィエイラや永井も健在で、人材は豊富に揃う。
MF
ボランチの野津田と松本を放出し、サイドプレーヤーの長沼と藤井を加えた。手薄となった中盤にはハイネルが適応可能のため問題ない。
DF
佐々木、荒木、野上は今季も中心軸となるだろう。退団した櫛引の代わりに獲得した今津は、盤石のスタメン争いに割って入れるか、楽しみだ。
GK
東京五輪代表候補の大迫をベンチに追いやる林の実力は衰えを知らない。38歳となった現在も、セービング能力は錆びついていない。
監督
若手を鍛えて世代交代を推し進めつつ、直近3年すべてリーグひと桁順位は称えたい。4年目に突入する今季、欲しいのはタイトルだ。
※『サッカーダイジェスト』2月11日号(1月28日発売)より一部修正して転載。
文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)
元広島&神戸監督のバクスター氏、衝撃の「レイプ発言」で即刻解雇に
かつてサンフレッチェ広島とヴィッセル神戸で監督を務めたことで知られている英国人指導者スチュワート・バクスター。今季はインディアン・スーパーリーグのオディシャFCを率いていた。
先日行われたジャムシェードプルFCとの試合では0-1と敗北していたが、その終了後のインタビューでバクスター監督はこんな発言をしたとのこと。
スチュワート・バクスター
「誰もが自分の決断をしなければならないが、彼らはそうしなかった。
どのような時にペナルティキックが貰えるのかどうかわからない。
ペナルティキックを得るには、我々の選手の1人が誰かをレイプしなければならないのか。あるいは自分自身を犯さなければならないのか」
この発言はインド最大のスポーツ放送局である「スタースポーツ」で生中継されており、多くのファンから批判を受けることになったとのこと。
そしてオディシャFCは即座に「文脈がどうであれ完全に受け入れられないもので、クラブの価値観を反映していない」として、スチュワート・バクスター監督の解雇を決断したとのこと。
なお、現在オディシャFCは14試合を戦って1勝5分け8敗と苦戦しており、11チーム中最下位に沈んでいる。
2月27日のエディオンスタジアム広島開幕戦に向けジュニオール サントス、森島司ら着々…サンフレッチェ広島が2次キャンプに備えて全体練習再開
トップ画像は練習の合間に笑顔を見せる選手たち、左から10番をつけて2年目で真価が問われる森島司、高卒2年目の土肥航大、期限付き移籍より復帰の長沼洋一、キーマンのひとり東俊希、城福監督の下で1年目の昨季リーグ戦29試合に出場した茶島雄介
サンフレッチェ広島は2月3日、広島市内で全体練習を再開した。
1月24日から31日まで宮崎市のシーガイアで1次キャンプを行い、2日間のオフを挟んで、5日から鹿児島県指宿市で行う2次キャンプに備える。
開幕は2月26日。もう3週間しかない。そして12月4日までのJ1リーグ戦期間中に昨季の34節より多い38節を戦い、その結果4クラブがJ2に降格する。
2020年シーズンで新型コロナウイルスの影響によりJ1からJ2への降格が行われず、一方でJ2からは2クラブが昇格。2021シーズンはJ1が20クラブとなったための措置。今季の結果でJ2から2クラブが昇格してくるJ1は、2022年シーズンから18クラブ体制に戻る。
「Jリーグ史上最大の修羅場」(足立修強化部長)となる厳しいシーズンを逞しく乗り切るためにサンフレッチェ広島は城福浩監督の4季目を迎え様々な”変化”に挑戦中。
一方で長丁場になるとはいえ、コロナ禍の影響でリーグ戦がどう転ぶか、もわからない。
…となれば開幕からの好スタートは優勝を争うための絶対条件になる。新たに加わった、あるいは復帰したメンバーによってチーム力をどれだけ底上げできるか?
この日も攻撃力を高めるための連動性の確認に時間が割かれ、完全移籍で加入のジュニオール サントスの動きも上々…
得点力アップを掲げる城福浩監督が描くイメージが着々と選手たちに落とし込まれつつある。
サンフレッチェ広島の開幕戦は2月27日(土)、相手はベガルタ仙台。エディオンスタジアム広島で午後2時キックオフ。「エディオン スポンサードゲーム」として、先着9000名に「応援グッズ オリジナルロールフラッグ」がプレゼントされる。
サンフレOBが佐藤寿人に惜別エール「いち早く“おかえりなさい”と言いたい」
Jリーグで数々の金字塔を打ち立てた、元サンフレッチェ広島の佐藤寿人が現役引退を表明した。他クラブ所属時と同様に、サンフレッチェに所属した12年間でもゴールを量産。J1歴代2位の通算161ゴールを決めたストライカーとの思い出を、サンフレOBの吉田安孝氏が余すところなく語り尽くす。
森崎和幸C.R.M「新たなる挑戦」《1月18日配信》
サンフレッチェクラブ会員向けに配信しているメールマガジンの内容を、スポーツナビでもご紹介!
今回は、森崎和幸C.R.Mが日々の活動や出来事などをつづったコラムです。
いちはやくご覧になりたい方は、ぜひ、サンフレッチェクラブにご加入ください!
「ご支援ありがとうございました!」
今年の年末年始、皆さんはどのように過ごしましたか? 今年はコロナ禍にあったため、帰省を控えたり、外出を自粛された方も多かったのではないでしょうか。僕も年末年始はほぼ家の中で過ごしました。
長女と遊ぶことも多かったです。散歩がてらに近くの川沿いに行き、一緒に石投げにチャレンジ。よく飛ぶように平たい石を探して、10回くらい連続で水切りをすることができました! 寒空の下、2日連続で出かけるくらい、子どもも楽しんでくれてよかったです。
家の中では、おそらく人生2回目くらいとなるパズルにも挑戦しました。子どもが「鬼滅の刃」にはまっているので、1,000ピースくらいある大きなパズルを買ってきて、作ってみることにしたんです。これは思った以上に大変でした(苦笑)。でも、腰を痛めながらもやり切りましたよ! 1回作り始めると、集中しますね。食事のとき以外は、ほぼずっとパズルと向き合って、ちゃんと完成させました! 今年、初めての達成感です(笑)。子どもも喜んで部屋に飾ってくれたので、作ってよかったなと思います。ステイホームでできることを見つけて、家でも楽しく過ごすことができました。
少し前置きが長くなりましたが、昨年末に行ったクラウドファンディング「俺たちの円陣プロジェクト」では、目標額を大きく上回るご支援いただき、本当にありがとうございました。改めてお礼申し上げます。
選手たちの「クラブのために」という想いを、多くの方に協力いただきながらも形にすることができてよかったです。途中は目標額を達成するのは難しいかなと思っていましたが、ラスト3日間の追い込みはすごかったですね! 特に最終日の勢いは素晴らしく、僕自身もサンフレッチェファミリーの皆さんから感動をもらいました。感謝の思いでいっぱいです。
現役のときは勝利や優勝という形で達成感を味わうことができましたが、引退してからはなかなかそのような思いを感じることができなかったなか、このプロジェクトを通じて当時の感覚を思い出したような気がします。自分一人では何もできなかったと思いますが、選手やクラブスタッフ、支援いただいたファミリーの皆さんにも助けていただき、大きな成果を出すことができました。この円陣をもっと広げて、よりたくさんの方と喜びを分かち合うことができたらいいですね。
たくさんお寄せいただいたコメントも、本当にうれしかったです。もちろん、すべて拝見しました。「サンフレッチェが生きがい」「なくてはならないもの」と言っていただいたり、「サンフレッチェは自分の日常」という声も多く、そう思っていただける人をもっと増やしていきたいと思います。
プロジェクトが成功したとはいえ、これが僕自身のゴールだとは思っていません。皆さんからいただいた想いにどう応えていくか。勇気をいただいたので、希望をお返しするような取り組みをしていかなければ、と強く感じています。
今回の円陣プロジェクトは成功しましたが、今後、何か新しいことに取り組んだときには失敗するかもしれません。ただ、それはチャレンジしてみないとわからないこと。挑戦することの大切さを改めて感じました。これからも皆さんの力になれるようなことを、考えていきたいと思います。
引退後からC.R.Mとして活動し、2年目の最後に大きなプロジェクトにかかわれたことは自信になりました。多くのことを学ぶことができたので、この経験を今年も活かしていきたいです。まだ当面はコロナ禍が続き、サンフレッチェファミリーの皆さんとつながりを持ちづらい状況ということもあり、僕自身が皆さんとクラブをつなぐパイプのような役割をしていくことができたらいいなと思っています。円陣プロジェクトでは皆さんからいただくばかりでしたので、できれば双方向でコミュニケーションがとれるような何かができるといいですね。クラブとしては、昨年は観客動員に苦戦していたこともあり、そこでも何か力になれることができないか、考えていきたいと思います。
今年もしっかりと取り組んでいきますので、よろしくお願いいたします。
アル・アイン塩谷司、“お辞儀パフォーマンス”をクラブ公式公開 右足弾でドローに貢献
ホール・ファカン戦の前半40分、1-1の同点弾をマーク
UAE1部アル・アインに所属するDF塩谷司がリーグ第14節ホール・ファカン戦でゴールを決めた。日本代表のMF中島翔哉も所属する中東の強豪で存在感を発揮し、“お辞儀パフォーマンス”を見せている。
塩谷はプロ7年目の2017年6月にサンフレッチェ広島からアル・アインへ移籍。日本人史上3人目となるUAE1部でのプレーを決断した。2018年のFIFAクラブワールドカップ決勝では、世界的名門のレアル・マドリード相手に技ありのヘディング弾を決めた。
今冬からは中島も加入。そんななか、ホール・ファカン戦で塩谷がゴールを決めた。1点を追う前半40分、ペナルティーエリアから右足でシュートを放ち、同点に。攻守において、存在感を発揮した塩谷だが、チームは2-2のドローで試合が終了している。
クラブの公式インスタグラムは塩谷のゴールパフォーマンスを投稿。チームメートとともに両手を合わせて“お辞儀”する姿を公開した。中東でも同僚とともに愛されている様子が伝わってくる1枚となっている。
新たな日本人の仲間も加入し、塩谷も充実の時間を迎えているようだ。
「良い軌道」 広島MF青山、自画自賛の芸術的ロングキックにファン感嘆「美しい」
宮崎キャンプの練習のひとコマで高精度のキックを披露
サンフレッチェ広島の元日本代表MF青山敏弘が、公式インスタグラムを更新。練習中のロングキックの練習動画をアップし、「良い軌道」と順調な調整ぶりをうかがわせると、「職人」「美しい」などと称賛の声が相次いでいる。
2004年に作陽高から広島に入団した青山は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)が就任した06年から主力に定着。12年にはJ1初優勝に貢献するとともに、ベストイレブンにも輝いた。14年にキャプテンの大役を任されると、3度目のリーグ優勝を果たした翌15年にはシーズンMVP&ベストイレブンを受賞している。
2021年シーズンでプロ18年目を迎える青山。1月24日から宮崎キャンプに臨んでいるなか、昨年12月に開設したインスタグラムに一本の動画をアップした。映像では、ピッチを横に使ってロングパスを練習。青山の代名詞でもある高精度フィードを彷彿させるかのように、正確かつ伸びのあるボールを対面のスタッフの足元付近にぴたりとつけてみせた。
「良い軌道。試合で出したいね」
こうメッセージを添えた投稿には、ファンからも「職人」「美しい」「広島の心臓」「青ちゃんカッコいい!」「青山選手のパスは芸術です」「惚れてしまう~」と期待を寄せるコメントが多く寄せられた。
2月22日に35歳を迎えるが、青山は2021年シーズンも力強くチームを牽引してくれそうだ。
サンフレッチェ広島の元日本代表MF青山敏弘が、公式インスタグラムを更新。練習中のロングキックの練習動画をアップし、「良い軌道」と順調な調整ぶりをうかがわせると、「職人」「美しい」などと称賛の声が相次いでいる。
2004年に作陽高から広島に入団した青山は、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)が就任した06年から主力に定着。12年にはJ1初優勝に貢献するとともに、ベストイレブンにも輝いた。14年にキャプテンの大役を任されると、3度目のリーグ優勝を果たした翌15年にはシーズンMVP&ベストイレブンを受賞している。
2021年シーズンでプロ18年目を迎える青山。1月24日から宮崎キャンプに臨んでいるなか、昨年12月に開設したインスタグラムに一本の動画をアップした。映像では、ピッチを横に使ってロングパスを練習。青山の代名詞でもある高精度フィードを彷彿させるかのように、正確かつ伸びのあるボールを対面のスタッフの足元付近にぴたりとつけてみせた。
「良い軌道。試合で出したいね」
こうメッセージを添えた投稿には、ファンからも「職人」「美しい」「広島の心臓」「青ちゃんカッコいい!」「青山選手のパスは芸術です」「惚れてしまう~」と期待を寄せるコメントが多く寄せられた。
2月22日に35歳を迎えるが、青山は2021年シーズンも力強くチームを牽引してくれそうだ。
サンフレッチェ宮崎キャンプ 新システムでの初陣を勝利
サンフレッチェです。キャンプ4日目の27日は、今シーズン初となる対外試合に挑みました。新システムの手ごたえはどうだったのでしょうか。
J3・ロアッソ熊本とのトレーニングマッチ。30分を3本の90分形式で行われ、システムは新たに取り組んでいる「4-2-3-1」で試合に臨みます。
まずチャンスを作ったのはサンフレッチェ。4分、前線からのプレスでボールを奪うとクロスに永井が飛び込みます。
一方守備では、センターバックの野上・荒木が持ち前の守備力を発揮し、相手に得点を与えません。2本目には、去年最終戦でケガをしていたキャプテン・佐々木が出場。すると、2分、森島のフリーキックに佐々木が合わせ先制点を奪います。
試合はそのまま1対0で終了。新システムでの初陣を勝利で飾りました。
【荒木隼人選手】
「ある程度いい形は好守において作れた。ポジションのずれがでていたので、そこの受け渡しはもう少しはっきりと」
【城福浩監督】
「チームとしては現段階で守備はしっかり表現できたと思いますし、攻撃も新しいシステムの中で(いい形が)垣間見えた所があって良かった」
広島、J3熊本に練習試合で勝利 メンバーは非公表
<練習試合:広島1-0熊本>◇27日◇フェニックス・リゾート・シーガイア スクエア1
サンフレッチェ広島は27日、キャンプ先の宮崎県内でJ3ロアッソ熊本と練習試合(30分×3本)を行い、1-0で勝利した。
広島は2本目に、2年連続主将を務めるDF佐々木翔(31)が得点した。メンバーなどの詳細は非公表。
サンフレ本拠地、総事業費270億円 広島市が見通し /広島
J1・サンフレッチェ広島の新たな本拠地として中区の中央公園広場に整備するサッカースタジアムの総事業費に関し、広島市は25日、総事業費が270億9900万円になる見通しを示した。当初は230億~270億円と見積もっていた。
サンフレッチェ広島を長年応援している人はこの動画を絶対見てほしい!(雑学言宇蔵のサッカー選手・佐藤寿人雑学)
サンフレッチェ広島、日本代表DF佐々木翔がキャプテンに就任!副キャプテンには…
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島は25日、2021シーズンのキャプテンと副キャプテンを公式発表している。
サンフレッチェ広島は昨季、若手選手の台頭が著しく、大型連敗を喫しなかったもののJ1リーグ8位に終わり、巻き返しが求められる。また、オフシーズンには松本山雅から期限付き移籍により加入していたFWレアンドロ・ペレイラが退団したものの、他の主力選手はおおむね残留。また、ペレイラの後釜として柏レイソルからFWジュニオール・サントスを獲得している。
新スタジアムでのこけら落としから逆算する形で中長期的なチーム作りを行う中、城福浩体制4年目を迎えるサンフレッチェ広島だが、今季は日本代表DF佐々木翔がキャプテンを務めることになった。また副キャプテンにはMF川辺駿が指名されている。
なお、サンフレッチェ広島は今月24日から宮崎県内でキャンプを行っている。成長著しい有望株を多く抱える中、森保一率いる日本代表でプレー経験のある佐々木翔がどのようにチームをまとめるのか注目したいところだ。
城福監督「全員いい表情」 1次キャンプスタート
J1サンフレッチェ広島は24日、宮崎県内で1次キャンプをスタートした。入国後の自宅待機期間中となっているジュニオールサントスら4選手を除く23選手が参加。31日まで、体力づくりに主眼を置いたトレーニングに取り組む。
選手たちはこの日、広島から移動して午後3時半から練習をスタート。ランニングやボール回しの後、ハーフコートを使っての8対8の実戦形式の練習に取り組んだ。
初日の練習を約1時間半で終え、城福監督は「張り切りすぎないかどうか心配するほど、全員いい表情をしていた。コンディションを上げることを最優先に取り組みたい」と話した。
広島新サッカースタジアム10カ月ぶりトップ会談開催も、「スタンドプレー」の湯崎知事とスタジアム建設で急に小声になる松井市長の不仲続きまさに「自滅の刃」か…
(
)画像は2020年1月30日のトップ会談でGoサインが出た新サッカースタジアム案、あれからもう1年が経過したが、その間、スタジアム関連の動きは極めて限定的だった
広島新サッカースタジアム10カ月ぶりトップ会談開催も、「スタンドプレー」の湯崎知事とスタジアム建設で急に小声になる松井市長の不仲続きまさに「自滅の刃」か…
……
1月24日、福山市の高校教諭が「かつら」で女湯に「侵入」。現行犯逮捕されたニュースはあっという間にネットランキング上位になった。だが、鼻出しマスク受験生が「メガネが曇る」とそれなり?の言い分がったように、この教諭も何らか理由があるのでは?実際に現場を取材しないのであれば、断言はできない。
ついでに言えば翌25日の中国新聞の「かつら」教諭記事は小さな見出しに18行ベタ記事。しかし本名明記。自社の「元局長」の女子トイレ「侵入」は読売新聞にすっぱ抜かれても記事にもしていない。メディアはそれぞれの「バイアス」を通してのみニュースを報じる。
もちろんこのひろスポ!も、だ。報じる内容の価値を信じて…
女湯に入ればバレるだろうに…
しかしそうでもない。河井夫妻は今となっては“バレバレ”だが当時は大胆に現金を配り歩いていた。それにはそれで理由がある。「コレ総理から」などと言って配っているのだから、そのあたりのことも容易に想像はつく。
7月23日開幕の東京五輪まであと半年となった1月23日、開催するのかどうするのか、で様々な報道が飛び交った。だが、事実として分かっていることがある。
大会のキーマン、電通が汐留の本社ビル売却をこのタイミングで明らかにしたことは、“東京にまた五輪が来ない”ことを十分裏付けるものだ。
ただし、大手メディアは電通には逆らえないため報道は最小限。これも「バイアス」だ。
東京五輪延期が決まった際、国内68社はどこも「もういいです」とは言わず、計200億円弱の追加出資や物品提供を決めた。もちろん間には電通が入っている。
68社は巨額の資金を提供する代わりにスポンサー用の入場チケットなど様々な恩恵に預かる。もし無観客ならこれもパーになる。またスポーツの“祭典”の在りようからして無観客五輪はあり得ない。
68社の顔触れを見れば、なぜ国民に犠牲を強いてまでGo To Go To…と国が連呼したのか、そのワケもすぐ分かる。その委託先は電通。1兆数千億円の予算の多くが巡り巡って五輪スポンサーの懐へ…並行して国内医療は疲弊し、在宅死亡者が続出。「巨費」の使い方が重要だ。
学術会議任命「拒否」で「スガーリン」の呼称は言いえて妙だった、が今では「自滅の刃」と報じられるまでになった。菅首相の話だ。「巨費」と「拒否」は両刃の剣。
「自滅の刃」は広島にとっても他人事ではない。
湯崎知事の「スタンドプレー」(報道関係者)で80万人にPCR検査、国からはハシゴを外された。誰がどこでそれをやるのか?
「自滅の刃」は新サッカースタジアムにも向けられている。
広島県の湯崎記事、広島市の松井市長、広島商工会議所の池田会頭、サンフレッチェ広島の久保会長によるトップ会談が行われたのは2020年の3月30日。あっという間に10カ月が経過した。その間、8月のトップ会談を急きょ非公開にしたから、表向きにはきょう1月25日に広島市中区で開催されるものが「それ以来」となる。
建設予算問題で松井市長と湯崎知事が歩み寄りの姿勢を見せないまま、トップ会談ではいかに「自滅の刃」をかわすか?が注目される。
広島市では「中央公園サッカースタジアム(仮称)整備等に係る事業者の募集・選定支援業務」の委託先を選定する公募型プロポーザルを実施することを前回3月のトップ会談のあとすぐに発表した。
その履行期間は2021年3月31日。締め切りが迫る中ではどんなに知事と市長の仲が悪くても話を進めるしかない。
これもひろスポ!独自の見方ではあるが、サッカースタジアム建設には大きな不安がつきまとう。
理由は湯崎知事、松井市長とも「熱量」が足りないから。菅首相がツイッターの件で指摘されたのと同じで、主体性、もっと言えば何をどうしたいのか?がぜんぜん見えない。
繰り返すがそれはあくまでひろスポ!の感じ方。でも、そう思われても仕方ないだろう。
例えば1月18日、サンフレッチェ広島の仙田社長らが市役所に松井市長を訪問した際、こんなことがった。
仙田社長と松井市長は約1メートルの距離で話をして、マスク越しにも聞き取ることができたのに「スタジアムについても…」と松井市長の方から切り出した途端、その声は小さくなった。
中国放送バイトちゃんの持つガンマイクとひろスポ!取材班の2名だけが、松井市長から3メールの距離にいた。スタジアム関連の話を聞きとられることを避けたとしか考えようがない。ひろスポ!に「市長、サンフレッチェに新スタジアム予定通り建設を約束」と書かれることが、そんなに嫌なのだろうか?
やっと最後の方で「サンフレッチェ広島の活動と着実にコラボレーションじゃないけどやっていきたい」のところだけ聞き取れた。
東京五輪パラリンピックはアスリートファーストの原則からかけ離れたものになりつつあり、東京を逃せば五輪の舞台に立てなくなる種目の選手らにとっては苦難の日々が続いている。
悪戯に先送りしてきた広島の新サッカースタジアムもコロナ禍の猛烈な逆風、という「自滅の刃」に晒されている。今年11月には県知事選挙があるが「自滅…」気味の責任の一端を担うはずの湯崎知事はほとんどスタジアム問題に手を貸さないまま、県職員の給付金を強制徴取しようとしたり、PCR検査で大風呂敷を広げたり「スタンドプレー」(報道関係者)を存分に披露したのち、お役御免となる可能性もある。
広スタ特命取材班
FC東京、DF丹羽大輝が契約満了で退団「また笑顔でお会いしましょう」
FC東京は24日、DF丹羽大輝との契約が2020シーズン限りで満了となったことを発表した。
丹羽は1986年1月16日生まれの現在35歳。ガンバ大阪の育成組織出身で、2004年にトップチームへ昇格した。2007年に徳島ヴォルティスへ、2008年に大宮アルディージャへ、同年8月にはアビスパ福岡へ期限付き移籍。福岡には3シーズン半に渡って在籍し、2010シーズンはクラブのJ1昇格に貢献した。2012年にG大阪へ復帰。2014シーズンには国内三冠に大きく貢献するなど、G大阪の黄金期を支えた。2015年には日本代表デビューも飾っている。
2017年7月にサンフレッチェ広島へと完全移籍。翌年7月には完全移籍でFC東京へ加入した。2018シーズンは明治安田生命J1リーグで6試合に出場したものの、翌シーズンはリーグでの出場機会を得られず。2020シーズンは明治安田生命J1リーグで3試合、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で1試合に出場した。J1通算で159試合出場2得点、J2通算で149試合出場6得点を記録している。
契約満了に際し、丹羽はFC東京のクラブ公式HPで以下のようにコメントを残している。
「首都東京。感じた事、学ばせてもらった事は数え切れません。伝えたいことは山ほどありますが、今後の自分の生き様を見て頂き、僕からメッセージをみなさんに送り続けます。出会えた全ての方に感謝。また笑顔でお会いしましょう。VAMOS TOKYO!!」
広島が予定通り宮崎キャンプ実施 体調不良者は陰性
サンフレッチェ広島は23日、宮崎での24日からのキャンプを予定通り実施すると発表した。
チームは広島県内で23日に始動予定だったが、22日にチーム内に体調不良者が出たことでオフにし、この日、その当該者に新型コロナウイルス感染症のPCR検査を実施した結果、陰性判定を受けた。
19日には、クラブでは初となる新型コロナの陽性判定を選手1人が受けたことで、本来20日に予定していた始動を取りやめていた。
VONDS市原は21日、MF山岸智が2020シーズンかぎりで現役を引退すると発表した。
山岸は1983年生まれの37歳。ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)のジュニアユース、ユースを経て、2002年にトップチームに昇格。2003年の開幕戦でJリーグ初出場、初ゴールを決めるなど、イビチャ・オシム監督の下で出場機会を増やした。2006年10月には日本代表に初選出され、ガーナ戦で代表デビュー。2008年には川崎フロンターレへ完全移籍で加入した。2010年にはサンフレッチェ広島へ期限付き移籍し、レギュラーに定着する。翌2011年に広島に完全移籍を果たし、3度のリーグ優勝に貢献した。2016年から大分トリニータへ移籍し、2018年からは関東1部リーグのVONDS市原に所属していた。
Jリーグのキャリア通算では、J1リーグ290試合出場29得点、J2リーグ26試合出場、J3リーグ18試合出場をマーク。また、日本代表として国際Aマッチ11試合出場を記録している。
山岸は「2020年をもって引退する事に決めました。19年というプロキャリアを築けた事を誇りに感じ、今後の人生にしっかり活かせるように、第二の人生を楽しみたいと思います。今まで共に戦って頂いたジェフ千葉、川崎フロンターレ、サンフレッチェ広島、大分トリニータ、VONDS市原の関係者の皆さん本当にありがとうございました! そして何よりも僕を1番近くで支えてくれた家族に対して本当に感謝を伝えたいと思います。19年間本当にありがとうございました!」とコメントしている。
【サンフレッチェ広島の最新陣容】焦点はL・ペレイラの代役となるJ・サントスの順応。“諸刃の剣”をどう生かすか
近年恒例のレンタルバックは…
ガンバ大阪が松本山雅FCからFWレアンドロ・ペレイラを獲得!昨季はサンフレッチェ広島に期限付き加入で26戦15発
ガンバ大阪は22日、ブラジル人FWレアンドロ・ペレイラが松本山雅FCから完全移籍することを発表した。
L・ペレイラは、母国ブラジルのパルメイラスやシャペコエンセといった複数クラブやベルギーのクラブ・ブルージュなどを渡り歩き、2019年に松本に完全移籍加入。同年夏から2020シーズンいっぱいまでサンフレッチェ広島に期限付き移籍し、昨年は明治安田生命J1リーグ26試合で15ゴールを記録した。
G大阪への加入が決まったL・ペレイラは、クラブ公式サイトを通じて「今回、ガンバに加入できる事になってグループの一員になれて嬉しいです。そして全ての皆さんの期待に応えられるように頑張ります。早くチームメイトのみんなに会える事を楽しみにわくわくしています」と意気込んでいる。
MVP選手が生電話で登場!! 年間ベストゲームを振り返ろう!! マンスリーサンフレッチェ 2020年シーズン 年末特別編
佐藤寿人「今だけ良くてもダメ」、曽ケ端準「ミスをしたときこそ…」Jを去る男たちが悩み、考えていたこと
雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は、長きにわたってJリーグで活躍し、昨季限りでの現役引退を表明した佐藤寿人、岩下敬輔、曽ケ端準の3人の言葉をご紹介します。
<名言1>
今だけ良くてもダメなんです。これをずっと続けないと。来年も、再来年も。
(佐藤寿人/Number816号 2012年11月8日発売)
浦和レッズの失速により、サンフレッチェ広島とベガルタ仙台の一騎打ちとなった2012年のJリーグ。リーグ創設時に参加した“オリジナル10”のチームで唯一、3大タイトル(Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯)を得ていなかった広島は、第33節セレッソ大阪戦での勝利で悲願の初タイトルを獲得。そのチームを牽引したのが佐藤だった。
第25節で首位の座を奪い返したことで「いよいよ優勝へ」というムードも漂う中、稀代のワンタッチゴーラーは自分を戒めることでチームを引き締めた。シーズンが終わってみれば、自身初となる得点王に輝いたほか、最優秀選手賞、フェアプレー賞、ベストイレブンと個人タイトルを総なめ。広島の初タイトルは佐藤の活躍なしには成し遂げられなかっただろう。現状に決して満足しないマインドはチームに根付き、翌年もJリーグを制している。
大久保嘉人に次ぐJ1通算161得点
2020年12月26日、プロ生活21年を終えたタイミングでスパイクを脱ぐことを決断した佐藤は、引退会見で「幸せでした」と振り返っている。
身長170センチと小柄ながら、裏に抜け出す動きとラストパスへの嗅覚鋭い反応でゴールを量産。積み重ねたゴールの数は220、J1通算161得点は大久保嘉人に次いで歴代2位の数字だ。04年から15年に至ってはJ史上初の12年連続2桁得点を記録するなど、アベレージの高いゴールゲッターだった。
ここまでの長きにわたって数字を残せたのは、どんな時も驕らず愚直にゴールを追い続ける謙虚な姿勢があったからだろう。ストライカーの仕事は、ゴールを決め続けること――矢印を常に自分に向ける姿は後続のFWに大きな指針を与えた。
<名言2>
若手に言いたいことを言わせてもらっている分、僕も自分にプレッシャーをかけてます。
(岩下敬輔/NumberWeb 2020年12月4日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846100
スマートなルックスとは裏腹に、激しすぎるプレーで物議を醸すこともあった岩下。しかし、選手たちやサポーターからは「兄貴」として愛されたキャラクターだった。
岩下がガンバ大阪に期限付き移籍で加わっていた2012年、チームは初のJ2降格の憂き目を見た。遠藤保仁ら仲間たちが涙に暮れたピッチに岩下の姿はなく、累積警告による出場停止でチームの力になれなかったのだ。
降格直後は「代表復帰のためにもJ1でやりたい」と公言したものの、実際は翌年も「完全移籍」という形でチームに残った。
「『残留への力になってほしい』と言われておきながら、力になる権利さえなく、降格の瞬間もピッチに立てていなかったことに、サッカー選手として悔いが残っていました」
当時は在籍わずか4カ月だったが、義理堅い岩下らしい決断だった。
2020年12月26日、プロ生活21年を終えたタイミングでスパイクを脱ぐことを決断した佐藤は、引退会見で「幸せでした」と振り返っている。
身長170センチと小柄ながら、裏に抜け出す動きとラストパスへの嗅覚鋭い反応でゴールを量産。積み重ねたゴールの数は220、J1通算161得点は大久保嘉人に次いで歴代2位の数字だ。04年から15年に至ってはJ史上初の12年連続2桁得点を記録するなど、アベレージの高いゴールゲッターだった。
ここまでの長きにわたって数字を残せたのは、どんな時も驕らず愚直にゴールを追い続ける謙虚な姿勢があったからだろう。ストライカーの仕事は、ゴールを決め続けること――矢印を常に自分に向ける姿は後続のFWに大きな指針を与えた。
<名言2>
若手に言いたいことを言わせてもらっている分、僕も自分にプレッシャーをかけてます。
(岩下敬輔/NumberWeb 2020年12月4日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846100
スマートなルックスとは裏腹に、激しすぎるプレーで物議を醸すこともあった岩下。しかし、選手たちやサポーターからは「兄貴」として愛されたキャラクターだった。
岩下がガンバ大阪に期限付き移籍で加わっていた2012年、チームは初のJ2降格の憂き目を見た。遠藤保仁ら仲間たちが涙に暮れたピッチに岩下の姿はなく、累積警告による出場停止でチームの力になれなかったのだ。
降格直後は「代表復帰のためにもJ1でやりたい」と公言したものの、実際は翌年も「完全移籍」という形でチームに残った。
「『残留への力になってほしい』と言われておきながら、力になる権利さえなく、降格の瞬間もピッチに立てていなかったことに、サッカー選手として悔いが残っていました」
当時は在籍わずか4カ月だったが、義理堅い岩下らしい決断だった。
岩下がピッチで見せたもの
遠藤や明神智和ら背中で引っ張るタイプが多かったチームにおいて、岩下の喜怒哀楽は後輩たちにとって新鮮に映ったのだろう。時に罵声を浴びせながら鼓舞することもあったというが、自陣のゴールでは体を張って鬼神のごとく立ちはだかった。だから、4年間在籍したガンバでは宇佐美貴史、大森晃太郎など年下の選手に慕われた。
引退セレモニーでサガン鳥栖への感謝を口にした岩下。プロ16年で4クラブを渡り歩いた ©︎Getty Images<名言3>
なぜ聞きに来てくれなかったのか。ミスをしたときこそ、聞きに来てほしい。
(曽ケ端準/NumberWeb 2020年12月24日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846413
常勝軍団・鹿島アントラーズのゴールマウスを守り続けてきた曽ケ端。23年間で掴んだタイトルの数は「17」。史上初の3冠、3連覇、クラブ悲願のアジア制覇……アントラーズの栄光は、曽ケ端とともに築かれてきたといっても過言ではない。
Jリーグ初出場はプロ2年目。同期の小笠原満男、中田浩二、本山雅志が先に出番を得るなか、デビュー戦で完封勝利を挙げている。そこから日本代表にも選出されるなど順調に階段を登り、鹿島でも不動の守護神として活躍。17年の韓国代表クォン・スンテ加入以降、ベンチを温める機会も増えたが、再びポジションを奪い返すなど、後輩たちにもその背中で刺激を与え続けた。
遠藤や明神智和ら背中で引っ張るタイプが多かったチームにおいて、岩下の喜怒哀楽は後輩たちにとって新鮮に映ったのだろう。時に罵声を浴びせながら鼓舞することもあったというが、自陣のゴールでは体を張って鬼神のごとく立ちはだかった。だから、4年間在籍したガンバでは宇佐美貴史、大森晃太郎など年下の選手に慕われた。
<名言3>
なぜ聞きに来てくれなかったのか。ミスをしたときこそ、聞きに来てほしい。
(曽ケ端準/NumberWeb 2020年12月24日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/846413
常勝軍団・鹿島アントラーズのゴールマウスを守り続けてきた曽ケ端。23年間で掴んだタイトルの数は「17」。史上初の3冠、3連覇、クラブ悲願のアジア制覇……アントラーズの栄光は、曽ケ端とともに築かれてきたといっても過言ではない。
Jリーグ初出場はプロ2年目。同期の小笠原満男、中田浩二、本山雅志が先に出番を得るなか、デビュー戦で完封勝利を挙げている。そこから日本代表にも選出されるなど順調に階段を登り、鹿島でも不動の守護神として活躍。17年の韓国代表クォン・スンテ加入以降、ベンチを温める機会も増えたが、再びポジションを奪い返すなど、後輩たちにもその背中で刺激を与え続けた。
“それでも聞くのがプロの仕事でしょう”
そんな曽ケ端の凄みを表すエピソードがある。自身のミスで敗れた試合後のミックスゾーンでのこと。たった一度のミスが失点に直結するポジションであるGKなのだから、重圧から下を向いてもおかしくはないが、それでも曽ケ端は“いつもと変わらず聞いてほしい”と質問を求めたのだ。
「これまで何度もミスをして失点したことはある。でも、取材する人には優勝したり、勝ったときと同じように話を聞きに来てほしい」
話を聞く側も人間。ミスをしたあとであれば、やっぱりどこか聞きにくい。“それでも聞くのがプロの仕事でしょう”。そんなメッセージとして受け取った記者は少なくないという。
常に勝利を求められる鹿島で育った「プロ」としての自覚。日本でもっともタイトルを獲った男から学ぶことは多かった。
そんな曽ケ端の凄みを表すエピソードがある。自身のミスで敗れた試合後のミックスゾーンでのこと。たった一度のミスが失点に直結するポジションであるGKなのだから、重圧から下を向いてもおかしくはないが、それでも曽ケ端は“いつもと変わらず聞いてほしい”と質問を求めたのだ。
「これまで何度もミスをして失点したことはある。でも、取材する人には優勝したり、勝ったときと同じように話を聞きに来てほしい」
話を聞く側も人間。ミスをしたあとであれば、やっぱりどこか聞きにくい。“それでも聞くのがプロの仕事でしょう”。そんなメッセージとして受け取った記者は少なくないという。
常に勝利を求められる鹿島で育った「プロ」としての自覚。日本でもっともタイトルを獲った男から学ぶことは多かった。
サンフレッチェ広島がトップチーム選手1名の新型コロナ陽性を発表…無症状で検査前日は自主トレに参加
サンフレッチェ広島は19日、Jリーグが16日に実施した新型コロナウイルスに関するPCR検査において、トップチーム選手1名が陽性判定を受けたことを発表した。
Jリーグは16日、選手及びチームスタッフなどを対象にPCR検査を実施。広島の発表によれば選手1名が陽性となったが、当該選手を含めて体調不良や発熱などの症状は確認されず、保健所による調査でも選手やスタッフに濃厚接触者はいなかった。
当該選手の経過、症状については以下のように報告されている。
OBが語るサンフレッチェへの提言。「佐藤寿人のようにとことん数字にこだわってほしい!」
サンフレッチェ広島新加入会見、注目のジュニオール・サントスや藤井智也がサンフレッチェファミリーに語ったこと
サンフレッチェ広島は1月16日、広島市内のホテルで2021新加入選手発表会見を行った。
コロナ禍にあってニューフェイスは4名。
GK川浪吾郎(29歳、ベガルタ仙台から完全移籍、J1リーグ戦通算7試合、J2同10試合)
MF今津佑太(25歳、ヴァンフォーレ甲府から完全移籍、J2通算65試合3得点)
MF藤井智也(22歳、立命館大学卒業予定、昨季特別指定選手として広島でリーグ15試合に出場無得点)
FWジュニオール・サントス(26歳、完全移籍、J1リーグ戦通算23試合13得点、J2同8試合無得点)
…という顔ぶれとなり、ジュニオール・サントス選手はブラジルから入国後、2週間の自宅待機となっているためリモートで参加した。
冒頭、足立修強化部長は次のようにあいさつした。
「城福体制4シーズン目、27名(昨年より1名減)のメンバーでスタートします。川浪選手は体格を生かした経験豊富なゴールキーパーです。林、大迫、増田と激しいゴールキーパー競争を繰り広げてもらえるよう、持ち前の明るさでチームを盛り上げてもらえればと思っています。今津選手は昨シーズン、大卒3年目ながら甲府の中心的存在でした。J2屈指のディフェンダーで、さらなるディフェンス強化のピースとして加入してもらいました。昨シーズン2ゴールのストロングでポジション争いを盛り上げてもらえればと思います」
「藤井選手はJリーグでもスピードはトップクラス。それを武器にキャリアのスタートでそれを思う存分に発揮してエディオンスタジアムを盛り上げてもらいたいと思います。ジュニオール・サントス選手はマリノスの22試合で13得点と昨シーズンは大暴れでした。サンフレッチェ広島の攻撃の軸として、期待しています」
なお、この会見の中で仙田信吾社長がサンフレッチェ広島サポーターの呼称を「サンフレッチェファミリー」として今後は統一していきたい、との発言をした。(ひろスポ!記事既報)
川浪吾郎選手の話
去年は出場試合がなかったので、まずはピッチに立ってチームの勝利に貢献したい。僕は常に挑戦していたい人間なので、広島さんのオファーを受け、もっと人としても成長できるとこういう決断(Jリーグ12シーズンを経験しての現役続行)をさせていただきました。
今津佑太選手の話
(背番号33について)面識はないのですが塩谷さんという素晴らしい選手がつけた番号で、33番に恥じないパフォーマンスができたらいいなと思っています。自分がどういった景色を見ることができるか、去年までJ2で(3シーズン)プレーして、オファーを頂いた時は迷いなくJ1で挑戦したいと思いました。
藤井智也選手の話
(昨季の50から15に背番号が変わって)浩司さん(森崎)がつけていた番号ということで、僕が小学生の時、岐阜と広島の試合のエスコートキッズとして入場させていただいた時に手を繋がせていただいた選手が浩司さんでした。勝手にそこは縁を感じています。そのような道を辿って自分も活躍していけたらいいなと思っています。大学2回生でアシスト王を取れたので、その数字をまず伸ばしていけるように、全力で頑張りたいと思います。
ジュニオール・サントス選手の話
自分のストロングポイントとして認識しているのはやはりパワー、スピード、1対1の仕掛けで絶対に前に向かっていくところ。そしてシュートの質。そこをしっかりチーム戦術に落としていき、求められるのは何かを把握して良さを出していきたいし、持てる力を全部出して素晴らしいチームにしていきたい。個人としてもチームとしても、みなさんがまだ見たことのないところへ行きたい。
私はクリスチャンで神を信じています。聖書の中に「人生はいいことばかりじゃない、悪いことも降りかかってくる、何度も災いは降りかかってくるけれど必ず神の御加護がある」という言葉があります。絶対に諦めない心を持つことを大事にしています。
(目標にしている選手やライバルではない、自分に影響を与える)選手がふたりいます。ひとりはクリスチャン・ロナウド選手。どちらかと言えばピッチ外の見えないところでの努力です。努力を惜しまないからあんなプレーができるのだと思います。もうひとりはネイマール選手。ピッチ内でみんなを楽しませてくれるし、ほんとにリアリティ溢れるプレーの連続で、みんなに予想不能の驚きを与えてくれるところに影響を受けています。
J1広島に加入のジュニオール・サントス、契約期間は3年か。移籍金不明も保有権は…
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島に完全移籍により加入したFWジュニオール・サントスに関する契約内容についてブラジルメディア『Diario do Nordeste』が13日に詳細を報じている。
ジュニオール・サントスは2019年夏にカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部)のフォルタレーザECから柏レイソルへ完全移籍により加入したものの、わずか3試合の先発出場にとどまっていた。しかし、昨夏に横浜F・マリノスへ期限付き移籍により加わると公式戦18試合で先発メンバーに名を連ねて13ゴールと本来のパフォーマンスを発揮。昨季終了後に期限付き移籍満了により柏レイソルに復帰した後、サンフレッチェ広島へ完全移籍により加入している。
同選手の契約内容について、ブラジルメディアはサンフレッチェ広島が3年契約を締結したと主張。また、フォルタレーザECは柏レイソルにジュニオール・サントスを売却する際、保有権の25%を持つという条項を盛り込んでいた模様。サンフレッチェ広島が柏レイソルに払った移籍金額については明記されていないものの、一部がフォルタレーザECに支払われるものとみられる。
なお、ジュニオール・サントスの保有権についてはサンフレッチェ広島やフォルタレーザEC以外にもブラジルの複数クラブは持っているようだ。サンフレッチェ広島は完全移籍で同選手を獲得したとはいえ、今後の移籍交渉において非常に複雑な問題を抱えるかもしれない。
広島がDF野上の第二子長男誕生を発表
サンフレッチェ広島は14日、DF野上結貴(29)の第二子(長男)が4日に誕生したことを発表した。
野上は2016年7月から広島に所属。昨季はJ1リーグ戦30試合に出場し、1ゴールを記録した。
サンフレ 広経大と協定
サッカーJ1・サンフレッチェ広島は13日、広島経済大(広島市安佐南区)と包括連携協定を結んだ。期間は4月からの3年間で、取り組みの第1弾として、サンフレッチェ女子チームが活動拠点として、同大学の練習場「フットボールパーク」を使用する。
同パークで調印式があり、サンフレッチェの仙田信吾社長と、大学を運営する学校法人・石田学園の石田恒夫・理事長が協定書に調印。仙田社長は「今後はサポーターらを『サンフレッチェファミリー』と呼びたい。広経大はその第1号」と述べ、石田理事長は「将来的には、新スタジアムを紫一色に染めるお手伝いをしたい」とあいさつした。
今後、女子チームは同パークで練習を重ね、秋からは女子プロリーグ「WE(ウィー)リーグ」で戦う。サンフレッチェも学生のインターンシップ受け入れを拡大するなど、教育、学術、産業などの面で幅広く連携し、地域の活性化や人材育成を目指す。
「決勝ボレーで家を建てた」アジア杯優勝から10年、元日本代表FW李忠成の今
2011年1月29日、カタール・ドーハで行われたアジアカップ決勝・オーストラリア戦。120分間に及ぶ死闘に決着をつけたのは、ジョーカー・李忠成(京都)だった。劇的かつ華麗なスーパーボレー弾が生まれた歴史的一戦は深夜にもかかわらず視聴率33・1%を記録した。
「絶対にヒーローになるんだ」
大会を通してほぼベンチに陣取っていた男は、つねに自分を奮い立たせ、自らのサッカー人生を大きく変えた。血気盛んな仲間との刺激に満ちた10年前の日々と自身のキャリアを今、改めて彼に語ってもらった。
ギリギリの状況で送り出されたジョーカー
2010年南アフリカワールドカップ(W杯)16強入りから半年。アルベルト・ザッケローニ監督が就任し、日本は初めての大舞台であるアジアカップに向かっていた。当時所属のサンフレッチェ広島でゴールラッシュを見せ、大会メンバーにギリギリで滑り込んだのが李だった。しかし、初戦・ヨルダン戦の後半から出場しただけで出番がなく、お呼びがかかったのが決勝の延長前半8分。0-0のスコアレスの状況でピッチに送り出されたのだ。
――決勝前の心境は?
「自分にはチャンスが必ず来ると信じていたし、『ヒーローになる』と思い続けていました」
――決勝点のシーンは?
「練習中から(長友)佑都やウッチー(内田篤人)に『ニアに飛び込むから速いボールを感覚で蹴ってくれ』と要求してました。あの時も1回ニアに行って、マークを引き離して、バックしてフリーになった瞬間に最高のボールが来た。がら空きに見えるかもしれないけど、駆け引きした結果のゴールでした」
――試合後、「ホント人生は怖いな。紙一重だな」と発言していましたね。
「あの状況で運をつかむのは、自分を信じ切れるかだと思うんです。『俺がこの試合を決めてやるから0-0で来い』っていう気持ちでいたし、呼ばれた時は『やっと来たか』と。少しでもネガティブな感情があると大舞台では食われるんで、『俺がスーパーヒーローになるのは決まってる』と自分を洗脳させるくらいの感じでした。あのゴールのおかげで年俸も上がったし、親に家を建ててあげられた(笑)。人生が大きく変わりました」
「サッカー観が変わった」本田、長友らからの刺激
同大会の主力は李と同じ2008年北京五輪代表。本田圭佑、長友、岡崎慎司(ウエスカ)、内田、香川真司、吉田麻也(サンプドリア)は五輪でともに惨敗を経験した盟友。彼らが南アで結果を出し、欧州で急成長を遂げている姿に刺激を受け、「自分も負けてられない」と鼻息は荒かった。
――アジアカップ当時の代表の雰囲気は?
「みんなギラギラでしたよ。北京世代は『俺が俺が』っていう個性の強い人間が揃ってて、国際大会に参加するたびに『世界のスカウトの目に留まってやる』って意識でいたんです。五輪は結果的にチームがバラバラになり、1試合も勝てずに終わったけど、南アでベスト16に入って『もっと上を見たい』ってすごい向上心を抱いたと思うんです。圭佑や佑都は『W杯で優勝するためにはどうしたらいいのか』と本気で考えていたし、アジアで優勝しても世界で20番目か30番目。だから優勝は当たり前って感覚だった。彼らのマインドには学ぶところが多かったです」
――大会中にそういう話をしたんですか?
「食事中とかに『これじゃあ世界で戦えないよ』って話はいつもしてました。冷静に考えたら『世界一なんてムリだろ』と思うかもしれないけど、みんな1ミリも思っていなかった。圭佑や佑都、ウッチーは『世界一から逆算してどうするか』を考えていたんです。自分もサッカー観が変わりましたね」
――当時は香川選手筆頭に欧州で活躍している選手が多くて勢いがありました。
「僕は今まで一緒にサッカーやった中で一番うまいのが香川真司だといつも言うんですけど、あの時の真司は別格でしたね。プレーの質が違ったし、トラップしても前に行けるし、間違いなく真のトップスター。世界トップレベルの選手だったと思いますよ」
――代表でそれ以外に驚いた選手は?
「アジアカップの時じゃないけど、(中村)憲剛さんとヤット(遠藤保仁=磐田)さんのダブルボランチですね。マジでボール取れなかった(苦笑)。2人は技術が高いだけじゃなくて、本当に頭がよかった。あれはもう超越してますね。憲剛さんもヤットさんも日本一のチームを作ったじゃないですか。超一流の選手っていうのは周りに影響をもたらせる存在。ジーコやドゥンガもそう。彼らがいたチームは王者になってますし、サッカーを教えてもらえる。僕自身もそうでしたね」
強烈アピールでつかみ取ったイングランド移籍
2011年のJリーグで32試合出場15ゴールという目覚ましい数字を残した李は長年の夢だった欧州挑戦を実現させる。複数のオファーの中から選んだのは、イングランド・チャンピオンシップ(当時2部)のサウサンプトン。最高峰リーグへ上り詰めるチームと一緒に、自らもストライカーとして高い領域に到達したいと考えて、下した選択だった。
――オファーはどのくらいあったんですか?
「正式なオファーはサウサンプトン入れて3つかな。ドイツの1部・2部のクラブもありましたけど、やっぱりイングランドだなと。あの時のサウサンプトンはチャンピオンシップの1位か2位でしたけど、そこで試合に出てプレミアリーグに昇格させるというシナリオが最高だと考えたんです。それにW杯で優勝する目標を見据えた時、日本代表の1トップを張ってる選手はプレミアリーグで活躍してなきゃいけない。逆に活躍できないんだったら、W杯に行く意味がないとさえ感じた。みんなと同じで『日本を優勝させるためには…』っていう逆算でしか、物事を考えてなかったですね」
――2012年1月に新天地に赴きましたが、3月に右足靭帯を損傷しました。
「ケガをするのも実力。『勝負は紙一重』ってアジアカップの時も思ったけど、あれも何かの意味があったのかな……。ケガが癒えた後もうまくいかなかった。もし活躍できていたら、2014年ブラジルW杯の1トップをやっていた可能性はありましたね。結局、落選したけど、メンバー発表の3日前くらいにザックさんから『今回選べなかった。申し訳ない』という電話をもらった。それはそれで嬉しかったですね」
35歳の今「アンパンマンでいたい」の意味
日本復帰後、2014年1月から5年間プレーした浦和レッズでは、2016年YBCルヴァンカップ決勝で貴重な得点を叩き出し、タイトルとMVPを獲得。2017年ACL制覇、2018年天皇杯優勝など充実したキャリアを送った。その後、横浜F・マリノスを経て、2020年から京都サンガでプレー。35歳になった今、プロ18年目のシーズンに挑もうとしている。
――現役生活が終わりに近づいている印象はありますか?
「俺、33歳過ぎたら“大往生”だと思うんです。契約満了だろうが何だろうが、そこまでやれれば大成功。18歳から数えて15年続けたんだから、相当すごいことですよ。30歳を過ぎてから浦和で(興梠)慎三と一緒にやれたのも大きかった。フォワードは水物だから外国人選手を取ってこれるじゃないですか。でも俺らはそれをさせなかった。そこは誇りに感じてます」
――興梠選手と同い年の岡崎選手もまだ海外でやっていますね。
「オカちゃんは希望ですよね。サッカー下手なやつでも思考力ひとつであそこまで行けるんだから、誰でも行けますよ(笑)。オカや圭佑、佑都はホントに毎日サッカーのことを考え抜いたんじゃないかな。誰でも可能性があるってことを彼らから学んでほしいです」
――そういう中で李選手は何を目指します?
「今の自分がやるべきなのは、全試合に出ることじゃない。1つ1つやるべきことを的確に遂行していくことなんですよ。そうすれば10点、20点取るのは夢じゃない。たぶん、李忠成は最後に何かを持ってるんで、できると思いますよ」
――最後に李忠成という男はどうありたい?
「つねに『アンパンマン』でいたい。サッカーを通して自分に関わった全ての人に幸せになってほしいからです。そのためには元気や勇気、希望を分け与えないといけない。自分の顔がいつも真ん丸でいることが大事なんです」
年を重ねても向上心と前向きさは変わらない。それが李忠成という男だ。チョウ・キジェ新体制になった2021年、本気でJ1昇格へチャレンジする京都に、この強靭なメンタリティと豊富な経験値は欠かせない。彼には残されたサッカー人生で持てる力の全てを出し切り、完全燃焼してほしいものだ。
■李忠成(り・ただなり)
1985年12月19日生まれ。東京都出身。2004年にFC東京U-18からトップチーム昇格を果たす。その後は柏レイソル、サンフレッチェ広島でプレー。2012年からイングランドのサウサンプトンに移籍。帰国後の2014年からは浦和レッズ、横浜F・マリノスと渡り歩き、2020年から京都サンガに所属。日本代表では2008年に北京オリンピック出場。2011年のアジアカップ決勝・豪州戦では劇的な決勝ゴールを決めて、日本をアジア王者に導いた。
千葉退団のMF工藤浩平、栃木シティに加入「JFL昇格という結果にこだわり頑張ります」
関東サッカーリーグ1部の栃木シティは13日、昨季限りでジェフユナイテッド千葉を契約満了になっていた元日本代表MF工藤浩平が完全移籍で加入したと発表した。
工藤は1984年生まれの36歳。2003年にジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド千葉)ユースからトップチームに昇格。その後8年間にわたり主力としてプレーしていた。2011年からは京都サンガF.C.に加入し、2015年にはサンフレッチェ広島に移籍。同年6月から2018年までは松本山雅FCでプレーした。2018年に千葉へ復帰し、2020年12月に契約満了による退団が発表されていた。リーグ戦通算成績は、J1で161試合11得点、J2で302試合31得点を記録している。
工藤は栃木シティの公式サイトで以下のようにコメントを発表している。
「栃木シティに関わる全ての皆さまこんにちは。この度、加入することになりました工藤浩平です。オファーして頂き感謝しています。自分としても初めてのリーグではありますが、やりがいを持って、サッカーが出来る喜びを1日1日噛み締めながらサッカーを楽しみ、JFL昇格という結果にこだわり頑張ります。皆さま宜しくお願いします」
サンフレッチェ広島が2021年の背番号を発表!主力DF荒木隼人が「4」に変更、新加入J・サントスは「37」
サンフレッチェ広島は11日、2021シーズンのスタッフ体制並びに選手背番号を発表した。
2020シーズンの明治安田生命J1リーグを13勝9分け12敗の8位でフィニッシュした広島。リーグ最終節前の5試合を2分け3敗の未勝利で終えており、新シーズンの巻き返しに向けて、2020年のJ1リーグに横浜F・マリノスでの22試合で13ゴールを記録していたジュニオール・サントスらを補強した。
新シーズンの背番号については、そのJ・サントスは「37」を着用。昨年から在籍していた選手では、主力DF荒木隼人が「23」から「4」、MFハイネルが「44」から「27」に変更されている。なお、「10」はMF森島司が引き続いて背負うこととなった。
サンフレッチェ広島が2021シーズンの背番号を発表…新加入のジュニオール・サントスは「37」
サンフレッチェ広島は11日、2021シーズンにおけるトップチームの選手背番号を発表した。
2020シーズン、広島は明治安田生命J1リーグを13勝9分け12敗で8位でフィニッシュした。2021シーズンから加入するFWジュニオール・サントスは背番号「37」を、DF今津佑太は背番号「33」着用。昨季に特別指定選手としてプレーした藤井智也は、今季から背番号「15」を背負う。
サンフレッチェ広島の背番号一覧は以下の通り。
1 GK 林卓人
2 DF 野上結貴
3 DF 井林章
4 DF 荒木隼人
6 MF 青山敏弘
8 MF 川辺駿
9 FW ドウグラス・ヴィエイラ
10 MF 森島司
12 サポーター
13 GK 増田卓也
14 MF エゼキエウ
15 MF 藤井智也 (新加入/立命館大)
16 MF 清水航平
18 MF 柏好文
19 DF 佐々木翔
20 FW 永井龍
22 GK 川浪吾郎 (完全移籍/仙台)
23 FW 鮎川峻
24 MF 東俊希
25 MF 茶島雄介
26 MF 土肥航大
27 MF ハイネル (期限付き移籍期間延長/トンベンセ)
29 MF 浅野雄也
30 MF 柴﨑晃誠
33 DF 今津佑太 (完全移籍/甲府)
37 FW ジュニオール・サントス (完全移籍/柏)
38 GK 大迫敬介
41 MF 長沼洋一 (期限付き移籍から復帰/愛媛)
サンフレッチェ広島、主将・青山敏弘ら27選手の契約締結発表!城福体制4年目へ
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島は11日午前、2021シーズンを戦う選手、コーチングスタッフを発表している。
2018シーズンにJ1リーグ2位という成績を残したサンフレッチェ広島は昨季、若手選手の台頭が著しく、大型連敗を喫しなかったもののJ1リーグ8位に終わり、巻き返しが求められる。また、オフシーズンには松本山雅から期限付き移籍により加入していたFWレアンドロ・ペレイラが退団したものの、他の主力選手はおおむね残留。また、ペレイラの後釜として柏レイソルからFWジュニオール・サントスを獲得している。
城福浩体制4年目を迎えるサンフレッチェ広島は、数年後の新スタジアム完成から逆算する形で中長期的なチーム作りを行っているが、その中でも今季こそ上位争いに食い込みたいところだ。なお、2021シーズンにおいてサンフレッチェ広島に在籍することが決定した27選手、ならびにコーチングスタッフは以下の通りとなっている。
==========
・GK:林卓人、増田卓也、川浪吾郎、大迫敬介
・DF:野上結貴、井林章、荒木隼人、佐々木翔、今津佑太
・MF:青山敏弘、川辺駿、森島司、エゼキエウ、藤井智也、清水航平、柏好文、東俊希、茶島雄介、土肥航大、ハイネル、浅野雄也、柴﨑晃誠、長沼洋一
・FW:ドウグラス・ヴィエイラ、永井龍、鮎川峻、ジュニオール・サントス
監督:城福浩
ヘッドコーチ:沢田謙太郎
コーチ:迫井深也、御簾納将
GKコーチ:藤原寿徳
フィジカルコーチ:池田誠剛、磯部峰一
広島、FW鮎川峻との契約更新を発表
サンフレッチェ広島は10日、FW鮎川峻(19)と2021シーズンの契約を更新したことを発表した。
同クラブのユースから昇格した鮎川。2019年の2種登録を経て、2020年から正式にトップチームに加わった。
U-17とU-18日本代表経験もある鮎川だが、クラブではなかなか出場機会をもらえず、2019シーズンからここまで出場は一度もない状況となっている。
佐藤寿人論(1)サッカーにおける「知性」の力~220ゴールの金字塔
「今日は僕にとって特別な一日」京都がDF森脇良太と契約更新
森脇はサンフレッチェ広島や愛媛FC、浦和レッズでプレー。2020シーズンに京都に加入していた。
京都では明治安田J2で17試合に出場していた。
森脇はクラブを通じてコメントしている。
「今シーズンも京都サンガF.C.でプレーさせてもらえることになりました!今日は僕にとって特別な一日ですし、2021シーズンも京都サンガF.C.でプレー出来る!こんなに嬉しい事はありません。去年、掴み取れなかった昇格を今シーズンは必ず手に出来るようにこの一年も努力していきます!」
「みなさんの愛情・サポートを図々しく、たくさん受けながら今シーズンも森脇良太の全てを京都サンガF.C.のために尽くしたいと思ってます。今シーズンも京都サンガF.C.を、森脇良太をよろしくお願いします」
J1昇格の徳島がMF鈴木徳真、MF浜下瑛と契約更新
鈴木は前橋育英高校から筑波大学を経て、2019年に徳島に入団。2020シーズンは明治安田J2で38試合に出場。天皇杯でも2試合出場し2得点を記録していた。
浜下は、サンフレッチェ広島の下部組織出身で、瀬戸内高等学校、産業能率大学を経て、2018年に栃木SCへ入団。2020シーズンから徳島でプレー。明治安田J2で8試合に出場し1得点、天皇杯で2試合に出場していた。
両選手はクラブを通じてコメントしている。
◆MF鈴木徳真
「2021シーズンも徳島ヴォルティスでプレー出来ること嬉しく思います。今シーズンもスタジアムで一緒に戦いましょう。2021シーズンもよろしくお願いします」
◆MF浜下瑛
「今シーズンも徳島ヴォルティスでプレーさせていただきます。クラブに貢献できるよう、最大限を尽くしたいと思います。応援よろしくお願いします」
上野ら4人、広島へ移籍
愛媛FCは8日、愛媛FCレディース(L)のFW上野真実(24)=写真、MF山口千尋(24)、FW斎原みず稀(23)、DF呉屋絵理子(23)の4選手が、日本初のサッカー女子プロリーグ「WEリーグ」に新設して参入するサンフレッチェ広島へ移籍すると発表した。
上野は2015年に環太平洋大短大部に入学し愛媛FCL入団。プレナスなでしこリーグ通算103試合に出場し29得点を挙げ、日本代表「なでしこジャパン」にも選出された。「素晴らしいクラブで1部昇格という目標や100試合出場を達成でき、6年間プレーできたことを誇りに思う。ここで学んだことを忘れずに新天地でも自分らしく頑張っていく」とコメントした。
19年に姫路独協大から加入した山口は通算36試合出場、7得点。昨年12月には「なでしこチャレンジ」(日本女子代表候補選手グループ)のメンバーに選ばれた。斎原と呉屋は昨季加入し、斎原は15試合で1得点、呉屋は16試合に出場した。
クラブは同日、DF武田菜津美(25)のなでしこリーグ1部大和への移籍も発表した。
広島野津田が甲府に期限付き移籍「成長するために」
サンフレッチェ広島は5日、MF野津田岳人(26)がJ2ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍することを発表した。
広島の下部組織で育ち、各年代の日本代表にも選ばれた左利きの逸材。本来はストライカーだったが、20年はボランチもこなすなど器用さを身につけていた。それでも出場機会に恵まれないこともあり、過去にはアルビレックス新潟、清水エスパルス、ベガルタ仙台に期限付き移籍した経験があり、今回で4クラブ目になる。
野津田は「この2年間はなかなかプレーでチームに貢献できず、もどかしい気持ちの中、もう1度自分自身がピッチの上で躍動し、成長するために移籍することを決断しました。ありがとうございました。頑張ってきます」などとあいさつした。
川浪吾郎選手 サンフレッチェ広島へ完全移籍のお知らせ
GK
【背番号】
22番
【生年月日】
1991年4月30日
【身長体重】
192cm 84kg
【出身地】
茨城県
【所属歴】
手代木SC – 柏レイソルU-15 – 柏レイソルU-18 – 柏レイソル – FC岐阜 – 柏レイソル – 徳島ヴォルティス – 柏レイソル – 徳島ヴォルティス – アルビレックス新潟 – ベガルタ仙台
【代表歴】
2006年 U-15日本代表
2007年 U-16日本代表
2008年 U-17日本代表
2009年 U-18日本代表
2010年 U-19日本代表
【出場記録】
[URL] https://www.vegalta.co.jp/news-team/2021/01/post-940.html
をご覧ください。
【コメント】
このたび、サンフレッチェ広島に完全移籍することとなりました。これまでサポートしていただいたファン、サポーター、スポンサー、常日頃から支えてくれているみなさまに感謝申し上げます。あまりピッチで活躍ができずに申し訳なく思っています。僕はクラブも、応援してくれるみなさまも大好きです。あたたかく、すばらしいベガルタ仙台というクラブに恋をしているのだと思います。3年前、ここまでこのクラブを好きになってしまうとは思いませんでした。できることならここで引退したかったです。
しかし、求められる場所がある限り、僕はサッカーが大好きなので挑戦します。3年間本当にありがとうございました。
広島、GK廣永遼太郎が神戸へ完全移籍…仙台からGK川浪吾郎を獲得
広島MFエゼキエウが契約更新、20年加入でリーグ戦15試合2得点
沖縄SVのFW前田俊介が現役を引退…クラブはトップチームのコーチ就任も併せて発表
九州サッカーリーグの沖縄SVは7日、FW前田俊介が2020年シーズン限りで現役を引退することをクラブ公式サイトで発表した。また、前田がトップチームのコーチに就任することも併せて発表されている。
現在34歳の前田は、サンフレッチェ広島ユース出身。2005年に広島のトップチームへ昇格すると、2008年まで同クラブに在籍した(2007年シーズン、2008年シーズンは大分トリニータに期限付き移籍)。2009年に大分へと完全移籍すると、以後はFC東京(期限付き移籍)、北海道コンサドーレ札幌、ガイナーレ鳥取と渡り歩き、2018年に沖縄SVへと加入した。2020年シーズンは、KYFA第48回九州サッカーリーグ(4試合実施)で2試合に出場、天皇杯では1試合に出場している。
クラブ公式サイトでは、前田のコメントも掲載されている。
「2020年限りで引退することを決めました。まずは家族を始め、今まで私を支えてくれたチーム、スポンサーパートナー、監督、選手、スタッフ、サポーターの皆様に感謝申し上げます。とくに去年はコロナ禍にもかかわらず、たくさんのスポンサーパートナーの皆様やサポーターの皆様にそれまでと変わらない応援をしていただきました。これまで応援して下さった皆様、本当にありがとうございました」
「選手としては引退しますが、これからはいろいろな経験を通して人としても成長できるよう精進していきます。今年から沖縄SVトップチームのコーチという新たな立場でJFL昇格を目指していきますので、引き続き応援よろしくお願いします」
元ブラジル代表MFとJリーグの6年半 今も忘れないフリューゲルスでの「人生を賭けた戦い」
Jリーグが開幕して間もない1995年、MFセザール・サンパイオ、MFジーニョ、FWエバイールというパルメイラスの3大スターが、一挙に横浜フリューゲルスに移籍してきたことは、大きな話題となった。なかでもサンパイオは、クラブ消滅の日までチームメートたちと戦い続け、さらに柏レイソル、サンフレッチェ広島を含む3つのクラブで、日本との絆や使命を感じながら過ごした。
日本サッカーの成長に重要な役割を果たしたサンパイオ。ただし、フリューゲルスでの1年目については、半ば冗談のようにこう切り出した。
「最初は適応するのが大変だったよ。日本サッカーのスタイル、寒さ、雪、食べ物、チーム、コミュニケーション……。日本人はみんな同じ顔に見えたから、誰が誰だか分からなくて、自然に名前を呼べるようになるまで、半年かかった(笑)」
彼が加入した最初の年、チームはJリーグ14チーム中13位と苦戦。それが2年目には16チーム中3位と、大躍進することになる。
「戦力は十分あった。ヤマ(山口素弘)、ミウラ(三浦淳寛)、マエダ(前田治)のような日本代表選手たちがいて、そこに、僕らブラジル代表選手が入ったんだ。ただ、監督のキムラ(木村文治)さんは日本人で、アシスタントコーチはドイツ人のゲルト(・エンゲルス)、助っ人はブラジル人という具合で、1年目はみんなにとって経験のシーズンになった。2年目は僕らブラジル人も適応していたし、日本語もある程度理解できるようになっていた。文化にも馴染み、何よりチームや日本をすごく好きになっていた。そういうことも、全体のレベルアップにつながったんだ」
フリューゲルス消滅に選手たちが一致団結し、天皇杯優勝で有終の美を飾る
しかし、フリューゲルスでの4年目となった1998年、経営の問題により、クラブは横浜マリノス(当時)に吸収合併されることが決まった。
「クラブを消滅させるわけにはいかないと、僕ら選手たちは抗議行動もしたんだ。全員、黒い服で遠征したり、みんなで横浜駅に立って署名活動もした。年長の選手たちがスポンサーを探したり、クラブ存続のためなら、給料が減ってもいいとさえ言っていた。一方で、先行きの不安が募っていたせいで、練習中、選手同士が苛立って口論になったりもしてね。それで、みんなで話し合ったんだ。こんな状態でプレーして、誰かが怪我でもしたら、選手生活を続けることまで難しくなってしまう、と。あの話し合いで、みんなの気持ちが一つになった。そして、あの天皇杯だ。クラブや会社にとっては、Jリーグ最終節で、もう終わっていた。でも、僕ら選手は自分たちで、天皇杯を戦おうと決めた。
あえて移籍先の決まっていない選手たちを中心にチームを構成して、彼らのアピールの場にすることもできた。だけど、そうじゃない。僕らは勝たなければ意味がないと考えた。その強さこそ、チームに必要なものだったんだ。試合前は毎回、挨拶を交わしたものだよ。トーナメントだから『この試合で勝てなかったら、これが最後になる』『でも、みんなでここまで一緒にやれて良かった』って。ハト(波戸康広)、セト(瀬戸春樹)、ナラザキ(楢﨑正剛)のような若手は泣いてね。そして、チーム全員の人生を賭けた戦いに、僕らは勝ち続けた。ジュビロ磐田戦、鹿島アントラーズ戦、最後は決勝だ」
1999年元日、フリューゲルスは2-1で清水エスパルスを下し、天皇杯優勝を成し遂げた。
「なんとも言えない気持ちだった。僕らは優勝したんだよ。それが翌日にはみんな、職を失うんだ。笑いたいのか、泣きたいのか、分からない。幸せなのか、悲しいのか。でも、僕のサッカー人生においても、フリューゲルスでの最後の2カ月のような、強い結束力を感じたことはほかにない。そして、何よりもサポーター。あの痛み、悲しみにもかかわらず、最後まで僕らを応援し、支えてくれたんだ」
ブラジルやスペインでのプレーを経て、2002年に柏レイソルに行った時は「日本での自分の役目は終わっていなかったと感じられて、すごく幸せだった」と語る。
その年、J2降格の危機に陥りながらも、最終節、当時上位を争っていたガンバ大阪に2-0で勝利し、J1残留という目標を達成した。
翌年からは、サンフレッチェ広島でプレー。J2に降格し、1年でJ1に復帰することを目標に、若手主体のチームをピッチの内外でリードすることが期待されていた。
「いろんなことがあったよ。開幕から良いスタートを切って、僕らはリーグの大半の時期でトップを走っていたんだ。でも、上手くいきすぎると、選手たちの気が緩んだり、逆に、3位まで落ちた時は、意気消沈してしまった。だから、スタジアムにいるみんなを巻き込むために『神の手助けとともに、僕らはJ1に復帰する』と書いたシャツを作って、選手全員に配ったんだ。そのシャツをユニフォームの下に着てプレーし、試合が終わったら、それをサポーターに投げ込んだ。時には、何か違ったことをやってみるのが、良いきっかけになるから。実際、サポーターもまた、支えてくれるようになった。『サイゴマデ、ガンバロウ!』ってね。そうやって、みんなでJ1復帰を達成したんだ」
サンパイオの家には今でも、サンフレッチェのシンボルである“3本の矢”が飾ってあるという。
彼が日本で大事にしていたのは、チーム内外で、常に会話をすること。そのために日本語も学んだ。締めくくりに、サポーターへのメッセージを頼むと、愛情のこもった言葉が溢れ出てきた。
「好きな日本語がいっぱいあるよ。ダイスキ。アイシテル。それから…、ユウショウ!(笑)。ガンバッテ。ガンバリマショウ。そして、すごく力が湧く、強い言葉。サイゴマデ、ガンバロウ! メッセージ、伝わるかやってみるね。
ワタシノ ニホンゴ、アマリ ヨクナイケド、マーマー。チョット ペラペラ(笑)。ミナサン、オヒサシブリ ケド、マダ ニホン ワスレテナイ。ニホンノ ロクネン オボエテルネ。サポータータチ ニ、ヨロシク。ホントウニ、 タノシイ ジカン、アッタネ。マタ コンドネ。アリガトウゴザイマス。ドーモ!」
愛媛、町田からDF大谷尚輝をレンタル! 「環境を変えてまた一から這い上がりたい」
サンフレッチェ広島の下部組織出身の大谷は、2014年にトップチームに昇格するも出場機会に恵まれず、ロアッソ熊本や町田へ期限付き移籍。町田とは2018年に完全移籍に切り替え、主力選手として活躍していたものの、昨シーズンは明治安田生命J2リーグ1試合の出場にとどまった。
同じカテゴリーの愛媛へ期限付き移籍することが決まった大谷は、両クラブ公式サイトを通じて以下のように心境を語っている。
◆愛媛FC
「愛媛FCに関わる全ての皆さん、初めまして。大谷尚輝です。チームの目標を達成できるよう、強い覚悟を持って全力で戦います。応援よろしくお願いします」
◆FC町田ゼルビア
「この度、愛媛FCに移籍することになりました。ゼルビアには20歳のときに来ましたが、在籍した4年半でクラブは大きく変わりクラブと共に自分自身も大きく成長させてもらいました」
「昨年は自分の力不足でチームの力になれず、今年こそ大好きなゼルビアで活躍したい気持ちもありましたが、自分の事を評価してくださった愛媛で環境を変えてまた一から這い上がりたいと思い移籍を決めました。成長した姿を野津田で見せられるように頑張ります。4年半本当にありがとうございました」
サンフレッチェ広島MF松本泰志、セレッソ大阪へ期限付き移籍。昨季はアビスパ福岡でプレー
東京五輪世代の松本は昌平高校から2017年に広島へ入団。昨季はアビスパ福岡へ期限付き移籍となり、リーグ戦25試合に出場1得点を記録した。
サンフレッチェ広島、ドウグラス・ヴィエイラの残留決定!昨季J1リーグで8得点
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島は7日午後、FWドウグラス・ヴィエイラと2021シーズンの契約更新を行ったことを公式発表している。
ドウグラス・ヴィエイラは2009年に母国ブラジルでプロデビューを果たした後、ブラジル国内やスウェーデンのクラブを渡り歩き、2016年にナウチコから東京ヴェルディに完全移籍により加入する。来日1年目の2016シーズンから公式戦30試合でピッチに立つと、翌2017年から2シーズン連続で2桁ゴールをマーク。また、東京ヴェルディは2018シーズンにJ1参入プレーオフでJ1リーグ16位ジュビロ磐田との決定戦まで駒を進めたが、惜しくもJ1昇格を果たせなかった。
同選手は2019年にサンフレッチェ広島へ完全移籍により加入すると、移籍1年目からJ1リーグ25試合に出場。そして背番号を「9」に変更して臨んだ昨季は主力として公式戦33試合に出場していた。
なお、サンフレッチェ広島は得点源だったFWレアンドロ・ペレイラが松本山雅からの期限付き移籍期間満了により退団したものの、柏レイソルからFWジュニオール・サントスを完全移籍により獲得している。城福浩監督のもと、若手選手の台頭が著しい中でも、ドウグラス・ヴィエイラは前線において必要不可欠な戦力としてチームをJ1リーグ上位に導くことが期待される。
J1昇格の福岡、39試合出場のDFサロモンソンを広島から完全移籍で獲得
2020シーズンは明治安田J2で39試合に出場し2得点を記録。チームの5年ぶりのJ1昇格に大きく貢献していた。
サロモンソンはクラブを通じてコメントしている。
◆アビスパ福岡
「今年アビスパでプレーできることを皆様にお知らせできることを、とても嬉しく思います。アビスパのためにプレーすることは大好きですし、我々は共に更なる素晴らしい目標を達成できることでしょう」
「我々の目の前にあるワクワクさせる今シーズンをスタートできることを、待ち切れません。皆様の愛情とサポート、本当にありがとうございます!」
◆サンフレッチェ広島
「今までありがとうございました。サンフレッチェ広島のためにプレーできて楽しかったです。この先ずっと大切にするであろう、沢山の思い出を得ることができました」
「私のことを、そして私のサッカースタイルを信じて応援してくれてありがとう。皆さまから与えてもらったサポートと愛情に対しては、どれだけ感謝してもしきれません。来たるシーズンが、良いものとなりますように!」
甲府DF内田健太が6年ぶりに愛媛復帰「これまでの恩を結果で返していきたい」
甲府には2019年に加入。2シーズンで明治安田J2通算67試合に出場し5得点を記録していた。
内田は2016年以来6シーズンぶりの愛媛復帰となる。内田はクラブを通じてコメントしている。
◆愛媛FC
「愛媛FCに関わる全ての皆様、お久しぶりです。また愛媛の地でプレーできる事をとても嬉しく思います。再び、僕を必要としてくれたチーム関係者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです」
「今もこのようにプロサッカー選手でいられるのも愛媛での経験や礎があったからこそだと思っています。このクラブに僕の全てを注ぎ、これまでの恩を結果で返していきたいと思っています。よろしくお願いします」
◆ヴァンフォーレ甲府
「ヴァンフォーレ甲府をサポートして下さっている皆様、このコロナ禍で大変な中、僕たちがプレーを出来る環境を与えて下さり、ありがとうございました。この度、愛媛FCに移籍する事になりました。僕が甲府に加入し初めての試合は大宮戦。ゴール裏の景色は今でも鮮明に覚えています」
「あの光景と声援で心を打たれ、込み上げるものがありました。この人達と共にJ1へと強い覚悟で戦ってきましたが、昇格させる事ができず申し訳なく思います。また、僕の応援歌も作って頂き感謝しています」
「甲府で一番好きな応援歌『漢』。『漢の中の漢なら 何も言わずに闘え そうさ死ぬまで青赤 何も恐れず闘え』。あのチャントが歌われるとき、僕自身もやってやろうって気持ちに何回もなりました」
「今後もこの歌詞にあるように、死ぬまで青赤にいた誇りを持ち、これからのサッカー人生も頑張っていきたいと思います!」
「最後に、2年間共に戦った仲間、彰さんをはじめとするトップチームスタッフの皆様、フロントスタッフの皆様、甲府で僕に関わってくれた全ての皆様に感謝しています。本当にありがとうございました」
“サンフレッチェのレジェンド”森﨑ツインズが選ぶ歴代ベストイレブン!~森崎和幸編~
広島イヨハ理がJ3鹿児島に期限付き移籍「努力を」
サンフレッチェ広島は5日、J3FC岐阜に期限付き移籍していたDFイヨハ理(おさむ)ヘンリー(22)が、同じJ3の鹿児島ユナイテッドFCに期限付き移籍することを発表した。
広島ユース出身のイヨハは、昨年までの3年間は岐阜でプレー。昨年は24試合1得点と主力の活躍をしていた。将来的には広島に復帰する予定だが、現状では出場機会が得られないため、引き続き他クラブで経験を積むことになった。
本人は「今年で4年目の期限付き移籍になりますが、広島への思いはもちろん今も変わらず強く抱いています。毎年、広島の方からの応援の声で力をもらっている中で、今年も自分の力を発揮し、成長できるよう努力していきます」と抱負を述べた。
広島21年スローガンは“積攻”積極性+攻撃を表現
サンフレッチェ広島は7日、21年のスローガン「積攻 SEKIKO CONTINUE OUR BELIEF」を発表した。
「積攻」の言葉は20年シーズンも使用。積み重ねてきたものをベースに、さらに求めていく「積極性」と、より「攻撃的」なサッカーを目指していく姿勢を「積攻」と表現していた。
21年は志向するサッカーが形になりつつあり、勝ちきれるチームになるために目指す姿勢を変えず、信念を持って積み重ねを継続し、信じて前に進み続けるという思いを込めて、前年の「積攻」を踏襲したという。
広島は昨年8位に終わったが、城福浩監督(59)が続投し、就任4年目の今季が勝負のシーズンとなる。
柏のJサントス獲得を発表 188センチの大型FW
J1広島は6日、柏からブラジル人FWジュニオールサントス(26)=188センチ、85キロ=を完全移籍で獲得したと発表した。保有権を持つ柏に対し、移籍金を支払うことで合意した。年俸は4千万円。
ジュニオールサントスは力強いドリブル突破や高いシュート技術が武器。2019年にブラジル・フォルタレーザから柏に加入し、20年8月に期限付き移籍した横浜Mではリーグ戦22試合に出場してリーグ5位の13点を挙げた。
現在はブラジルに帰国中。1月中旬の来日後、新型コロナウイルス感染拡大防止のための2週間の隔離を経て、24日に宮崎市で始まる1次キャンプから合流する予定。クラブを通じ「新たな挑戦にとても高いモチベーションを感じ、ワクワクした気持ち」とコメントした。(金額は推定)
広島ハイネル期限付き移籍の延長、今季18試合出場
サンフレッチェ広島は5日、MFハイネル(30=ブラジル)との期限付き移籍期間を延長すると発表した。保有権はトンベンセ(ブラジル)にある。
同選手は主に右ウイングの位置で、19年は24試合2得点、20年は18試合無得点の成績を残した。右膝の治療のために、昨年11月にブラジルへ帰国していた。
湘南がチーム最多6得点のFW石原直樹、FW大橋祐紀と契約更新
湘南ベルマーレは4日、FW石原直樹(36)、FW大橋祐紀(24)との契約更新を発表した。
石原は湘南でキャリアをスタートさせると、大宮アルディージャ、サンフレッチェ広島、浦和レッズ、ベガルタ仙台と渡り歩き、2020年から復帰した。
2020シーズンは明治安田J1で27試合に出場しチーム最多の6得点を記録していた。
大橋は中央大学から2018年に入団。2010シーズンは明治安田J1で7試合に出場も無得点だった。
ファン ソッコ選手 サガン鳥栖へ完全移籍決定のお知らせ
このたび、ファン ソッコ選手がサガン鳥栖へ完全移籍することが決定しましたので、お知らせいたします。
ファン ソッコ (HWANG Seok Ho) DF 3
【 出身地 】
大韓民国
【 生年月日 】
1989年6月27日
【身長/体重】
183cm/80kg
【 選手歴 】
雲湖中
- 雲湖高
- 大邱大
- サンフレッチェ広島(2012)
- 鹿島アントラーズ(2015)
- 天津泰達足球倶楽部(2017)
- 清水エスパルス(2018)
【2020成績】
J1リーグ(19試合/2得点)、リーグカップ(0試合/0得点)
【 通算成績 】
J1リーグ(169試合/6得点)、リーグカップ(13試合/1得点)、天皇杯(11試合/0得点)、
中国スーパーリーグ(15試合/0得点)、ACL(14試合/1得点)、FCWC(4試合/0得点)
【 コメント 】
『清水エスパルスの選手として戦った3年間は私の誇りです。この3年間いつも熱い声援で支えて下さったファン・サポーターの皆様には感謝しかありません。そして、スタジアムでチームを何度も助けてくれたあの一体感ある応援を忘れることはないでしょう。3年間本当にありがとうございました!』
コメント
コメントを投稿