【U-23代表】「よく言い争っていた」広島MF浅野雄也が明かした兄・拓磨への強烈な“対抗心”。兄弟で五輪出場の偉業なるか
J1リーグ1年目で32試合に出場して5ゴールをマーク
12月22日、26日まで5日間に渡って行なわれる、東京五輪に向けたU-23日本代表候補のトレーニングキャンプがスタート。初日は2部練習となったが、軽めの午前練習の後、初招集となったサンフレッチェ広島の浅野雄也がオンライン取材に対応した。
J2の水戸から広島に渡って実質1年目の今シーズンは、主に2シャドーの一角で起用され、32試合に出場して5ゴール。抜群のスピードと高精度の左足キックを武器に、初のJ1で小さくない存在感を放った。 7人兄弟の四男で、2学年上の兄が日本代表FWの拓磨(パルチザン)だ。リオデジャネイロ・オリンピックに出場した兄とは何かと比較されがちだが、「小さい頃からタクが活躍すると悔しかった。背中を追ってきて、オリンピックやA代表でプレーするタクを見るのはめちゃくちゃ悔しい気持があった」と本音を語った。 「その気持ちが刺激となって頑張れているので、そこは感謝している」 中学までは一緒にプレーしていて、「サッカーに関してはよく言い合いをしていた」という。 「スピードはタクのほうがあると思うけど、足下の技術は自分のほうが勝っている。そこをアピールしていきたい」 拓磨が経験した五輪の舞台に、雄也は立てるのか。兄への“対抗心”を胸に熾烈なサバイバルに挑む。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部佐藤寿人が千葉に残したもの――。ラストゲームで見せた一体感で「J1の舞台に…」
12月20日、ジェフユナイテッド千葉のFW佐藤寿人が21年の現役生活にピリオドを打った。
日本代表にも名を連ね、J1リーグ通算161ゴールは歴代2位(Jリーグ通算220得点は歴代1位)の記録。アカデミー時代からプレーしてきた千葉(当時市原)をはじめ、セレッソ大阪、ベガルタ仙台、サンフレッチェ広島、名古屋グランパスでプレー。エースストライカーとして君臨してきたこれまでの功績は輝かしいものだ。
2019シーズンに18年ぶりに千葉に復帰。アカデミー時代の6年間を含め、自分を育ててくれたクラブに最後の恩返しとして、J1に昇格させたいという思いで戻り、2年間プレーした。
「特別な才能もない、身体能力に恵まれたわけでもない、普通のボクがここまで長く、第一線で戦ってこられたのは、アカデミー時代に千葉(当時市原)がボクを育ててくれたから。最後に千葉のために何かをしたい」
しかし、力は思うように発揮できなかった。「トップチーム昇格後の2年間、そして、戻ってきてからの2年間で、活躍できなかったことは悔しく、申し訳ない」と、引退発表時のコメントで気持ちを吐露している。それでも、寿人が千葉に残したものは大きい。そしてこの2年間、ほぼ、休むことなく、練習に取り組んだ。その姿勢はチームメイトも称賛する。「あれだけ結果を残してきた寿人さんが、まだ成長しようとトレーニングに取り組んでいる姿を見たら、自分もやらなければいけないと思う」(岡野洵)と、感じた選手は一人や二人ではないし、その努力はサポーターも感じている。だからこそ、選手がついていくし、必死の寿人のプレーをみんなが応援する。
最終戦では、84分にピッチに登場。拍手が鳴りやまないなか、いつものように左手でそっとピッチを触って入る。その直前には鳥海晃司から下平匠を経由し、キャプテンマークが渡される。「最後は寿人さんにつけてもらいたかった」という、アカデミーの後輩からの熱い思いだった。
また、53分に髙橋壱晟が逆転ゴールを決めると、コーナーフラッグに一直線に走り、佐藤寿人の象徴ともいえる、ゴールパフォーマンスで寿人を称えた。
得点者の髙橋は「今日は、絶対に勝って、引退する選手たちを送り出そうという思いだった」と語るように、選手、スタッフ、そしてサポーターに愛される存在だった。
妥協は決して許さない。自主トレーニングのシュート練習でも、常に実戦を考え、簡単なシュートでは終わらせない。あえて難しい態勢やボールを意識することもあるし、「もっとこうしてほしい、もっとこうやったほういがいい」という要求も絶えなかった。
「ボクは、周囲の選手に知ってもらってなんぼだし、そうやって要求しあっていかないと、チームとしてはよくなっていかない」
また、アカデミーの選手には時には優しく、ときには厳しく接した。2019年のある日、トップチームの練習に参加したアカデミーの選手たちはいきなり洗礼を受けた。「自己紹介、ちゃんとして」と全体練習開始前に寿人が発したのだ。その意図を聞くと、「トップチームの練習に参加するということは、お客さんの状態じゃダメ。同じ立ち位置だと意識しないと。その最初のステップとして自分を知ってもらわないといけないし、そのための自己紹介は最低限必要なこと」と。この言葉でいつもどこか遠慮がちだったアカデミーや若手選手たちの目の色が変わった。
一方で、優しさも忘れない。少しプレーに悩んでいるなと感じる選手がいれば、積極的に声をかけ、アカデミーの選手にもアドバイスを送った。そういった雰囲気からか、アカデミーの選手から積極的にトップの選手に質問する場面を見かけることが多くなっていった。
千葉MF工藤浩平が契約満了、クラブ通算22試合に出場「J1昇格という最大の目標を達成できなかったことが心残りです」
工藤は千葉の株阻止位出身で、2003年にトップチーム昇格。2010年までプレーすると、その後は京都サンガF.C.、サンフレッチェ広島、松本山雅FCと渡り歩き、2018年7月に千葉に復帰していた。
千葉では通算222試合に出場し13得点を記録。今シーズンは明治安田J2で6試合の出場に留まっていた。
工藤はクラブを通じてコメントしている。
「このたび、ジェフユナイテッド市原・千葉を離れる事になりました。僕が大好きなジェフユナイテッド市原・千葉に関わる、ファン、サポーター、スポンサーの皆さまへのご報告が遅くなったこと、本当に申し訳なく思います」
「僕は小学生の頃からジェフのユニフォームを着て育ちました。ナビスコカップで優勝した時も、J2への降格が決まった時も、僕はそのピッチにいました。しかし、そんな大好きなクラブを一度は離れました。そんな自分に、もう一度、黄色のユニフォームを着てプレーするチャンスを与えてくれたことを、感謝しています。戻ってくることはできましたが、J1昇格という最大の目標を達成できなかったことが心残りです。本当に申し訳ありませんでした」
「僕はこのクラブを離れますが、地元である、市原、千葉にあるこのクラブがJ1昇格を果たし、そしてフクアリへ老若男女、大人も子供もワクワクして笑顔で訪れ、地元の方々に愛されるクラブであり続けることを願っています」
「最後になりますが、僕はやっぱりサッカーが大好きです。僕を必要としてくれるチームをみつけ、まだまだボールを追いかけ続けたいと思います!皆さん、ありがとうございました!また会いましょう!!」
【広島】新ユニフォーム発表!新たな一歩を踏み出し共に戦っていく強い意志を表現
広島の2021シーズンのファーストユニフォーム。 (C)SANFRECCE HIROSHIMA F.C
広島の2021シーズンのファーストユニフォーム。 (C)SANFRECCE HIROSHIMA F.C
伝統の広島バイオレットを全身に採用、デジタルグラフィックを取り入れたデザインに。
J1リーグのサンフレッチェ広島は12月21日、2021シーズンに使用するユニフォームスポンサー、ユニフォームデザインが決定したと発表した。
概要は次の通り。
■ユニフォームサプライヤー
株式会社ナイキジャパン
■ユニフォームスポンサー
・前 面:株式会社エディオン
・右鎖骨:ハイセンスジャパン株式会社
・背 中:マツダ株式会社
・背中裾:株式会社ひろぎんホールディングス
・左 袖:株式会社イズミ
・ショーツ:テラル株式会社
■新ユニフォームコンセプト
ホーム(ファースト)ユニフォームは2020年と同様、伝統の広島バイオレットを全身に採用し、デジタルグラフィックを取り入れたデザインに。
広島では地形、毛利家の家紋、折り鶴など、様々なものにトライアングルが用いられている。2021年シーズンのユニフォームは、その広島にゆかりのあるトライアングルからインスピレーションを得て、ダイナミックトライアングルをコンセプトに、サンフレッチェ広島の力強いフットボールスタイルを表現している。
また、クラブのアイデンティティである三本の矢の躍動感と速さを、デジタルグラフィックと紫のグラデーションでデザインした。サイドテープのゴールドはクラブエンブレムに使用されているゴールドからインスピレーションを得て、クラブカラーを取り入れながら、エネルギッシュで未来的なグラフィックのデザインとなっている。
エンブレムカラーには、サンフレッチェ広島とNIKEがパートナーシップを組んだ初年度、2011年のユニフォームからインスピレーションを得たバイオレットを採用。三度のJ1リーグ優勝に輝いた10年間を節目とし、2021年は新たな一歩を踏み出して共に戦っていく、という互いの強い意志を表現している。
原点回帰の熱い想いを左胸に刻み、さらに邁進していくスタートのシーズンへの決意。アウェー(セカンド)ユニフォームは、ナイキが2011年からユニフォームを提供し始めてから初となる襟付きのポロタイプを採用した。またカラーはホワイトを採用することで、純粋な上品さと、洗練されたサンフレッチェ広島を表現している。
■機能性とデザイン
◆襟元の形状
ネックラインはリブ仕立てで首回りにフィットしやすく、 ストレスを感じにくい設計のV-neckを採用。 また、背面にはリブの重なりがあるVタイプを仕様し、 品格を感じる仕上がりとなっている。
◆サイドテープ
ナイキフットボールが提供するユニフォームの世界共通のデザインとして、稲妻のようなサイドテープがシャツからショーツにかけてつながるデザインを取り入れている。
J1リーグのサンフレッチェ広島は12月21日、2021シーズンに使用するユニフォームスポンサー、ユニフォームデザインが決定したと発表した。
概要は次の通り。
■ユニフォームサプライヤー
株式会社ナイキジャパン
■ユニフォームスポンサー
・前 面:株式会社エディオン
・右鎖骨:ハイセンスジャパン株式会社
・背 中:マツダ株式会社
・背中裾:株式会社ひろぎんホールディングス
・左 袖:株式会社イズミ
・ショーツ:テラル株式会社
■新ユニフォームコンセプト
ホーム(ファースト)ユニフォームは2020年と同様、伝統の広島バイオレットを全身に採用し、デジタルグラフィックを取り入れたデザインに。
広島では地形、毛利家の家紋、折り鶴など、様々なものにトライアングルが用いられている。2021年シーズンのユニフォームは、その広島にゆかりのあるトライアングルからインスピレーションを得て、ダイナミックトライアングルをコンセプトに、サンフレッチェ広島の力強いフットボールスタイルを表現している。
また、クラブのアイデンティティである三本の矢の躍動感と速さを、デジタルグラフィックと紫のグラデーションでデザインした。サイドテープのゴールドはクラブエンブレムに使用されているゴールドからインスピレーションを得て、クラブカラーを取り入れながら、エネルギッシュで未来的なグラフィックのデザインとなっている。
エンブレムカラーには、サンフレッチェ広島とNIKEがパートナーシップを組んだ初年度、2011年のユニフォームからインスピレーションを得たバイオレットを採用。三度のJ1リーグ優勝に輝いた10年間を節目とし、2021年は新たな一歩を踏み出して共に戦っていく、という互いの強い意志を表現している。
原点回帰の熱い想いを左胸に刻み、さらに邁進していくスタートのシーズンへの決意。アウェー(セカンド)ユニフォームは、ナイキが2011年からユニフォームを提供し始めてから初となる襟付きのポロタイプを採用した。またカラーはホワイトを採用することで、純粋な上品さと、洗練されたサンフレッチェ広島を表現している。
■機能性とデザイン
◆襟元の形状
ネックラインはリブ仕立てで首回りにフィットしやすく、 ストレスを感じにくい設計のV-neckを採用。 また、背面にはリブの重なりがあるVタイプを仕様し、 品格を感じる仕上がりとなっている。
◆サイドテープ
ナイキフットボールが提供するユニフォームの世界共通のデザインとして、稲妻のようなサイドテープがシャツからショーツにかけてつながるデザインを取り入れている。
【U-23代表】「よく言い争っていた」広島MF浅野雄也が明かした兄・拓磨への強烈な“対抗心”。兄弟で五輪出場の偉業なるか
12月22日、26日まで5日間に渡って行なわれる、東京五輪に向けたU-23日本代表候補のトレーニングキャンプがスタート。初日は2部練習となったが、軽めの午前練習の後、初招集となったサンフレッチェ広島の浅野雄也がオンライン取材に対応した。
J2の水戸から広島に渡って実質1年目の今シーズンは、主に2シャドーの一角で起用され、32試合に出場して5ゴール。抜群のスピードと高精度の左足キックを武器に、初のJ1で小さくない存在感を放った。
7人兄弟の四男で、2学年上の兄が日本代表FWの拓磨(パルチザン)だ。リオデジャネイロ・オリンピックに出場した兄とは何かと比較されがちだが、「小さい頃からタクが活躍すると悔しかった。背中を追ってきて、オリンピックやA代表でプレーするタクを見るのはめちゃくちゃ悔しい気持があった」と本音を語った。
「その気持ちが刺激となって頑張れているので、そこは感謝している」
中学までは一緒にプレーしていて、「サッカーに関してはよく言い合いをしていた」という。
「スピードはタクのほうがあると思うけど、足下の技術は自分のほうが勝っている。そこをアピールしていきたい」
拓磨が経験した五輪の舞台に、雄也は立てるのか。兄への“対抗心”を胸に熾烈なサバイバルに挑む。
12月22日、26日まで5日間に渡って行なわれる、東京五輪に向けたU-23日本代表候補のトレーニングキャンプがスタート。初日は2部練習となったが、軽めの午前練習の後、初招集となったサンフレッチェ広島の浅野雄也がオンライン取材に対応した。
J2の水戸から広島に渡って実質1年目の今シーズンは、主に2シャドーの一角で起用され、32試合に出場して5ゴール。抜群のスピードと高精度の左足キックを武器に、初のJ1で小さくない存在感を放った。
7人兄弟の四男で、2学年上の兄が日本代表FWの拓磨(パルチザン)だ。リオデジャネイロ・オリンピックに出場した兄とは何かと比較されがちだが、「小さい頃からタクが活躍すると悔しかった。背中を追ってきて、オリンピックやA代表でプレーするタクを見るのはめちゃくちゃ悔しい気持があった」と本音を語った。
「その気持ちが刺激となって頑張れているので、そこは感謝している」
中学までは一緒にプレーしていて、「サッカーに関してはよく言い合いをしていた」という。
「スピードはタクのほうがあると思うけど、足下の技術は自分のほうが勝っている。そこをアピールしていきたい」
拓磨が経験した五輪の舞台に、雄也は立てるのか。兄への“対抗心”を胸に熾烈なサバイバルに挑む。
「泣き虫で弱い僕に…」 広島MF青山、現役引退の“戦友”佐藤寿人との思い出写真投稿
2005~16年に広島で共闘し、3度のリーグ優勝を分かち合った青山が佐藤へメッセージ
J2ジェフユナイテッド千葉の元日本代表FW佐藤寿人は、20日に行われたリーグ最終節ギラヴァンツ北九州戦(2-1)で現役を引退した。広島で12年間共闘した元日本代表MF青山敏弘は、自身のインスタグラムでホットラインを形成したかつてのエースへ熱い想いを綴っている。
ジェフユナイテッド市原(当時)の下部組織で育ち、2000年にトップ昇格を果たした佐藤は、02年セレッソ大阪、03年ベガルタ仙台を経て、05年から広島に移籍。16年まで在籍し、現在日本代表を率いる森保一監督が指揮を執っていた12年、13年、15年にはJ1制覇を成し遂げた。
17年に名古屋グランパスへ、19年から古巣の千葉に復帰。歴代2位のJ1通算161得点、歴代最多のJリーグ通算220得点、J2と合わせて12年連続2桁得点を達成し、08年にはJ2で、12年にはJ1で得点王を掴み取った。
20日の北九州戦が現役ラストゲームとなったなか、青山はプロ2年目の2005年から16年まで広島で共闘した佐藤へ、自身のインスタグラムで思いを綴った。
「泣き虫で弱い僕に、寿人さんが自信と強さを与えてくれた。あなたが高いレベルを要求し続けてくれたから、僕は成長できた。先頭に立って広島を引っ張り続けてくれたから、僕たちは優勝できた。僕を変えてくれて、広島を変えてくれた。あなたに必死に付いていって本当に良かった。ありがとうキャプテン」
投稿では、ともに咆哮する姿や、涙を流す青山を佐藤が諭す様子、2015年のリーグ優勝でトロフィーとシャーレを持っての記念ショットなど、思い出の写真が添えられている。
ファンからは「泣けます」「青ちゃんパスからの寿人さんゴールは最高の絵面で大好きでした」「佐藤寿人11永遠の広島宝です」といったコメントが寄せられ、元広島で現在はUAE1部アル・アインでプレーするDF塩谷司も「いいね!」で反応していた。
多くの選手、ファンから愛された佐藤のプレーは、今後も語り継がれていくだろう。
サンフレッチェ広島、城福浩監督の契約更新を発表。今季J1で8位も若手の台頭目立つ
明治安田生命J1リーグのサンフレッチェ広島は20日午前、城福浩監督の来季続投を公式発表した。
FC東京やヴァンフォーレ甲府で指揮を執った過去を持つ城福浩は2018年にサンフレッチェ広島の指揮官に就くと、就任1年目にJ1リーグ2位と好成績をおさめる。そして昨季は若手選手の台頭もありリーグ戦6位、AFCチャンピオンズリーグでベスト16でフィニッシュすると、今季は8位に終わったものの大型連敗を喫することなく安定した戦いを披露していた。
なお、サンフレッチェ広島は2021年秋に開幕する女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)に参戦することもすでに決まっており、初代監督として中村伸氏が就任することも先日発表している。
先日には新スタジアムの構想イメージパースを公開したサンフレッチェ広島。中長期的なビジョンでチーム作りを行う中、城福体制4年目となる来季こそ、再びAFCチャンピオンズリーグ出場権獲得を目指したいところだ。
広島黄金期、我忘れた佐藤寿人と森保監督せめぎ合い
J1サンフレッチェ広島の黄金期を築いたFW佐藤寿人(38)が引退する。その名前を聞いて、思い出す光景がある。14年10月、広島県内の練習場。当時32歳の佐藤に質問した。「夏のベンチ外はなんだったんですか? どこかに移籍するんですか?」。
当時の佐藤は11年連続2ケタ得点。リーグ3連覇を狙う森保一監督率いる広島のエースFWだった。それが8月に不可解な2戦連続ベンチ外。同時期に新潟FW川又が連続ベンチ外から名古屋に移籍していた。「もしや佐藤も…」という疑いが頭から離れなかった。
佐藤は、真っすぐこちらの目を見て移籍を否定。ベンチ外だった理由を口にした。それはまさしくプロとプロのせめぎ合いだった。
8月2日アウェー鹿島戦。前半を0-1で折り返したハーフタイム。佐藤はFW皆川との交代を命じられて、我を忘れた。「なんで、オレなんすか!」とロッカー室で森保監督に食ってかかった。「後半は追いつくために得点が必要なのに。おれはやれるのに」。エースFWと指揮官が衝突した試合は、後半に4失点して、1-5で惨敗した。
禁断の采配批判。しかも仲間の前だった。自分が悪いことは分かっていた。「選手起用は監督の権利。ただハーフタイムに代えられる経験はなかった。悔しさと納得いかない気持ちで、その瞬間は消化できなかった。監督とぶつかった」。
若手とベテランがしのぎをけずる。それがプロのおきてだ。佐藤も00年に残留争いの千葉で、日本代表FW小倉を差し置いてプロ初先発している。「小倉さんも『なんでルーキーが』と思ったかもしれない」。生存競争がつきものだと分かっていても、受け入れられなかった。「いつかフル出場がなくなり、出番が最後の15分になる。でも自分の予想よりも2、3年早かった」。もともと温厚な人柄、誠実な取材対応で知られる選手。監督に食ってかかる姿は想像できなかった。
もやもやを抱えて戻った広島。佐藤は一夜明けて、練習グラウンドで思いの丈を森保監督にぶつけた。森保監督から「そういう思いがあるということはまだまだ成長できるな」と言われた。前半交代に対する反骨心、エースとしてのプライド。森保監督も、自ら35歳までプレーしている。ベテランの葛藤を理解して、責めることはしなかった。
ただ監督には絶対に譲れない部分がある。采配批判を許しては、他の選手に示しがつかない。指揮官はその心情を理解しつつも、懲罰を与えた。それが直後の2戦連続ベンチ外だった。
佐藤は、そのいきさつを妻に話した。妻の「いいじゃん、人間らしくて」という言葉で心が軽くなった。「前半の交代を粛々と受け入れちゃいけない。僕も譲れない部分があるし、監督も譲れない部分がある。この世界では普通。そうやってベテランはもがいていく」。当時の広島には森保監督、佐藤らの人柄もあり、家族的な雰囲気を感じていた。ただプロとして一線を引かなければ、J1連覇など果たせるはずもない。
記者はこの話を11月のナビスコ杯決勝で掲載した。佐藤が2得点を挙げて2-0でリードも、ガンバ大阪に3失点で逆転負けという内容だった。必ずしもハッピーエンドで終わらない、勝負の厳しさを伝えたかった。
この話には後日談がある。ナビスコ杯決勝後に広島の広報から電話が来た。いわく「監督が、記事を見て、怒っている」と。何があっても声を荒らげない指揮官が「怒っている」ときいて、ピンとこなかった。
その電話を受けた日、広島は、G大阪との2軍戦で万博陸上競技場に来ていた。すぐに会場にかけつけた。試合後の誰もいない競技場で森保監督を探すと、指揮官から「あっ」と指さされ、呼ばれた。「チーム内の不和」を紙面に掲載した理由を聞かれた。記者は「広島はアットホームに見えるけど、なあなあの組織じゃない。プロのFWとプロの監督がせめぎ合う集団だと読者に伝えたかった」と説明したような気がする。
森保監督は、記者の言葉を静かに聞いて、最後に「わかりました。僕はこの仕事をやっている以上、いつでも辞める覚悟がある。批判は甘んじて受け入れる。だからこれからも批判があれば、どんどん書いてください」と握手を求められた。あわてて、両手を差し出したことを覚えている。
広島は12年から優勝、優勝、8位、優勝。記者が担当したのは、8位だった1年だけだった。ナビスコ杯も天皇杯も勝てなかった。それでも佐藤寿人、森保一というプロの姿は鮮明に覚えている。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)
◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の44歳。小中はサッカー部。サッカーは05年J1神戸、06年同京都を担当。ともにリーグ最下位でJ2に降格。14年は広島を取材。16年に大阪から東京に転勤。現在は五輪担当キャップとして主に水泳を取材。
広島時代に3度のJ1優勝を経験した塩谷司、佐藤寿人へ惜別メッセージ
UAE1部アル・アインに所属するDF塩谷司が公式インスタグラムを更新した。19日に今季限りで現役引退を発表したジェフユナイテッド千葉の元日本代表FW佐藤寿人への思いを吐露。サンフレッチェ広島時代の先輩に「可愛がってくれたこと一生忘れません」と惜別のメッセージを送っている。
ジェフユナイテッド市原(当時)の下部組織で育ち、2000年にトップ昇格を果たした佐藤は、02年セレッソ大阪、03年ベガルタ仙台を経て、05年から広島に移籍。16年まで在籍し、現在日本代表を率いる森保一監督が指揮を執っていた12年、13年、15年にはJ1制覇を成し遂げた。17年に名古屋グランパスへ、19年から古巣の千葉に復帰。歴代2位のJ1通算161得点、歴代最多のJリーグ通算220得点、J2と合わせて12年連続2桁得点を達成し、08年にはJ2で、12年にはJ1で得点王を掴み取った。
日本を代表するストライカーの佐藤だが、今季は9試合2得点。38歳FWは、21年のキャリアに幕を閉じることを決意し、19日に今季限りでの現役引退を発表した。
一方の塩谷は2011年に水戸ホーリーホックでキャリアをスタートし、12年途中に広島へ移籍。17年からUAEの強豪アル・アインでプレーしている。佐藤とは3度のJ制覇をともに経験した。
そんななか、塩谷が公式インスタグラムを更新。広島時代の一枚で、佐藤から頭を抱かれている写真を投稿し、惜別メッセージを送った。
「まだやれるじゃんとも言いたいしお疲れ様でしたとも言いたい。水戸から広島に移籍した時優しく声をかけてくれた事、練習で何度もゴールを決められた事、私生活でもたくさん可愛がってくれたこと一生忘れません。現役生活お疲れ様でした!」
塩谷にとっては最高の思い出をともに築いた先輩。前線で輝き続けた佐藤の引退は寂しいものとなったようだ。
【J1第34節】名古屋が広島との一進一退を制す
J1リーグ第34節は12月19日 (土)、豊田スタジアムで名古屋グランパス vs サンフレッチェ広島の試合が行われました。
前半終了時点で、名古屋は0点、広島は0点と、両チーム引き分けで後半を迎えます。
後半に入り、広島は名古屋のゴールを割ることはできず、一方名古屋は好機を活かし得点しました。
最終スコアは1 - 0となり、名古屋は、1点差で広島を降し、見事勝利です。 メンバー■ 名古屋グランパス<スターティングメンバー>
GK 1 ランゲラック
DF 34 オ ジェソク
DF 4 中谷 進之介
DF 3 丸山 祐市
DF 23 吉田 豊
MF 16 マテウス
MF 15 稲垣 祥
MF 2 米本 拓司
MF 27 相馬 勇紀
FW 17 山崎 凌吾FW 11 阿部 浩之
<サブメンバー>
GK 21 武田 洋平
DF 6 宮原 和也
DF 13 藤井 陽也
DF 26 成瀬 竣平
MF 8 ジョアン シミッチ
MF 24 石田 凌太郎FW 25 前田 直輝
■ サンフレッチェ広島<スターティングメンバー>
GK 1 林 卓人
DF 3 井林 章
DF 23 荒木 隼人
DF 19 佐々木 翔
MF 25 茶島 雄介
MF 8 川辺 駿
MF 6 青山 敏弘
MF 24 東 俊希
MF 29 浅野 雄也
MF 10 森島 司FW 9 ドウグラス ヴィエイラ
<サブメンバー>
GK 38 大迫 敬介
DF 2 野上 結貴
MF 5 松本 大弥
MF 18 柏 好文
MF 26 土肥 航大
MF 30 柴崎 晃誠MF 50 藤井 智也
GK 1 ランゲラック
DF 34 オ ジェソク
DF 4 中谷 進之介
DF 3 丸山 祐市
DF 23 吉田 豊
MF 16 マテウス
MF 15 稲垣 祥
MF 2 米本 拓司
MF 27 相馬 勇紀
FW 17 山崎 凌吾FW 11 阿部 浩之
GK 21 武田 洋平
DF 6 宮原 和也
DF 13 藤井 陽也
DF 26 成瀬 竣平
MF 8 ジョアン シミッチ
MF 24 石田 凌太郎FW 25 前田 直輝
GK 1 林 卓人
DF 3 井林 章
DF 23 荒木 隼人
DF 19 佐々木 翔
MF 25 茶島 雄介
MF 8 川辺 駿
MF 6 青山 敏弘
MF 24 東 俊希
MF 29 浅野 雄也
MF 10 森島 司FW 9 ドウグラス ヴィエイラ
GK 38 大迫 敬介
DF 2 野上 結貴
MF 5 松本 大弥
MF 18 柏 好文
MF 26 土肥 航大
MF 30 柴崎 晃誠MF 50 藤井 智也
「とても幸せな時間でした」…FW佐藤寿人が今シーズン限りで現役引退「全ての人に感謝しています」
現役引退を発表した佐藤寿人 [写真]=J.LEAGUE
ジェフユナイテッド千葉は19日、FW佐藤寿人が2020シーズンをもって現役を引退すると発表した。
現在38歳の佐藤は千葉のジュニアユース、ユース出身。2000年にトップチームに昇格しプロデビューを果たすと、セレッソ大阪、ベガルタ仙台と期限付き移籍で武者修行に出て経験を積み、2004年に仙台に加入した。その後はサンフレッチェ広島、名古屋グランパスと渡り歩き、2019年から古巣の千葉に戻りプレーしていた。
同選手はJリーグ通算559試合出場220得点を記録し、2012年にはJリーグMVPや得点王に輝いた。日本代表でも通算31試合出場4得点と活躍している。
佐藤は千葉のクラブ公式サイト上で引退発表に当たり、次のようにコメントした。
「2020年シーズンをもって21年間のプロサッカー選手としてのキャリアを終える事を決めました。小学生の頃にJリーグが誕生し、カズさんとゴンさんのプレーに目を輝かせ、たくさんの夢を与えてくれたJリーグの舞台で選手として21年という長い時間をプレー出来た事、とても幸せな時間でした。ジェフのアカデミーで過ごした6年間で素晴らしいスタッフと出会えた事でプロサッカー選手になる事が出来ました」
「ただ、自分自身はプロ入りの2年間と復帰した2年間でジェフの為に活躍出来なかった事はとても悔しく申し訳なく思います。今はクラブが難しいサイクルの中にいると思いますが、誰よりもジェフを愛する兄が必ずファン・サポーターの皆さまをJ1の舞台に導いてくれると思います。これまで在籍したクラブへの想いも述べさせていただきます」
「セレッソ大阪での1年間は素晴らしいチームメイトの中でプレー出来た事でたくさんの事を学ぶ事が出来ました。レンタル移籍で活躍していない状況にもかかわらず、いつも温かく見守ってくれていたセレッソのファン・サポーターの優しさを忘れる事はありません」
「ベガルタ仙台での2年間はプロサッカー選手としてプレーする喜びをたくさん感じる事が出来ました。スタジアムがベガルタゴールドに染まる景色は選手を勇気づけるものでした。これからも変わらずクラブを支えてほしいと思います」
「12年間プレーしたサンフレッチェ広島。その長い年月だけではなく、共に喜び、共に苦しみ、ファン・サポーターと共闘していった先に辿り着いた2012年の初優勝。そしてユニフォームに光り輝く3つの星。愛する広島の皆さまに、いつかただいまと言える日を楽しみにしています」
「名古屋グランパスでの2年間はクラブにとって唯一無二の存在、楢崎正剛さんとグランパスがいるべき場所に戻る為に共に戦えた事、素晴らしいチャントで背中を押してくれた事、とても感謝しています。ゴール裏で「風」を一緒に歌うのが最高の瞬間でした」
「これまで指導して頂いた、コーチ、監督。21年間プレー出来る状態を作ってくれたメディカルスタッフ。いつも誰よりも早くクラブハウスに来て準備してくれているマネージャー。チーム作りの為に時には厳しい判断をしなければならない強化部。クラブの為に働いてくれている社員の皆さま。クラブを支えてくださっている地域やスポンサー、パートナー企業の皆さま。Jリーグをここまで創り上げてくださった関係者の皆さま。ピッチで対戦した多くのサッカー仲間。いつも口うるさい要求に耳を傾けてくれたチームメイト。全ての人に感謝しています」
「最後に大きな怪我なく丈夫な身体に産んで育ててくれた尊敬する両親。最高の兄貴で最高のライバルである勇人。いつも笑ってそばにいてくれた妻と3人の子供達、ありがとう」
サンフレッチェ広島、新スタジアムの「イメージ動画」が公開!2024年開業を目指す
Jリーグ・サンフレッチェ広島の新しいホームとして注目されている広島県広島市の新スタジアム。
紆余曲折の末、市中心部の中央公園に建設されることが決まり、2020年度内には基本設計が固まる見通しだ。
場所は広島市のまさに中心部!しかも当初建設を目指していた近くの旧広島市民球場跡地よりも広い。
そうしたなか、サンフレッチェ広島はクラブ公式サイト内の「HIROSHIMAスタジアムパークPROJECT」ページにて、新スタジアムのイメージ動画を公開した。映像はあくまでサンフレッチェ広島が構想中のイメージであり、実際の完成時とは異なるものの、北側の集合住宅に配慮した屋根の形状などコンセプトは十分にうかがえる。
広島市が2017年12月に公表したイメージでは中央公園内の広場東寄りに位置していたが、隣接する小学校や幼稚園などへの配慮から西寄りに変更。スタジアム東側に残ることになる広場は引き続き緑の多い場所となりそうだ。
また、本川(旧太田川)に面した水辺のスタジアムであることも大きな特徴で、“水の都”広島らしい都市型スタジアムとなる見込み。完成が今から待ち遠しい!
浅野雄 兄弟五輪だ!代表候補初選出が“ラストチャンス”、リオ出場の兄拓磨に続け
日本協会は17日、来夏の東京五輪に臨む国内組のU―23日本代表候補合宿メンバー23人を発表した。約1年ぶりの活動で、8人が新たに選出された。初めて候補入りしたFW浅野雄也(23=広島)は、日本代表FW浅野拓磨(26=パルチザン)を兄に持つ。サッカーでは原則23歳以下となった92年バルセロナ五輪以降、兄弟いずれもが五輪に出場した例はない。16年リオデジャネイロ五輪に出場した兄に続く本大会出場へ、生き残りを目指す。
兄に続く一歩を踏み出した。1月のU―23アジア選手権(タイ)以来、約1年ぶりとなる五輪代表の活動。前回からMF田川(FC東京)や常連のFW小川(J2磐田)が外れた前線に、成長著しい浅野が割って入った。
「初めて選出されてうれしい気持ち。どんどん自分のプレーをアピールして、どれだけ通用するかも楽しみ。自分のプレーを出してアピールするだけ。とにかく頑張りたい」
7人きょうだいの四男で、大体大から昨季プロ入り。J2水戸を経て今季は広島でリーグ31試合5得点を挙げ、シャドーやウイングバックを主戦場に1トップもこなす。スピードは兄よりやや劣るが、左利きで兄以上の足元の技術力を誇るチャンスメーカーだ。
森保監督の広島指揮官時代の秘蔵っ子でもあった兄は、前回五輪に出場した。私生活では仲の良い2学年上の兄がステップアップする姿を、浅野は大体大時代から、うれしさと同じくらい悔しい思いで見つめてきた。
今年の1月11日。“ジャガー”の愛称を持つ兄と同じ「29」の背番号に決まった広島での入団会見では「(兄は)日本にいないので、“ジャガー”を奪ってしまおうか」と愛称の強奪を宣言。常に意識している兄に続いて五輪のメンバー入りを果たせば、サッカー界では異例の快挙となる。
来年3月の活動からは海外組も加わるため、当落選上にいる国内組にとっては森保監督に直接猛アピールできる最後のチャンス。18人への生き残りへ、“リトルジャガー”が下克上を狙う。
◆浅野 雄也(あさの・ゆうや)1997年(平9)2月17日生まれ、三重県菰野町出身の23歳。四日市四郷高から大体大に進学し、19年にJ2水戸に加入。同8月に広島への完全移籍が決定するも、同シーズンはレンタル移籍として水戸で引き続いてプレーした。今季は広島に復帰し、スピードを生かして31試合5得点。兄はパルチザンに所属する日本代表FW浅野拓磨。利き足は左。1メートル73、70キロ。
▽サッカー兄弟で五輪 五輪本大会に出場したのは36年ベルリン五輪の加茂兄弟(兄・健、弟・正五)が同じ大会に出場した例があるのみ。なお、遠藤兄弟の兄・彰弘が96年アトランタ五輪に出場も弟・保仁(J2磐田)が00年シドニー五輪で登録メンバーに入れず、バックアップメンバーとして同行した。04年アテネ五輪では双子の森崎兄弟(兄・和幸、弟・浩司)がともにアジア予選では出場していたものの、本大会は和幸がメンバー外となった。
JFA、U-23日本代表候補トレーニングキャンプメンバーを発表! 8名が初招集
A代表とU-23代表を兼任する森保監督 [写真]=Getty Images
日本サッカー協会(JFA)は17日、トレーニングキャンプに臨むU-23日本代表候補メンバー23名を発表した。
新型コロナウイルスの影響で、今年1月に行われたAFC U-23選手権2020以来の活動となるU-23日本代表。沖悠哉、中村帆高、金子拓郎、金子大毅、安部柊斗、高嶺朋樹、郷家友太、浅野雄也の8名が初招集となった。
U-23日本代表候補メンバーによるトレーニングキャンプは12月21日〜26日に高円宮記念JFA夢フィールドで行われる。
■U-23日本代表
▼GK
波多野豪(FC東京)
大迫敬介(サンフレッチェ広島)
沖悠哉(鹿島アントラーズ)
▼DF
渡辺剛(FC東京)
岩田智輝(大分トリニータ)
中村帆高(FC東京)
町田浩樹(鹿島アントラーズ)
大南拓磨(柏レイソル)
古賀太陽(柏レイソル)
橋岡大樹(浦和レッズ)
瀬古歩夢(セレッソ大阪)
東俊希(サンフレッチェ広島)
▼MF
相馬勇紀(名古屋グランパス)
田中駿汰(北海道コンサドーレ札幌)
金子拓郎(北海道コンサドーレ札幌)
安部柊斗(FC東京)
高嶺朋樹(北海道コンサドーレ札幌)
金子大毅(湘南ベルマーレ)
齊藤未月(湘南ベルマーレ)
郷家友太(ヴィッセル神戸)
▼FW
浅野雄也(サンフレッチェ広島)
前田大然(横浜F・マリノス)
上田綺世(鹿島アントラーズ)
岐阜の進学校からJリーガー誕生秘話 広島期待のスピードスター藤井智也、6人の仲間と“鬼自主練”
サンフレッチェ広島に新たなスピードスターの登場だ。
今年1月に広島への加入内定が発表された立命館大学4年・MF藤井智也のことである。シーズン前のキャンプからチームに参加し、今季は特別指定選手としてすでにリーグ戦13試合に出場。定位置の左サイドハーフでスタメン出場を2試合も経験している。
藤井の最大の特徴は、広島の先輩でもある浅野拓磨ばりのスピード。単にスピードに頼ることなく、状況に応じて縦へ中央へとコースを取り、何度も相手の逆を突きながらドリブルを仕掛けていく。裏への飛び出しが得意な浅野とはまた異なり、相手DFと対峙した時にそのスピードは最大限生かされる。 さらにキックの精度も高い。トップスピードに乗った状態から放たれるクロスは多彩で、ゴール前にどんどんボールを供給していく。カットインからのシュートパターンも豊富で、どこからでも得点を狙えるのも魅力だ。
県ベスト8が最高、夏を前に引退する部員たち
藤井の出身高校は岐阜県にある県立長良高校。全国大会の出場はなく、県予選でもベスト8止まりの成績だ。さらに進学校ゆえに最上級生となる3年生は夏前に行われるインターハイ予選を最後に受験のために退部し、秋に行われる選手権予選は毎年、2年生主体の新チームで臨んでいる。サッカーで全国大会を目指すような選手はなかなか集まってこないのが現状だ。
なぜ藤井はそんな長良高校を選んだのか。そこには中学時代に味わった挫折が大きく関わっている。
藤井の出身高校は岐阜県にある県立長良高校。全国大会の出場はなく、県予選でもベスト8止まりの成績だ。さらに進学校ゆえに最上級生となる3年生は夏前に行われるインターハイ予選を最後に受験のために退部し、秋に行われる選手権予選は毎年、2年生主体の新チームで臨んでいる。サッカーで全国大会を目指すような選手はなかなか集まってこないのが現状だ。
なぜ藤井はそんな長良高校を選んだのか。そこには中学時代に味わった挫折が大きく関わっている。
中学時代は何をやってもダメ
小学校時代、藤井は県トレセンや東海トレセン候補に選ばれる存在だった。しかし、中学校に上がるとトレセンの招集歴はなく、所属チームでもレギュラーを勝ち取れなかった。
「小学校時代からスピードだけはあって、自分のやりたいようにプレーができていたんです。でも、中学生になったら周りの身長が伸び、体が大きくなっていくのに、僕は158cmのまま。気づいたら自分が周りより遅くなっていて、何もできなくなっていったんです」
葛藤を抱えた藤井少年は所属していたクラブチームを離れて心機一転を図ったが、転籍した若鮎長良FC(岐阜県)でもその立場は変わらない。中学最後の試合となった「高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権岐阜県予選」では準決勝で屈辱のインアウト(途中出場からの途中交代)を経験した。
「中学時代は何をやってもダメ。だからこそ、高校で巻き返したかった。なぜか『絶対に誰にも負けない』という気持ちだけは持っていたんです」
中学時代の実績はなく、仲間たちが進んだ帝京大可児高校や岐阜工高校など強豪校からの誘いはない。とはいえ、サッカーで全国大会に出ることが目標であれば、ほかに選択肢はあったはずだが、藤井は長良高校に進学した理由をこう振り返っている。
「サッカーだけじゃなく、勉強もしっかりとできるところに行きたかった。何より僕のことを知る人がいない学校に行きたかったんです。誰も知らない環境でチームを強くして、県内の強豪校に進んだ選手たちを見返したいと強く思っていました。その条件に当てはまる高校が長良を含めて2つあった。若鮎長良FCのチームメイトに長良へ進む子はいなかったし、他のチームの話を聞いても長良に行くという話を聞かなかったので、逆にチャンスだと思ったんです。とにかく新しい環境に行けば、いろんなことがリセットされる。長良のサッカー部はほとんどが中体連の部活動出身の選手たちばかりだったので、まっさらの状態でサッカーをできました」
小学校時代、藤井は県トレセンや東海トレセン候補に選ばれる存在だった。しかし、中学校に上がるとトレセンの招集歴はなく、所属チームでもレギュラーを勝ち取れなかった。
「小学校時代からスピードだけはあって、自分のやりたいようにプレーができていたんです。でも、中学生になったら周りの身長が伸び、体が大きくなっていくのに、僕は158cmのまま。気づいたら自分が周りより遅くなっていて、何もできなくなっていったんです」
葛藤を抱えた藤井少年は所属していたクラブチームを離れて心機一転を図ったが、転籍した若鮎長良FC(岐阜県)でもその立場は変わらない。中学最後の試合となった「高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権岐阜県予選」では準決勝で屈辱のインアウト(途中出場からの途中交代)を経験した。
「中学時代は何をやってもダメ。だからこそ、高校で巻き返したかった。なぜか『絶対に誰にも負けない』という気持ちだけは持っていたんです」
中学時代の実績はなく、仲間たちが進んだ帝京大可児高校や岐阜工高校など強豪校からの誘いはない。とはいえ、サッカーで全国大会に出ることが目標であれば、ほかに選択肢はあったはずだが、藤井は長良高校に進学した理由をこう振り返っている。
「サッカーだけじゃなく、勉強もしっかりとできるところに行きたかった。何より僕のことを知る人がいない学校に行きたかったんです。誰も知らない環境でチームを強くして、県内の強豪校に進んだ選手たちを見返したいと強く思っていました。その条件に当てはまる高校が長良を含めて2つあった。若鮎長良FCのチームメイトに長良へ進む子はいなかったし、他のチームの話を聞いても長良に行くという話を聞かなかったので、逆にチャンスだと思ったんです。とにかく新しい環境に行けば、いろんなことがリセットされる。長良のサッカー部はほとんどが中体連の部活動出身の選手たちばかりだったので、まっさらの状態でサッカーをできました」
欠かさなかった朝練、周囲と生まれたギャップ
長良高校では強い決意をすぐに行動に示した。サッカー部の同級生を片っ端から誘い、早朝7時からの自主トレを行った。
「中3の途中から徐々にスピードも戻ってきた感覚があったし、中学時代までのような裏ばかり狙う選手では、またすぐに『スピードだけ』と頭打ちになってしまう。ドリブルで相手をかわせる選手になりたいと、ひたすら1対1の練習に取り組んでいました」
センターラインの手前から藤井が攻め、他のメンバーが交互にディフェンスを行う。藤井が15回連続でゴールを挙げれば勝ち、それをDFかGKに止められたら藤井の負けというルールを作った。入学から1日も休まずにこの練習に明け暮れた。
だが、次第に周囲との温度差が生まれ始めた。
<そこまでやる意味ある?>
前述したように、藤井が中学時代にプレーした仲間たちと長良高校のチームメイトではサッカーのレベルも違えば、考え方も違う。30人程度の同学年の選手たちと「頑張っているやつらを笑って、そっちの方が正解のような雰囲気を出すのが大嫌いだった」という藤井の強い志はギャップを生み、冷めた視線すらも感じるようになったという。
長良高校では強い決意をすぐに行動に示した。サッカー部の同級生を片っ端から誘い、早朝7時からの自主トレを行った。
「中3の途中から徐々にスピードも戻ってきた感覚があったし、中学時代までのような裏ばかり狙う選手では、またすぐに『スピードだけ』と頭打ちになってしまう。ドリブルで相手をかわせる選手になりたいと、ひたすら1対1の練習に取り組んでいました」
センターラインの手前から藤井が攻め、他のメンバーが交互にディフェンスを行う。藤井が15回連続でゴールを挙げれば勝ち、それをDFかGKに止められたら藤井の負けというルールを作った。入学から1日も休まずにこの練習に明け暮れた。
だが、次第に周囲との温度差が生まれ始めた。
<そこまでやる意味ある?>
前述したように、藤井が中学時代にプレーした仲間たちと長良高校のチームメイトではサッカーのレベルも違えば、考え方も違う。30人程度の同学年の選手たちと「頑張っているやつらを笑って、そっちの方が正解のような雰囲気を出すのが大嫌いだった」という藤井の強い志はギャップを生み、冷めた視線すらも感じるようになったという。
信じることができた6人の仲間
だが、それでも藤井には自分を認めてくれる仲間が6人いた。そのいずれもクラブチーム出身ではなく、素人レベルに近い子もいたが、雨でグラウンドがぐちゃぐちゃになっても、霜が降りてカチカチになったグラウンドでも、全力でドリブルを仕掛ける藤井に対して何度も必死に食らいついてきてくれた。
「高1が終わって新チームになる時に『キャプテンをやりたい』とその6人の同級生に伝えたんです。そうしたら『お前だからついて行きたい』と言ってくれた。だから、この6人だけは言いたいことを言ってもきちんと受け止めてくれる、ちゃんと向き合ってくれると信じることができたんです。他の選手はいなくなっても、絶対にこの6人だけはついてきてくれると。それが救いだった。1人だったら絶対に今の道に進むことは無理でした」
努力が実ったのか、高2になると藤井にようやく成長期が訪れ、身長は173cmまで伸びた。ストライドが大きくなったことから、入学時は6.5秒だったスポーツテストの50m走のタイムも3年時には5.9秒まで跳ね上がった。
だが、それでも藤井には自分を認めてくれる仲間が6人いた。そのいずれもクラブチーム出身ではなく、素人レベルに近い子もいたが、雨でグラウンドがぐちゃぐちゃになっても、霜が降りてカチカチになったグラウンドでも、全力でドリブルを仕掛ける藤井に対して何度も必死に食らいついてきてくれた。
「高1が終わって新チームになる時に『キャプテンをやりたい』とその6人の同級生に伝えたんです。そうしたら『お前だからついて行きたい』と言ってくれた。だから、この6人だけは言いたいことを言ってもきちんと受け止めてくれる、ちゃんと向き合ってくれると信じることができたんです。他の選手はいなくなっても、絶対にこの6人だけはついてきてくれると。それが救いだった。1人だったら絶対に今の道に進むことは無理でした」
努力が実ったのか、高2になると藤井にようやく成長期が訪れ、身長は173cmまで伸びた。ストライドが大きくなったことから、入学時は6.5秒だったスポーツテストの50m走のタイムも3年時には5.9秒まで跳ね上がった。
受験で引退する仲間たちを尻目に
着々と力をつけていった藤井だったが、県選抜に選ばれることはなく、インターハイや選手権の県予選でもベスト8の壁を破ることはできず、全国大会とは程遠い状況の中で藤井は最高学年を迎えた。5月下旬のインターハイ予選準々決勝では、かつてのチームメイトが数多く在籍していた中京高校に1-3で敗れ、多くの仲間たちが受験のためにサッカー部を離れた。
それでも藤井は、最後までサッカーを続けることをサッカー部の下野善範監督に志願した。
「可愛がってもらった1学年上先輩が指定校推薦で立命館大に進んで、サッカー部に入ったんです。それを聞いて、俺もこの人についていきたいと思ったんです」
藤井が掲げたのは指定校推薦ではなく、サッカーの実力で立命館大に行くという目標だった。
「受験勉強のためにサッカー部を辞めてしまったら、仮に立命館に入ることができても、選手権までサッカーを続けるスポーツ推薦の選手たちと最初から大きな差が生まれてしまい、大学の4年間を苦しい立場で過ごすことになってしまうと考えたんです」
信頼する6人の同級生も、受験に専念する1人以外の5人がG1リーグ(高円宮杯岐阜県ユースリーグ1部)の前期終了の7月23日まで残る約束をしてくれた。
着々と力をつけていった藤井だったが、県選抜に選ばれることはなく、インターハイや選手権の県予選でもベスト8の壁を破ることはできず、全国大会とは程遠い状況の中で藤井は最高学年を迎えた。5月下旬のインターハイ予選準々決勝では、かつてのチームメイトが数多く在籍していた中京高校に1-3で敗れ、多くの仲間たちが受験のためにサッカー部を離れた。
それでも藤井は、最後までサッカーを続けることをサッカー部の下野善範監督に志願した。
「可愛がってもらった1学年上先輩が指定校推薦で立命館大に進んで、サッカー部に入ったんです。それを聞いて、俺もこの人についていきたいと思ったんです」
藤井が掲げたのは指定校推薦ではなく、サッカーの実力で立命館大に行くという目標だった。
「受験勉強のためにサッカー部を辞めてしまったら、仮に立命館に入ることができても、選手権までサッカーを続けるスポーツ推薦の選手たちと最初から大きな差が生まれてしまい、大学の4年間を苦しい立場で過ごすことになってしまうと考えたんです」
信頼する6人の同級生も、受験に専念する1人以外の5人がG1リーグ(高円宮杯岐阜県ユースリーグ1部)の前期終了の7月23日まで残る約束をしてくれた。
「そのユニフォームどこの?」
インターハイ予選敗退後、先輩にお願いして立命館大サッカー部の米田隆監督と下野監督を繋いでもらった。「立命館大でサッカーがしたい」とありったけの熱意を伝えたことで、立命館大の練習参加の許可が下りた。
強豪高校やJユースでプレーした選手が集まる立命館大のグラウンドでの初練習には今でも忘れられない恥ずかしい思い出がある。
「長良の緑色の練習試合用ユニフォームを着て参加したのですが、Aチームの人から『そのユニフォームどこの?』って関西人特有の強烈ないじりを受けました。同じように練習参加していた桐光学園高のFW鈴木太我は誰もが知っている水色のかっこいい練習着。めちゃくちゃ恥ずかしくなったので、練習が終わったらすぐにスポーツショップでナイキのシャツを買いました(笑)」
レベルの差も歴然で、同い年の鈴木が強烈なアピールをする中、藤井はなかなか持ち味を出せなかった。だが、ある1つの練習を境に周囲の評価は一気に変わった。
インターハイ予選敗退後、先輩にお願いして立命館大サッカー部の米田隆監督と下野監督を繋いでもらった。「立命館大でサッカーがしたい」とありったけの熱意を伝えたことで、立命館大の練習参加の許可が下りた。
強豪高校やJユースでプレーした選手が集まる立命館大のグラウンドでの初練習には今でも忘れられない恥ずかしい思い出がある。
「長良の緑色の練習試合用ユニフォームを着て参加したのですが、Aチームの人から『そのユニフォームどこの?』って関西人特有の強烈ないじりを受けました。同じように練習参加していた桐光学園高のFW鈴木太我は誰もが知っている水色のかっこいい練習着。めちゃくちゃ恥ずかしくなったので、練習が終わったらすぐにスポーツショップでナイキのシャツを買いました(笑)」
レベルの差も歴然で、同い年の鈴木が強烈なアピールをする中、藤井はなかなか持ち味を出せなかった。だが、ある1つの練習を境に周囲の評価は一気に変わった。
磨いてきた1対1が生かされた
ペナルティーエリア2個分のゾーンに正規のゴールを2つ置き、1対1からGKが守るゴールを狙うという練習だった。彼が入学時からコツコツと続けてきた朝練と全く同じシチュエーションだ。そこで藤井は周囲を圧倒した。
レギュラー格の4年生に対し、藤井は緩急をつけたスピードあるドリブルで何度もゴールを奪い、10回全勝という圧倒的な数字を見せつけた。「バカにしていた先輩たちも『お前、めっちゃ速いな』と声をかけてくれるようになった」と強烈なインパクトを残した。
しかし、1カ月が過ぎても立命館大から連絡はなかった。受験も視野に入れて塾にも通い出した藤井は再びアクションを起こした。
「スポーツ推薦がダメだったら、それこそG1リーグの後期は出場せずに受験に専念する覚悟でした。下野監督に『受験のこともあるので、米田監督に(スポーツ推薦は)どうだったかだけ聞いてもらえませんか』とお願いしたんです。こっちからそんなことを聞くなんて失礼なことだとは理解していたのですが、自分の中でもスポーツ推薦の未練を断ち切りたかったので」
返ってきた答えは「米田監督はお前を獲りたいと言っているぞ」。この一言で勉強とサッカーの両立を続ける決意を固めた。
ペナルティーエリア2個分のゾーンに正規のゴールを2つ置き、1対1からGKが守るゴールを狙うという練習だった。彼が入学時からコツコツと続けてきた朝練と全く同じシチュエーションだ。そこで藤井は周囲を圧倒した。
レギュラー格の4年生に対し、藤井は緩急をつけたスピードあるドリブルで何度もゴールを奪い、10回全勝という圧倒的な数字を見せつけた。「バカにしていた先輩たちも『お前、めっちゃ速いな』と声をかけてくれるようになった」と強烈なインパクトを残した。
しかし、1カ月が過ぎても立命館大から連絡はなかった。受験も視野に入れて塾にも通い出した藤井は再びアクションを起こした。
「スポーツ推薦がダメだったら、それこそG1リーグの後期は出場せずに受験に専念する覚悟でした。下野監督に『受験のこともあるので、米田監督に(スポーツ推薦は)どうだったかだけ聞いてもらえませんか』とお願いしたんです。こっちからそんなことを聞くなんて失礼なことだとは理解していたのですが、自分の中でもスポーツ推薦の未練を断ち切りたかったので」
返ってきた答えは「米田監督はお前を獲りたいと言っているぞ」。この一言で勉強とサッカーの両立を続ける決意を固めた。
戻ってきた2人と牽引した選手権予選
残った3年生は藤井ただ1人。朝練相手がいなくなってもコーンを相手とGKに見立てて1対1を続けた。頭の中でイメージを膨らませ、ドリブルとシュートを磨く日々。そんな真摯な藤井の姿に心を揺さぶられたのか、指定校推薦が決まった2人の仲間がサッカー部に戻ってきた。再び信頼できる仲間との朝のルーティーンが繰り返された。
最後の選手権予選、3人の3年生に引っ張られた長良高は準々決勝で名門・岐阜工高と対戦。0-1で敗れたが、戦前の予想を覆す大接戦を演じたことで、藤井は全力で高校サッカー生活を走り切ることができた。
残った3年生は藤井ただ1人。朝練相手がいなくなってもコーンを相手とGKに見立てて1対1を続けた。頭の中でイメージを膨らませ、ドリブルとシュートを磨く日々。そんな真摯な藤井の姿に心を揺さぶられたのか、指定校推薦が決まった2人の仲間がサッカー部に戻ってきた。再び信頼できる仲間との朝のルーティーンが繰り返された。
最後の選手権予選、3人の3年生に引っ張られた長良高は準々決勝で名門・岐阜工高と対戦。0-1で敗れたが、戦前の予想を覆す大接戦を演じたことで、藤井は全力で高校サッカー生活を走り切ることができた。
立命館大で開花したスピードスター
努力でスポーツ推薦枠を掴み取った立命館大では、その期待に応えるように1年目から大きく飛躍した。関西大学リーグ1部の開幕戦で初アシストを記録すると、中央からサイドに主戦場を変え、気づけば「関西のスピードスター」と呼ばれるようになった。強豪高校出身者が顔を揃えるU-19全日本大学選抜にも選出された。ただ、多くのJクラブが獲得を狙う選手になっても、練習の1時間半前にグラウンドに現れ、シュート練習に励み、全体練習後も1時間以上、1対1の練習は欠かさなかった。
「守備が一番うまい強い選手を選んで、頼み込んでやっていましたね。高校と違ってサイドの攻防がメインなので、タッチラインを意識してサイドの幅で仕掛け切ることを意識しました。相手との距離が近いシチュエーションだったり、カウンター気味のシチュエーションだったり、サイドで起こりうる場面をいくつも想定して、相手のコースの切り方を何パターンも試させてもらいました」
強豪校とはかけ離れた環境でも努力を惜しまず、先輩の縁によって導かれた立命館で大きな成長を遂げた藤井は、J1の3チームとJ2の2チームが争奪戦を繰り広げる中、広島入りを決めたのだった。
努力でスポーツ推薦枠を掴み取った立命館大では、その期待に応えるように1年目から大きく飛躍した。関西大学リーグ1部の開幕戦で初アシストを記録すると、中央からサイドに主戦場を変え、気づけば「関西のスピードスター」と呼ばれるようになった。強豪高校出身者が顔を揃えるU-19全日本大学選抜にも選出された。ただ、多くのJクラブが獲得を狙う選手になっても、練習の1時間半前にグラウンドに現れ、シュート練習に励み、全体練習後も1時間以上、1対1の練習は欠かさなかった。
「守備が一番うまい強い選手を選んで、頼み込んでやっていましたね。高校と違ってサイドの攻防がメインなので、タッチラインを意識してサイドの幅で仕掛け切ることを意識しました。相手との距離が近いシチュエーションだったり、カウンター気味のシチュエーションだったり、サイドで起こりうる場面をいくつも想定して、相手のコースの切り方を何パターンも試させてもらいました」
強豪校とはかけ離れた環境でも努力を惜しまず、先輩の縁によって導かれた立命館で大きな成長を遂げた藤井は、J1の3チームとJ2の2チームが争奪戦を繰り広げる中、広島入りを決めたのだった。
コツコツと小さな目標を重ねる
12月6日、Jグリーン堺。阪南大との一戦は、勝てば来年1月の全国大会出場が決まるという重要な試合となった。左ウイングのポジションでスタメン出場を果たした藤井とマッチアップするのは、ベガルタ仙台に内定し、すでにJ1リーグで11試合に出場している真瀬拓海だ。ハイレベルなマッチアップを演じ、ピッチでは別格の争いを繰り広げていた。結果は地力で勝る阪南大の前に1-4で敗れ、藤井にとってこの試合が大学最後のゲームとなった。
「立命館大を目指し、1年間を過ごせて本当によかったと思います。だからこそ、みんなを全国大会に連れて行きたかった。後輩たちに経験という財産を残せなかったのが悔いです」
涙を浮かべながらその思いを口にしたが、無名の存在から武器を磨き続け、日々進化を続けた姿勢は後輩たちにとっても大きな財産になったことだろう。
「広島では、まずはスタメン確保を目指しています。あまり大きなことを口にするのが好きではなくて、コツコツと小さな目標を積み重ねる方が自分に合っている。目の前のやるべきことに集中して前に進んで行きたいと思っています」
新たな“積み重ね”を誓った藤井は、広島へ向かった。「無名の逸材」と騒がれる舞台裏には、それぞれの努力と思考が絡み合っている。そこには偶然ではなく、必然のストーリーしか存在しない。藤井智也のサッカー人生を見て、改めてそれを強く感じた。
12月6日、Jグリーン堺。阪南大との一戦は、勝てば来年1月の全国大会出場が決まるという重要な試合となった。左ウイングのポジションでスタメン出場を果たした藤井とマッチアップするのは、ベガルタ仙台に内定し、すでにJ1リーグで11試合に出場している真瀬拓海だ。ハイレベルなマッチアップを演じ、ピッチでは別格の争いを繰り広げていた。結果は地力で勝る阪南大の前に1-4で敗れ、藤井にとってこの試合が大学最後のゲームとなった。
「立命館大を目指し、1年間を過ごせて本当によかったと思います。だからこそ、みんなを全国大会に連れて行きたかった。後輩たちに経験という財産を残せなかったのが悔いです」
涙を浮かべながらその思いを口にしたが、無名の存在から武器を磨き続け、日々進化を続けた姿勢は後輩たちにとっても大きな財産になったことだろう。
「広島では、まずはスタメン確保を目指しています。あまり大きなことを口にするのが好きではなくて、コツコツと小さな目標を積み重ねる方が自分に合っている。目の前のやるべきことに集中して前に進んで行きたいと思っています」
新たな“積み重ね”を誓った藤井は、広島へ向かった。「無名の逸材」と騒がれる舞台裏には、それぞれの努力と思考が絡み合っている。そこには偶然ではなく、必然のストーリーしか存在しない。藤井智也のサッカー人生を見て、改めてそれを強く感じた。
【広島 vs 柏】準備してきたことには自負がある。大迫敬介は冷静にホーム最終戦へ挑む
2020年12月15日(火)
2020年のホーム最終戦のゴールマウスを城福浩監督は大迫敬介に任せる意向だ。
「良い状態を続けてくれているのでどこかでチャンスをあげたいと思っていた。いろんな想いもあるだろうから、失点ゼロに抑えるため先頭に立って戦ってほしい」。指揮官は大迫の状態が良いことはもちろん、結果を強く欲しているところにも大きな期待を寄せいていた。
21歳のGKは冷静だった。
「試合に出れていないときもずっと準備をしてきましたし、仙台と湘南との試合でも準備してきたものを出せている感覚があるので、変なことを考えすぎずに準備してきたものを出そうと思っています」
準備してきたことには自負がある。2020年は良いこともあれば悪いこともあったシーズンとなったが、大迫は「こういうシーズンを経験できたからこそ、自分の課題を浮き彫りにすることができた」と前向きに捉え、「自分のストロングな部分と課題の部分をもう一度意識し直して練習できています」という。
積み上げてきたことを発揮する相手として、柏は絶好の相手だろう。オルンガをはじめ個の能力の高いアタッカーが揃っていて、特にカウンターは脅威だ。ゴールマウスを守る力だけなく、積極的にゴールを飛び出して守る大迫の特徴を発揮していきたい。
今年は若いGKが多く台頭した一年でもあった。「同世代の選手がリーグ戦に出ているっていうのは刺激になります」と大迫は言うが、「でも自分の目標はそういった選手に勝つことではなく、もっともっと上のところにある」とキッパリと言った。
浮き沈みを経験しながらも、目標を見失うことなく自分と向き合ってきた。ホーム最終戦に臨む大迫の現在地をしっかりと見つめたい。
文:寺田弘幸(広島担当)
L・ペレイラ一時帰国の広島、前半の好機逸し痛恨…城福監督「私が監督として足りない」
[12.12 J1第31節 FC東京1-0広島 味スタ]
サンフレッチェ広島は前半のチャンス逸が響き、9試合ぶりの黒星を喫した。勝ち点を48から伸ばせず、8位のまま。勝利すれば6位FC東京と順位が入れ替わるチャンスだったが、若手主体だった相手の一発に沈む痛恨の敗戦となった。
城福浩監督は「力のなさ、監督としての自分の足りないところを思い知った試合」と敗戦を受け止め、「90分を通して得点できなかったというのは、私が監督として足りないところだと思う。もっと精進しないといけない。自分たちのペースで出来なかったのは我々の問題」と悔しさをにじませた。
前半はシュート数11対3と圧倒的に押し込んだ。3分、FKからMF浅野雄也が浮き球を入れ、FWドウグラス・ヴィエイラのヘディングシュートが枠を捉えたが、GK波多野豪の好セーブに阻まれた。
さらに攻撃の圧を強め、前半19分にはMF青山敏弘がミドルシュート。24分にはD・ヴィエイラ、38分にはDF荒木隼人がヘッドでゴールを強襲するが、再三のチャンスを生かせず。0-0で前半を折り返すと、後半20分にチャンスを決められ、反撃は及ばず。90分のシュート数は15対6だった。
チーム最多15得点をマークするFWレアンドロ・ペレイラが7日、家庭の事情でブラジルに一時帰国。得点源を欠いた試合で無得点に終わったが、MF川辺駿は「いない選手のことを言っても難しい。選手個人個人が意識しないといいけないし、点を取る形がないと来シーズンは4チームが降格するので厳しい」と課題を見つめつつ、「自分たちはまだまだ成長している段階」と残り2試合を見据えた。
森崎和幸&浩司「心の病」と向き合った現役時代に何があったのか?
サンフレッチェ広島の顔として20年近くもクラブを支えてきた森崎和幸と森崎浩司が、12月12日放送のサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:20~)にゲスト出演。現役時代に「心の病」を抱えながらどのようにして乗り越えてきたのか。2人の思いを伝えていく。2015年に行われたWHOの調査によると、世界中でうつに苦しむ人は推計で約3億2200万人、日本でも約506万人にのぼる。では、心の病は何が原因で発症するのか? 専門家に話を聞くと「今までやってきた考え方やライフタイルがうまくいかなくなった時に負担がかかる」と言い、睡眠障害や動悸、自律神経失調症、統合失調症、躁うつ病、摂食障害、パニック障害など、多岐にわたる症状がある。森崎兄弟を襲ったのはオーバートレーニング症候群。番組MCの勝村政信は「(当時は)練習なんてやればやるほどうまくなると言われ続けてきたから、それが病気に繋がっているなんて思っていなかった」と話し、番組アナリストの福田正博も「ものすごくストイックになるし、繊細だったりするから心の病といつも背中合わせなのでは?」とアスリートならではの思いを代弁していく。和幸と浩司は、どうやって病が進んでいったのか、当時を振り返りながら、素直な心境を伝えていき、また、誰のどのような言動に支えられてきたのかを告白。現役引退後に出版した書籍「うつ白」に込めた思いや、自身の経験から伝えたかった事が語られる。
東京が完封勝利、広島好機生かせず/東-広31節
<明治安田生命J1:東京1-0広島>◇12日◇第31節◇味スタ
FC東京がホームでサンフレッチェ広島に勝利した。
東京は6日までカタールでアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を戦い、帰国して初の試合。ACLが中2日での連戦だったこともあり、直近のACL決勝トーナメント1回戦の北京国安(中国)戦から、スタメンは8人が入れ替わった。
後半20分に東京が先制。右サイドの崩しから中央のMF三田を経由し、DF中村帆が左足で蹴りこんだ。明大から加入1年目の中村はこれがプロ初ゴールとなった。
その後は互いにチャンスを作ったものの、最後までゴールは生まれず。1点を守りきった東京が勝ち点3を手にした。
【J1注目プレビュー|第31節:FC東京vs広島】カタールでの悔しさを胸にFC東京は何を見せる? 広島は“負けない”ではなく勝利を
ACLは無念の敗退、悔しさを胸に【FC東京】
およそ2週間にわたるカタールでの戦いに挑んだFC東京だったが、6日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)ラウンド16では北京国安(中国)相手に0-1で敗れ敗退が決定。無念の帰国となった。
中国勢にこれまで何度も阻まれてきたFC東京にとっては、今回こそという気持ちもあっただろうが、悔しい帰国となった。
チームは7日に帰国し、隔離期間14日間が当初は予定されていたが、アスリートトラックが特別に適用されるため帰国した選手たちはトレーニングや試合に出場することが可能となった。
時差ボケ、コンディションなど様々な問題もある中でも、その悔しさを試合で晴らしたい部分もあるだろう。ACLを戦った選手も出場すると見られ、カタールで浮き彫りとなった決定力と試合を決め切る部分をどうブラッシュアップするかが注目だ。
★予想スタメン[4-3-3]
GK:波多野豪
DF:中村拓海、渡辺剛、森重真人、中村帆高
MF:アルトゥール・シルバ、安部柊斗
MF:三田啓貴、レアンドロ、東慶悟
FW:永井謙佑
監督:長谷川健太
出場停止:小川諒也
◆負けないではなく勝利を【サンフレッチェ広島】
前節はホームに北海道コンサドーレ札幌を迎えた一戦で2-2のドロー。これで8戦負けなしとした一方で、2試合連続ドローと勝ち切れていない。
プレスがハマり良い守備を見せられているものの、チャンスの数に対してゴール数がやはり少ないのが課題。FWレアンドロ・ペレイラが帰国したことで、より得点力は落ちるが、ゴール前での精度を上げることで、その穴を埋めたい。
この8試合でも3勝5分けと引き分けが多く、どちらかといえば勝ち点を落としている印象。負けないことではなく、勝つことを残りの3試合でいかに見せられるかが重要となるだろう。
相手はカタールから帰ったチーム。1週間ぶりの試合となる広島としては、コンディション面では完全に勝っている。負けないではなく、勝ってホームに帰りたいところだ。
★予想スタメン[3-4-2-1]
GK:林卓人
DF:野上結貴、荒木隼人、佐々木翔
MF:茶島雄介、川辺駿、青山敏弘、東俊希
MF:浅野雄也、森島司
FW:ドウグラス・ヴィエイラ
監督:城福浩
FW工藤壮人がブリスベン・ロアーへ完全移籍「現役の選手としてプレーできることに感謝」
ブリスベン・ロアーへの移籍が決定した工藤(写真は2019年11月のもの) [写真]=J.LEAGUE
サンフレッチェ広島は10日、FW工藤壮人がAリーグ(オーストラリア1部)のブリスベン・ロアーへ完全移籍することを発表した。
現在30歳の工藤は柏レイソルU-18出身で、2009年にトップチームへ昇格した。2016年にはメジャーリーグ・サッカー(MLS)のバンクーバー・ホワイトキャップスでプレーし、2017年に広島に加入。2019年はレノファ山口FCへ期限付き移籍し、今年1月には移籍期間満了で広島へと戻ったものの、今後の所属先については契約交渉中であることが発表され、今季の所属クラブはここまでなかった。
2度目の海外移籍が決定した工藤は広島のクラブ公式サイトを通じ、以下のようにコメントを発表している。
「このたび、オーストラリア1部のブリスベン・ロアーFCに完全移籍することになりました。2017年、サンフレッチェ広島に加入した際のサポーターの方々の声援、期待は今でも鮮明に覚えています。結果が出なくても、最後まで背中を押してくださったことは一生忘れません。広島で皆さんの期待に応えることはできませんでしたが、また現役の選手としてプレーできることに感謝しながら、新しいチームで貪欲にゴールを目指し、戦い続けますのでこれからも応援していただけると嬉しいです。サンフレッチェ広島在籍時にお世話になった全ての方々に、この場を借りて感謝申し上げます。またいつか、広島で会いましょう」
広島ペレイラ家庭の事情で一時帰国 今季15得点
サンフレッチェ広島は7日、FWレアンドロ・ペレイラ(29)が家庭の事情のために同日にブラジルへ一時帰国すると発表した。
今季はここまで26試合15得点の大活躍。チームは最近8試合で3勝5分けの不敗で、7位に浮上する立役者になっていた。同じブラジル人のMFハイネル(30)も治療のために既に帰国している。
[スーパープリンスリーグ]無敗対決は首位・広島ユースが米子北に4発逆転勝ち:第10節
高円宮杯JFA U-18サッカースーパープリンスリーグ2020 中国は5日、第10節を行った。
首位・サンフレッチェ広島ユース(広島)と2位・米子北高(鳥取)との無敗対決は、広島が4-1で逆転勝ちした。前半1分に米子北がMF林寛大のゴールで先制したが、広島は同21分にDF末次颯が同点ゴール。そして、後半にMF福崎伶青の勝ち越しゴールなど3得点で突き放した。
ファジアーノ岡山U-18(岡山)はMF藤井大翔の挙げた1点を守り、就実高(岡山)に1-0で勝った。瀬戸内高(広島)と玉野光南高(岡山)はいずれも同県の選手権出場校撃破。瀬戸内はMF長谷川大貴の決勝点で広島皆実高(広島)を1-0で破り、玉野光南はMF武下佳樹とFW岸本大雅のゴールによって作陽高(岡山)を2-0で下している。
【第10節】
(12月5日)
[広島皆実高校サッカー場]
広島皆実 0-1 瀬戸内
[瀬]長谷川大貴(90+2分)
[どらドラパーク米子陸上競技場]
米子北 1-4 広島ユース
[米]林寛大(1分)
[広]末次颯(21分)、福崎伶青(48分)、菅野翔斗(83分)、竹内崇人(90+1分)
[就実高校祇園グラウンド]
就実 0-1 岡山U-18
[岡]藤井大翔(10分)
玉野光南 2-0 作陽
[玉]武下佳樹(41分)、岸本大雅(71分)
[未定]
立正大淞南 vs 鳥取U-18
元広島のDF塩谷、32歳の誕生日を迎える。アル・アインでの現在は?
かつて水戸ホーリーホック(2011-2012)やサンフレッチェ広島(2012-2017)でプレーした日本代表DF塩谷司は、本日12月5日に32歳の誕生日を迎えた。
対人プレーの強さやミドルシュートの技術が印象的な塩谷は、2017年6月にUAE(アラブ首長国連邦)のアル・アインへ完全移籍して以降、現在も同クラブで活躍している。しかしUAEでは新型コロナウイルス感染拡大によって、2020年はトレーニングを行うことさえとても厳しかったようだ。
今年は3月中旬にクラブ練習が中止となり選手は自宅待機。塩谷はランニングマシンやエアロバイクを購入し自宅での個人練習を続けていた。しかしながら、アラビアン・ガルフ・リーグ2019/20シーズンはチャンピオンも決定せずに7月に中止。10月、ようやく国内サッカーが復活し、今シーズン第8節を終えた中、塩谷は6試合に出場し1得点を挙げている。
塩谷の誕生日を祝って公開されたアル・アインでのベストシーンがこちら。
広島、柏戦で地元出身のTEEがミニライブ
サンフレッチェ広島は3日、16日に本拠地・エディオンスタジアムで行われる柏レイソル戦で、シンガー・ソングライターのTEE(38)が来場することを発表した。
広島市出身で、デビュー10周年を迎えたTEEが、ハーフタイムのミニライブで代表曲の1曲「BABY I LOVE YOU」を披露する。
コメント
コメントを投稿